鬼の棲む街
灰野 千景
─────序・前日譚
プロローグ
─────20××年、5月1日。
ゴールデンウィークと呼ばれる初夏の時期に毎年存在すると言われる大型連休。
多くの人々はその大型連休を利用し、国内外問わず旅行や観光をする者もいれば、遊園地や水族館、動物園などと言った普段の日常では体験出来ない特別な日々を過ごして日頃の疲れや環境の変化によるストレスを緩和させてゆっくりとした日々を過ごす人達が多いとされている。
知る人ぞ知る温泉街、
この温泉街は、その名湯で知られており、観光地の一つとしても有名である。
四季折々の風情漂う温泉街は、古き良き日本の情緒を湛えているかのようだった。
だがその日は、分厚い黒雲が空を覆い尽くしており、ゴロゴロとまるで街に向けて迫るかのような雷鳴と稲妻が、空を切り裂いていた。その黒雲は次第に渦巻いていき、ポツポツと雨が降り出してきた。
そんな雨が土砂降りになるまで時間がかかることはなく、気付いた頃にはさんざめく大雨となって降り注ぎ、空気を震わせる程に轟く激しい雷鳴と共に、朧谷温泉街を深い雨の縁へと覆い尽くしていくばかりだった。
篠突く雨の如く降りしきる街の中、朧谷温泉街の宿泊施設の一つでもある旅館、
人気が殆ど存在しない雨煙が
「明日は晴れるといいけど、これ以上降り続けるようならお客さんの宿泊キャンセルもまた増えそうね。」
「今日の時点で既に何件かキャンセルがあって空室も増えちゃいましたもんね。」
「折角のゴールデンウィークなのに、これじゃあ売上も落ちちゃうわね。」
「そうですね、はあぁ………困りますね。」
朧谷温泉街の山なりに近いとある宿泊施設、古い日本屋敷を思わせるような雰囲気の三階建ての建物が佇んでいた。その旅館でもある月華荘のロビーで、片肘をついて大きなため息を着く二人の女性がいた。
一人は月華荘の従業員であるフロント係スタッフ、田中ゆりとそのもう一人は月華荘を経営する若きオーナー、山田さつきの二人がこの土砂降りの影響を憂いながらただ大きく溜め息を吐くばかりだった。
今でも磨りガラスの外からとめどなく降り注ぎ続ける雨を眺めながら、閑散とした月華荘の様子にただ憂うばかりだった。
本来ならば、このゴールデンウィークの時期になれば沢山の宿泊予約で帳簿を埋め尽くされており、沢山の人の往来がある筈だったのにこの土砂降りの天気のせいで予約のほとんどがキャンセルされている状況だった。
「取り敢えず今日は早めに閉めますか?」
「そうね、もう少し様子を見てそれでもお客さんが来なかったらもう早めの店仕舞いもしましょう。夜の事もあるし、従業員を早めに帰らせることも視野に入れ─────。」
これ以上お客さんを待ってもどうにもならないと感じたオーナーは、月華荘の閉店をしようと考えながら、ふと玄関ホールへと視線を移した時に人がやってきた事にようやく気づいた。
さつきはフロント係のゆりに対して、少し待っててと合図を送り、先に履物を履いて玄関の扉を開けた。
さつきの眼前には、ずぶ濡れになって佇む奇妙な二人組がそこにあった。
「すみません、道中で土砂降りの状況にあってしまって、これ以上進むことも難しいと思って泊まらせてもらいたいのですが………何処か部屋は空いていますか?」ずぶ濡れになった奇妙な二人組のうちの片割れ、黒い狐の面を被った着物を着ている長い銀髪の男性はオーナーに声を掛ける。
ふと、さつきは狐の面を被っている男と一緒に来たと思われる少年にも視線を向ける。
白い手袋をしている男の手を握りながら、俯くように顔を提げている小柄な少年は、その視線に気付いてそっとさつきへ視線を合わせる。
はっと我に返り、さつきは少し待っててと声を掛けながら中に入るよう促す。
「ゆりさん、ちょっとバスタオル二枚持ってきてくれない?二人とも随分とずぶ濡れになってて……風邪ひくと悪いわ。」
「あ、はい!分かりました、今持ってきますね。」
狐面の男と、その連れである少年に気付いたフロント係のスタッフである田中ゆりもその状況に驚きながら、オーナーであるさつきに促されるままパタパタと急ぎめの足で奥へと向かっていく。
ゆりが戻ってくるのを待つ間、オーナーであるさつきは眼前の狐面の男に恐る恐るながら声を掛ける。
「こんな雨の中、ここまで来るのは大変だったのでしょう?」
「あぁまぁ、丁度用事があって此処まで歩いて来たのは良いのですが………急にこんなに土砂降りの天気になってしまいましてね。この近くの山でも土砂崩れがあったようで、立ち往生してしまってので、もし宜しければ此方で泊まらせていただけませんか?」
男は表情の読み取れない狐の面のまま顔をオーナーに向ける。
こんな所で断った所で、彼らにとっては宛がある訳も無かったはずだ。
何処と無く感じる不気味さを払い除け、彼女は精一杯の笑顔を作って男へと微笑みかける。
どうせこの後は特にお客さんも来ない、それだったらこの男性でも泊めてやらねばきっと後味が悪くなる。
「えぇ、構いませんよ。丁度何件かのお客様から、宿泊のキャンセルの電話があって空席が多いのですよ。」
「それは助かった、ではこの子と私でそれぞれ一人部屋にて泊まらせてもらっても良いでしょうか。」
「えぇ、構わないけども………お連れの方はそれで宜しいのですか?」
二人部屋の方が良いのかと思っていたのだが、予想外の反応に思わずさつきは面食らってしまった。
一緒に来た以上親子関係にあったのかと思ったが、わざわざ別々の部屋をしてくる事に何故か違和感を生じていた。
だが、この場で余計な口を挟んでしまってこの空気を変に悪くする事を考えたら、さつきはこれ以上目の前の男性と少年について言及することは出来なかった。
さつきは、その狐面の男の傍らに居る少年にも視線を向ける。
「お兄さんはそう言ってるけども、ボクはそれで大丈夫?」
「………………。」
少年は俯いたまま、小さく首を縦に振って頷くだけだった。
不審に思ってどうしようかと悩んだ瞬間、すっと少年の前に遮るように差し出される男の手。困ったように男は軽く首を傾げながら、少年を自身の後ろに隠すように下げる。
「すみません。この子少し人見知りする子で、あまり話したがらないんですよ。それで大丈夫ですのでお願いします。」
「は、はい……ではそのように承りますね。」
やはり奇妙な、いやあまりにも違和感のある行動に不信感を覚えたが、そんな様子を相手にも伝わったのか変な気遣いをさせてしまったようだった。
これ以上不審がったり、何かを探ろうものなら相手にも逆に怪しまれると思ってさつきはこれ以上の詮索をしない方がいいと直感的に感じたのだった。
程なくして、先程バスタオルを取りに行ったゆりが戻ってきた。
「お待たせしました、此方のタオルをお使いください。」
「ありがとうございます。ほらソラ、君も使いなさい。」
ソラと呼ばれた少年も、狐面の男に促されてバスタオルで顔を拭いていた。オーナーのさつきは、その間に宿泊用の帳簿を取りに行く。
「それでは、此方の帳簿にお名前と何泊宿泊予定かを記載してください。」
「お部屋の方は、どの部屋になさいますか?」
ゆりが差し出してきたリーフレットを手に、狐面の男はありがとうとお礼を伝えて目を通した。
しばしゆっくりと彼は目を通したのか、ソラと呼ばれる少年にどの部屋がいいかを指をさした。
「それではお部屋にご案内しますね。」
「お願いします、それと……もし温泉が空いてるのならば入っても大丈夫ですかね。」
「えぇ、もちろん構いませんよ。個室用のバスルームもありますので、ご自由にお過ごしください。」
「ありがとうございます。」
男は、オーナーに会釈すると案内係に着いて行くようにと旅館の奥へと歩みを進めていく。
さつきは、その二人の背中を見送りながら胸の内側で妙に燻る不穏な感覚を覚えた。
何か、これから良くないことが起こるのでは無いのかと、この時のさつきは一抹の不安を感じながら外に向かって視線を向けるのだった。
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