006 詰め所の出来事


 イライラしていれば、敬語も使えなくなってくる。

「わかったわかったよ。もう出ていくとか言わないから、そろそろ解放してくれ」

 俺が詰め所でそう言えばおっさんたちは逆に困った顔をして「ええと、そういうわけではないのです。街から出ても、その、問題はないのですが」と、また微妙な感じのことを繰り返す。

「あのなぁ、もう一時間以上経ってるぞ。いい加減結論を――」

 中学の修学旅行のとき、空港で一時間以上も待たされたときのことを思い出す。あのときは他のクラスメイトとトランプをして過ごしていたが、ここではおっさんに囲まれるだけだ。それに、いつまで待たされるのかもわからない。ストレスだった。いや、出されたお茶とお菓子はおいしいけど。

 そんなわけでお茶菓子食べながらお茶飲んで、おっさんたちの待ってくれ待ってくれと懇願する情けない顔を文句を言いながら見ていたが、こうも拘束され続けるといい加減怒鳴りつけてやろうか、なんて考えて――やろうとすれば、扉が音を立てて、開かれた。

「お待たせしました! 勇者レイジ様!!」

 司祭服を着た老人が元気な表情でやってきた。その背後にはひぃひぃと荒い息を吐く修道服の少女を連れている。

 怒鳴りつけようとした俺の感情が、なんだこいつら、と固まる。

「勇者様、私は司祭のアダマスと申します。迷宮都市ヴェリスの女神教教会を取り仕切っております」

「あ、ああ。よろしく、おねがいします?」

 女神教? 確かこの世界でメインに信仰される宗教だな。勇者も一応、使徒のような扱いで教会ではそれなりに扱ってもらえるとか。

 ただし、胡散臭いなぁという気分で教会には行ったことがない。だって俺たちを拉致した奴らの元締めだろ? 金とられそうだし、行くわけないよな。

 そんなことを考える俺の前で老人はぺこりと頭を下げてくる。ならばこちらもぺこり、だ。頭を下げてやった。

「はい、レイジ様。よろしくお願いいたします。ああ、こちらは【聖女】のサリア。勇者様のサポートにと連れてきました。サリア、自己紹介を」

 少女は銀の髪を腰まで伸ばした絶世の美少女――なのだが……少女は司祭様を見上げて「いいのですか? サポートの押し付けは、その、法で禁止されているのでは?」と問いかけている。

 法で押し付けが禁止されている? どういうこと?

「サリア、それは押し付けであるからです。ちゃんと話せば問題ありません。勇者様、このサリアは王都で教会学校でも優秀な成績で卒業してまして、勇者様のダンジョン攻略に十分以上に貢献できるかと思い、連れてきました」

 どうか連れて行ってやってください、と言われて俺は困惑する。まだ仲間は駄目なんじゃないっけ?

「仲間がいるとレベル差が発生して俺の成長にならないから、レベルがちゃんと上がるまでは仲間はつくらない方がいいという話でしたが?」

 俺が仲間の募集をしなかったのはそのためだ。だからレベルが10ぐらいになったらギルドで仲間を募集しようと俺は考えていた。

「それは強力な初期スキルを持つ勇者様の場合ですね。レイジ様は、その、サポートをつけてスキルブックの入手を優先するのがよろしいのではないでしょうか? 勇者様であれば女神様の加護もあって、入手はそう難しくないと聞きますし」

 老司祭の言葉は、確かにそうだと納得できるものであるが、今の状態でもそれなりに手応えを感じている俺に対する侮辱にも聞こえてくる。

 本人にそのつもりはなくとも、だ。

 兵士スキルは育っている。訓練を続けて【剣術】や【身体強化】を得ればオークだって一人で倒せるようになるはずだ。

 そのための食肉ダンジョン攻略だった。腹いっぱい食べて、筋肉をもっとつけたり、弱いダンジョンを攻略すれば報酬で装備でも手に入るかも、と俺は考えたんだ。

 ちょっと悔しくなって反論する。

「俺は、わざわざ仲間を必要だとは思わないですね。兵士スキルを鍛えれば【応急手当】や【アイテム強化】のスキルを覚えるはずです。俺自身、そろそろ【剣術】や【身体強化】も覚えられる手応えを感じているし、最悪なんとかなるまで死んで復活すればいい話ですよ。一人でなんとかなります」

 ざわ、と俺の反論に反応したのは老司祭ではなく、周りの人間だった。

 一緒に話を聞いていた、おっさんたちが驚愕の表情で悲鳴を上げたのだ。え? 何?

「し、死んで復活すればいい!? や、やめてください勇者様!!」

 ついでに銀髪美少女のサリアがすがりついてくる。顔の整った美少女顔だが、今その顔は非常に、よろしくない感じに青褪めていた。えぇ、俺の日常なんだが、まずいこと言ったか?

「勇者様。い、今まで、な、何回死んだんですか?」

「何回って、覚えてないけど?」

 ひゅッ、とサリアの口からかすれたような悲鳴が上がった。

 ここに来た当初はどうすればいいかもわからないから毎日死んでいた。【戦術】スキルや【感情抑制】スキルを覚えて、レベルが2になってゴブリンを安定して殺せるようになるまで、ほぼ毎日。

 俺をこの都市に転移魔法で連れてきた騎士ヴァーロウがスキルブックと一緒に渡してくれた総軍教本写本がなければたぶん今も死んでたと思う。そういう意味で俺が一番感謝しているのは騎士ヴァーロウだった。あと総軍教本を書いた征服王グラン七世には足を向けて眠れないぐらい感謝を抱いている。

 そんな俺の前でアダマス司祭が祈る仕草をしてから「仲間がいれば攻略が捗りますよ?」と言ってくる。

 まるで俺には何もできない、とでも言われているようで俺はちょっと以上にいらっとしてくる。ちッ、なんだよ。敬語とか使ってたけどいるか? いらないよな? どうせこの世界に家族もいないし、ろくな財産もないし、死んでも復活できる無敵の人なんだよ俺は。いらいらしたままに俺は言う。

「レベル1で死にまくったけど、俺はスキルを覚えて、レベルも上げてゴブリン相手なら勝てるようになった。だから食肉ダンジョンとか鉱山ダンジョンとか回ってスキルだとか装備だとか集めてここにリベンジするつもりなんだよ。なんで最初からできないみたいに言うん――ですか?」

 乱暴な口調は言ってて慣れないので、やっぱり敬語に戻して問いかければアダマス司祭は「失礼しました」と頭を下げてくる。いや、別に頭まで下げなくても、ねぇ? 怒ってるように見えるけど俺あんまり怒ってないよ? なんて思えばサリアと呼ばれた修道女が叫ぶように言った。

「わ、私! 学校で授与された【聖女】スキルの他にも初期スキルで【料理人】を持ってて、この半年はパンの名店シェザリオンで修行してたから旅先で美味しいパンが焼けます! 【パン窯の魔法】と【食料庫】があるから私を連れていけば、ダンジョン攻略のときのご飯は毎食美味しいものが食べられます!!」

 熱々のパンを渡される。食料庫。確か兵士スキルでは獲得できないタイプのスキルだ。兵士スキルで獲得できる食料収納スキルは【兵糧庫】で、大量に食料を保管できる代わりに時間停止などの機能は省かれている。

 渡されたパンを見ている俺にサリアは言う。

「そのパンは私が焼いたパンです! 食べてください! シェザリオンは王都の有名店で修行をした店主さんが迷宮都市で開いたお店で、私は勇者様のために秘伝の味を店主さんから教えてもらったんです!」

 俺は美少女のサリアに顔を近づけられて言われて、どきどきしながら仕方なくパンを口に運ぶ。女慣れしてないからな、俺。

 でも、まずかったら遠慮なくまずいって言えばいいか、なんて考えて食べたパンは、思いの外美味しかった。

 香ばしい匂いに、バターの強い味。料理系スキルの効果が発動しているのだろう。元の世界の有名店の焼き立てパンと同じか、それ以上に美味い。

「……この世界で、初めて美味いパン食ったかも」

 サリアから、えぇぇ、という顔で見られる。いや、金なかったんだって。でもギルドの鶏肉の唐揚げは値段の割に美味かったんだぜ?

 しかし、毎食美味い食事が食えるのか。ちょっと心が揺れるな。

 だが、サリアを仲間にするのは無理だろう。

 俺の財布事情を考えるとな。


                ◇◆◇◆◇


 初めて美味いパンを食べた、という言葉にその場の人々の動きが止まった。

 私――サリアはその言葉に、何も言えなくなってしまう。

 渡したパンはそれなりに高級だが、所詮はパンだ。銅貨10枚程度で買える程度の品でしかない。

 副ギルドマスターを見る。彼の顔は凍っていた。笑顔のように見えるが、その作り笑いの奥では恐怖に震える心がある。

 背後の司祭様の顔は見たくない。たぶん、私と同じことを考えている。評価基準が頭を過る。低レベルの、来たばかりの勇者様を半年間粗食で飢えさせていた。これが与える評価を考えてしまう。

 Sランクダンジョン攻略は、大陸に生きる種族全体に与えられた神命だ。

 だがその神命は私たちの力不足で私たちには遂行できなかった。

 だから召喚した異世界人を勇者に仕立てて、無理やりやらせているのが今の世界の現状。

 つまり目の前の勇者様の姿は、ヴェグニルドの国民全員が神罰を受けるに等しい所業を行っていることの証明。


 ――この無様を、今から挽回できるだろうか。


 そんなことを決意する私の前で、異世界人らしい黒髪黒目の美しい勇者様は指を舐めるようにして指についていたパンの油を舐め取った。

 下品に見えてその実、女が欲情しかねないような色っぽい仕草だった。魂から愛液が漏れそうになる。どろりとした感情を滲ませる。くそッ、このひとイケメンすぎる。

 そんなことを内心で考えている私に、勇者様はにこりと笑って「サリア、美味しいパンをありがとう」と笑ってくれた。嗚呼、濡れる。心がびちゃびちゃになる。

 でも、そうしてから彼は私に言うのだ。絶対に聞き入れたくない言葉を。

「仲間に、というのは嬉しいが。情けない話、俺には君を雇うほどの金がなくてね。俺一人が生きていくだけでカツカツなんだ。今回食肉ダンジョンに向かうのもあっちでならもう少し稼げるかもっていう――「大丈夫です!!」

 私は慌てて言葉を被せた。勇者様が意味不明なことを言っている。勇者なら勇者特権があるはずだ。法外な量を要求しなければどれだけ高級な料理を頼もうとも食費は無料だし、様々な武器だってタダで借り受けることができる勇者の特権。

 特権を使えば、現世の通貨は払わず様々なことがタダで受け取れるんだよ? なんでこの人ちゃんとした食事とってないの?

 あと特権使われても大丈夫だよ? 私たちだってタダで渡しているわけではないんだから。むしろバンバン使って欲しいぐらい。

 そう、勇者様に戦ってもらう代わりに、この世界の人間は勇者様に協力する義務があるのだ。


 ――女神様が敷く地上の法オーダーオブゴッデス


 勇者様が高級店で料理を頼んで満足すれば、それに関わった全員が相応の評価を得られる。料理を提供した料理店、料理を作ったコック、料理を配膳したウェイターやウェイトレス、材料を育てた農家や素材を採集した狩人、魔物肉を狩ってきた冒険者などの人々。

 もちろん勇者様が使った食器を作った職人。テーブルや椅子、そういったものもだ。

 もちろん、一度の食事で上がる評価は微々たるものである。

 また勇者タロウ様のようにレベルも高く、この世界に慣れきって高級料理程度では心を動かさなくなった場合はあまり評価も得られない。そういう意味では料理人が料理の味だけでなく、料理スキルを上げることにも意味があったりする。料理スキルのランクが最高のⅤになったら、さすがの勇者タロウ様でも評価せざるを得なくなるぐらいの美味になるし、ステータスの一時的補助が受けられるからだ。

 話は逸れたが、そういう形で戦闘職でない人々でも勇者様の役に立てたりするから特権は使ってほしいものなのだ。

 微々たるものでも評価は評価。この積もり積もった評価によって、私たちの現世や死後の扱いは変わっていく。

 みんな評価がほしいから、なんでもない農民でも娘が美しかったら、勇者様に差し出して一夜を共にさせることで評価を得たりもするし。その娘から生まれた子供が勇者様のスキルやステータスを下位互換でもいいから継承していればそれだけでこの世界自体への貢献になる。

 勇者特権は、勇者様の為のものである以上に、行使してくれなければ私達が困る代物なのである。

 鍛冶屋街のドワーフたちが嘆くのも当たり前だ。勇者様が半年も滞在してくれているのに、彼は一度も鍛冶屋街に訪れていない。勇者様の武器を打ったり、使った武具を整備するだけでも様々な人々が助かるのに、勇者様はそれさえもさせてくれないのだ。

 召喚される勇者様は年に一回の召喚だ。残機が無限にあっても寿命で亡くなられる方もいるから、一回の召喚で召喚される勇者様はそれなりに多い。

 だけれど大陸は広くて、勇者様に関われる人々はそう多くない。私たちは、その稀なる幸運に預かっているというのに、何もできないのは歯がゆく、辛く、もどかしい。

 勇者様に強引に押しかけることを禁じる法さえなければ、とも思うがこの容姿でこの真面目な勇者様のことだ。それが許されていたら、たぶん彼が迷惑しても、私達はあらゆるものを捧げ続けてしまうだろう。

 そういう意味で法があってよかったのか。それとも――勇者特権を知らないままに半年も過ごさせてしまった不明の原因となった法を憎めばいいのか。

 そういうことを説明せずに(勇者様によっては無理にでも利用しなければと精神的負担になるから、勇者特権の裏にある評価のことを勇者様に告げることは禁止されている)私はなるべく自然に見えるように笑顔を作って勇者様に言う。

「大丈夫です、勇者様。女神教の聖女は教会からお給料が出るので! 勇者様がお金を出す必要はないんです!!」

「そ、そう? でも料理を作るにしても材料費とか……あと宿屋も。俺って、一日の収入が銅貨十数枚って感じだからパーティーを組んでも苦労するよ? だから仲間になってくれるにしてもレベルを上げて、収入が上がってからの方が――」

 今度はそんなことを言い出す勇者様。銅貨十数枚? ソロの勇者様が? 報告では迷宮二層のゴブリンを百匹も一日に討伐される方が? ドロップアイテムに宝箱とかも含まれるから、銀貨ぐらい稼いでるでしょ? なんでそんなに貧乏なの?

 疑問には背後から司祭様の囁きが答えをくれる。

(勇者税とやらでそこまで搾り取られているようですね。王国は勇者特権も教えていないようですし、勇者様に活躍されると困る方が王都にいるようです)

 司祭様の声音は穏やかだが、憎しみが籠もっているように思えた。私も腹の奥底に憤怒が生まれる。なにやってるんだ本当に。

 続けて私は司祭様から指示を出される。

(サリア。必ず、ここで、絶対に勇者様の仲間になりなさい。勇者レイジ様がここで仲間を得ずに全ての経験値をご自分に注ぎ込まれて成長をされた場合、必要だからと自力で回復スキルなどのスキルを覚えて、仲間を完全に必要としなくなります)

 加えて私たちが抱く懸念もあった。

 過酷な現実が作り出した現在状況に適応すべく兵士スキル単体で様々なスキルを発現させようとしている勇者様は、【剣術】がまだなのに難易度の高い【武器庫】【携行鞄】などの空間属性のスキルへの適正を見せている。

 空間魔法への適正が高いということは、いずれ転移スキルを覚えるということだ。

 今でさえ彼は今でも一人でやっているのだ。初期スキルによって、空きスキル枠も多すぎるほどに多い。様々なスキルを自力獲得し、転移で自在に移動できるようになったら、彼は現地住民――この世界の人間の力を本格的に必要としなくなるだろう。


 ――それをやられたら、私たちはどうしようもなくなる。


 誰にも何の協力も得なくなった勇者様がSランクダンジョンを一人でクリアした場合。たぶん、現在の大陸の支配種族である人類は女神様に不要と思われて、滅ぼされる。

 Sランクダンジョンは、現在の支配種族のための用意された試練である。

 それを女神様に泣きついて、異世界から勇者様を呼び出した私たちが、ほとんど一切のサポートをしなかったなんてことになったら、女神様は一体何を思うのか。


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