6 魔法使い

 魔法は、確かに存在している。もちろん最も知られているのは大魔法使いスライマンの名であるが、宮殿の君主スルターンが専属の魔法使いを抱えているのは有名な話であるし、奇跡を起こす魔法道具も専門の販路で売買されている。


 魔法使いを名乗る者は、特別珍しいわけではない。ただ、町で見かける彼らのほとんどは、魔法使いの名を借りた手品師や占い師の類だ。本来の意味での魔法使いは皆、金で抱え込まれているので、そうと分かる姿で外には出てこない。魔法使いたちが研究開発している魔法道具も、その稀少性ゆえに贋物にせものがいくらでも出回っているし、本物があったとしても大半が資産家や好事家の収集物と化していくのだ。


 金がなければ魔法の恩恵は得られない。実情として魔法が上流階級と富裕層にほぼ独占されている以上、それが庶民の暮らしにまで下りてくることは非常に稀だと言える。だからこそ民衆は魔法に憧れを抱き、華やかな演出で娯楽を提供する名ばかり魔法使いの商売が成り立っているのではあるが。


 閑話休題。


 バタルは絨毯に胡座あぐらを組んだまま、隣で外套をたなびかせている魔法使いを横目に見た。ターバンから覗く金髪と日焼け知らずの肌が日光を浴びて、彼の白さが日陰にいるよりもずっと際立つようだ。その眩しさに、バタルはちょっと目をすがめた。


 二人の若者を乗せた絨毯はその重さをものともせず、熱い砂の上を滑るように低く飛んでいた。


「どこへ向かってるんだ?」


 怪訝に問うたバタルを、ジャワードは一瞥した。


「情報収集って言ったろう? 君の妹を見つけるには、まずは君の言う大きな鳥がどこへ行ったかを突き止めないとね」

「あてがあるのか」

「それは行ってみないと分からない」


 あっさりとした口調でジャワードが言い、バタルは口元を歪めた。しかし他に手がかりも、頼れる相手もいない。バタルは不満を飲み込んで、進行方向に目線を戻した。


 今朝、バタルはやけにすっきりと目覚めることができた。これほどぐっすり眠ったことなど、大人になってからあっただろうか。今の状況下であまりに暢気ではとも思ったが、昨夜あれほど重かった体が泥を落としたように軽くなっているのはありがたかった。まだあちこちに擦り傷や打ち身はみられるが、動くのに支障がないほど痛みもひいている。


 ジャワードが用意してくれた服――元々着ていた服はとても再び着られるものではなくなっていた――の革帯に短剣を挟んで身なりを整えたところで、バタルはようやくこれまでの経緯をジャワードに伝えた。話を聞いた彼は「情報収集に行こう」と言って、腹ごしらえが済むや、おっかなびっくりなバタルを絨毯に乗せて出発したのだった。


 絨毯がひときわ大きな砂丘の頂上に差しかかると、眼下に長く連なる駱駝の列が見えた。数百頭もいようかという駱駝たちの背には、荷物がたんと積まれていて、砂漠を進行する商隊キャラバンであることが分かる。揃いの真っ青なターバンで顔を覆った彼らの姿は、黄色い砂ばかりの景色の中で非常に目を引いた。


「ここから歩こう」


 絨毯が緩やかに減速して止まると、ジャワードは砂上へと降り立った。バタルがジャワードにならって降りると、絨毯は触れずともひとりでに丸まり砂上に転がった。


商隊キャラバンに用が?」


 意思があるかにも見える絨毯から目を離せないままバタルが問うと、白人アフランジの魔法使いはもちろんとばかりに肯定した。


「彼らほど砂漠の危険に精通している人間はいない。人を食うような動物が付近にいるなら、どの辺りを縄張りにしているかも知っているはずだ」


 なるほどとバタルは納得したが、それでもまだ分からないことがあった。


商隊キャラバンに合流する理由は分かったけど、どうしてここから徒歩に?」


 柔らかな砂の積もった砂丘をくだるのは、足もとが崩れやすく見た目ほどたやすくない。空中を進める絨毯であれば、砂に埋もれる危険もなく、商隊キャラバンのところへもより早く着けるだろう。


 丸まった絨毯を荷物に縛りつけてから、ジャワードはやや眉尻を下げて答えた。


「目立ってあれこれ詮索されるのが好きではないんだ」


 砂漠では珍しい白人アフランジである以上、ジャワードはどこへ行っても注目を集めてきたに違いない。その上さらに魔法にかかわる事象で好奇の目を集めることになれば、確かにうんざりしそうだと、バタルでも容易に想像がついた。


 娯楽を提供する名ばかり魔法使いであれば、売名が稼ぎに直結するので、当然ながら自身の肩書きを喧伝してまわる。あえてそれとは逆の行動を選ぶとなれば、やはりジャワードは本物なのだろうと、バタルは思うことができた。


 荷物を背負ったジャワードが先に立って砂丘をくだり始めたので、バタルも慌ててあとを追った。


「魔法使いでも地道なことをするんだな」


 伸びやかな脚で軽快に砂を蹴りながら、ジャワードは苦笑した。


「君が魔法にどんな心象を持っているか知らないけれど、世間で言われるほど万能じゃないんだ。できないことの方が多いくらいだ」

「魔法で人捜しも難しいのか」


 試すつもりでバタルは言った。一刻でも早く妹をとり戻せる可能性があるとしたら、ジャワードの魔法ではないかと思ったのだ。


 これまで問えばすぐに答えを返していたジャワードが、つかの間黙った。足は止めないまま、視線だけがバタルへと向けられる。透き通った空色の瞳が、今は夜の砂漠のような冷ややかさを帯びていた。熱砂の上にいながら、バタルはぞっとしたものを背筋に感じた。


 けれどそれは一瞬のことで、ジャワードはすぐに眼差しをなごませて正面を向いた。


「やってやれないことはないかもね。普通に足で捜すよりは早いかもしれない」


 答えたジャワードの声音がこれまで通りの響きをしていて、バタルはほっと息をついた。


「それじゃあ――」

「嫌だね」


 バタルが言わんとすることを察したように、ジャワードは強い口調で遮った。バタルが気圧されて沈黙すると、ジャワードはやや声をやわらげはしても断固とした姿勢は崩さないまま続けた。


「確かにぼくは君を助けたし、放り出すのも不憫だから多少の協力もしているけれど、それはぼくの勝手だ。君の意思は関係ない。君の望む通りのことをする気はないから、期待はするだけ無駄だ」

「人命がかかっていてもか」


 バタルがつい声を尖らせても、ジャワードが動じることはなかった。


「だとしてもだ。君を助けた時点で、ぼくは十分に人助けをしている。これ以上の奉仕はできない」


 これだけはっきりと言い切られては、バタルはこれ以上食い下がるなどできなかった。どんなに親切な人物に見えたとしても、他の魔法使いと同じように、金を積めない人間に技能は売れないということなのだろう。バタルも業種は違えど技能を売る職人の端くれではあるので理解はできたが、やはり落胆は大きかった。


「分かった……おれが悪かった。もうこういうことは言わない」

「そうしてくれ。ぼくへの願いごとは、安くないんだ」


 やはり、ジャワードは他人だ。バタルがどんなに必死であろうとも、彼にとってファナンは顔も知らぬ娘でしかないのだ。それでもこうして少なからぬ協力をしてくれていることに、感謝せねばならない。


 そう思うことで、バタルは突き放された衝撃で心を折らずに踏みとどまった。

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