梅蔭倉介の命の値段

Ep.9 事情聴取

「お疲れ様です。午後の授業は退屈だったみたいですね。」


「それは、暗に俺が冴えない顔してるって言いたい訳ですか……。」


 校内の駐車場にぽつりと停まっていた黒塗りの常用者に歩み寄ると、数時間前に知り合ったばかりだというのに、運転席の窓を下ろしながら冗談めかした挨拶で微笑みを零す女性刑事・漆島が待っていた。


 身振り手振りで後部座席に座るよう促す漆島に従い、傘を閉じてからゆっくりと車に乗り込めば、彼女は倒していたシートを元に戻して慣れた動作でアクセルを踏む。


「そうだ、紫陽花さん。お借りした傘は後部座席に。どうもありがとうございました。」


「いえいえ。このくらい、お安い御用ですよ。」


「お礼と言っては何ですが、これから色々とお伺いしたいことがありますので、どこか適当なところで軽食でも。御馳走しますよ。」


「本当ですか!? やったあ!」


 昼食を取ってからそれほど時間が経っていないにもかかわらず、漆島の申し出を素直に喜ぶ篠莉の反応は、まさに年相応の女の子といった感じだ。放課後は学友と帰り際に買い食いをするのがある種の習性とも言うべき高校生ともなれば、ただ飯を提案されて嬉しくないはずもないだろうが、彼女の精神年齢は学生のそれとは大きくかけ離れている。高校生特有の食欲には敵わないのか、はたまた将来の篠莉も存外に食いしん坊なのか──俺の脳内では、そんなどうでも良い邪推が働いていた。



 ¶



 警察官の運転する車に乗せられているという非日常体験が、特に罪を犯した訳でもないのに妙な緊張感を生じさせる。なるべく平常心を保つよう努めようと、ぽつぽつとフロントガラスを叩いてはゆっくりと規則的に上下するワイパーに拭われる疎雨そうを無言のまま眺めること数分後。依然として学校からそう遠く離れていない濡れた路面を慎重に走っているというのに、車窓の外には、これまた見慣れない非日常的な光景が広がっていた。


「篠莉、あれ……。」


「っ……。」


 そこには、道路沿いの大きな駐車場に併設されたファミレスがひっそりと佇んでいた。しかし、昨日は沢山の客で盛況を博していた店内には明かりも点いておらず、出入口周辺には黄色と黒のバリケードテープが縦横無尽に張り巡らされており、テレビ局のものと思しきカメラクルーにレポーター、そして現場の警備に当たりながら捜査を取り仕切る警察官などが、そこで起こったことの異常性を雄弁に物語っていた。


「『日本を震撼させる前代未聞の銃乱射事件』──それが今朝の朝刊のヘッドラインでした。」


「まだ警察は、事件現場で証拠保全や実況見分を?」


 当の篠莉は、至って冷静に質問する。


「良くご存じで。不幸中の幸いなのは、唯一の被害者である貴方の生還と、実行犯の現行犯逮捕です。犯人が所持していた拳銃から放たれた弾丸と、紫陽花さんの体内から摘出されたも一致、監視カメラの映像も残っており、犯人の殺人未遂による起訴及び有罪判決は既定路線かと。」


「弾の線条痕って、一体何ですか?」


 淡々と事件後のあらましを告げる漆島の口から耳馴染みのない単語が飛び出したことで、今度は俺が問いを投げかける。


「銃というものには、内側にライフリングと呼ばれる螺旋状らせんじょうの溝が刻まれていて、それが弾の軌道を安定させて命中精度を高めるような構造になっているんですね。ただし、高速で銃身内部を通過する弾丸には、その溝によって痕が残ってしまう。それが一般的に線条痕と呼ばれるものです。」


「そこまで分かっていながら、今更になって篠莉や俺に何を聞こうっていうんですか……。」


 漆島の話が確かならば、今まさに俺の命が未曽有の危機に直面しているという事情は棚に上げておくとして、少なくとも此度の事件は順調に解決へと向かっていることになる。彼女は犯行に利用された銃の入手経路や共犯者の存否が判明していないことを懸念していたようだが、そんなことなど、俺たちが知ろうはずもない。


「それがですね……。犯人はこれだけの証拠が揃っているにもかかわらず、頑なに犯行に関する自供を拒否しているんです。そればかりか、警察側の尋問に対して、一貫して無実を主張しています。」


「はい……?」


「私も少しだけ取り調べに立ち会ったのですが、監視カメラの映像では鬼の形相で、言うなればであろう犯人は、まるで記憶でも失ったかのように『俺は何も知らない!』の一点張りで。」


「なんですか、それ……。」


 俺の大切な幼馴染を死の淵に追い遣っておいて、醜くも司法の裁きを逃れようとは。素性も知れぬ犯人へのぶつけどころのない怒りや疑問が沸々と湧き上がり、居ても立っても居られない。


「まあ、詳しいことは後程。着きましたので。」


 俺が胸糞の悪い話に業を煮やしている間、車は既に目的地へと到着していたようだ。促されるまま、篠莉の手を取って後部座席から湿ったアスファルトへと降り立つ。そこは、車数台分の駐車スペースしかない、郊外の寂れた喫茶店風の店構えだった。鬱蒼としたつたが伸びて固着した石造りの壁の窓から店内を覗けば、不気味なほどの薄暗さに営業中かどうかも疑わしくなってくる。


「露骨に不安そうな顔をしないでくださいよ……。ここは私の知人が経営している喫茶店です。お察しの通り、これから私たちは少々込み入った話をしなければならないので、衆目は避けたかった訳です。」


「それは良いですけど、ここ、本当にやってるんですか?」


「入ってみれば分かります。濡れてしまわないうちに行きましょう。」


 車を施錠し、すたすたと歩調を早める漆島を目で追い、俺と篠莉は肩をすくめてから後に続いた。



 ¶



「静香、私です。」


 からころと小気味良いドアベルの音を響かせ、空調が効いた涼しげな店の敷居を跨ぐ。静謐せいひつな広々とした店内の端、焦茶色の木で造られたカウンターの奥へと、これまで聞いてきた中で一番大きな声を張り上げる漆島の呼び掛けに答える者は居ない。だが、数瞬の間を置いて、天井から吊り下がるシャンデリアから温かみのある光が辺りを照らしたかと思えば、何者かの足音が近づいてくるのが分かった。


「夏美、貴方ってばまた仕事サボって人の店に上がり込んで……!」


「失礼ですね。今回ばかりは仕事ですよ。」


 ふと表情を緩め、少しだけ嬉しそうな顔をした漆島は改めて俺たちの方へと向き直り、カウンターから姿を現した、背が高く、茶色のショートヘアが特徴的な女性を指して告げる。


「彼女は雲英きら静香しずか──こう見えて、元警察官にして私のバディだった頼れる人です。それも昔の話ですが。」


「は、はあ。」


 切れ長の目から放たれる眼光鋭く、正面で腰に手を当てて佇む気の強そうな雲英と呼ばれた女性は意外にも、漆島と同じく神奈川県警察で捜査官として働いていたらしい。


「今日は少々落ち着いて話ができる場所を探していたので、こうして立ち寄らせて頂きました。」


「ああ、そう。良かったわね、いつでも落ち着ける静かな店があって。」


「相変わらず、聞こえてくるのは閑古鳥の鳴き声だけのようで助かります。」


「そりゃあ日頃から陰気臭い刑事デカが出入りする店なんて、客が寄り付かないったら。」


「酷いですね。それがかつての相棒に向ける言葉ですか。」


「あんたにそれを言われるなんて世も末ね。」


 棘のある口調にもかかわらず、軽妙な皮肉の応酬を繰り返す彼女たちの間には和やかな雰囲気が流れ、あまり喜怒哀楽を面に出さない漆島もどこか嬉しそうだった。


「で、そちらの学生服のおふたりさんは?」


 雲英の問い掛けに率先して答えたのは、先程まで沈黙を守っていた篠莉だった。


「私は昨日の銃撃事件の被害者で、紫陽花篠莉と申します。」


「へえ、貴方が。すぐ近所で起きた事件だったからね。私も知ってるよ。」


 大袈裟な反応こそしないものの、凄惨な事件の当事者が松葉杖に寄り掛かって自力で歩いていることに驚きを隠せないのは雲英も同じようで、目を丸くして篠莉の顔を覗き込んでいる。


「それで、事件発生当時の状況について色々と聞いておきたいことがあったので、当時紫陽花さんと一緒に現場に居合わせていたこちらの梅蔭さんと共に、これから事情聴取にお付き合い頂くところなんです。」


「どうも……。」


 透かさず自己紹介した俺の方を一瞥いちべつし、一連の事情を把握した様子の雲英はひとつ溜息を吐き、カウンターの奥へと引き返していく。


「まあ何にせよ、客は客だ。好きなとこ座って、ゆっくりしていきな。」


「お手数ですが、おふたりに何か軽食を振舞ってあげてください。勿論、お代は私が。」


 その注文に返事はなく、雲英は人数分のグラスと水が一杯に入ったピッチャーを乗せた盆をカウンターに残して厨房へと消えていった。


「仲が良いんですね。漆島さんと雲英さんは。」


「どうでしょう。ただの腐れ縁というだけです。」


 篠莉の言葉に、窓際のテーブルを選んで腰掛けた漆島はジャケットを脱いで空いた椅子の背凭せもたれをハンガー代わりにしながら、自嘲気味に答える。


「静香が警察を辞めざるを得なかったのは、私のせいなんです。」


「えっ……?」


 消え入るような声で呟かれた意味深長な発言の真意を探るべく、今度は俺が追及しようとした途端、先程まで和やかだった漆島の纏う雰囲気が一変する。


「さて、これまで散々貴方たちの質問に答えてきましたからね。ここからは私の番です。」

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