第6話 覚悟

 教会が運営する貧民層向けの病院や孤児院を訪れては、傷病者や子供の世話を献身的に行う高貴な身分の女性がいると噂になっていた。


 行く先々で多額の寄付を行い、それだけに留まらず、自ら病人や孤児の世話を行うと。


 白鹿を思わせる清楚な白いローブを着た公国出身でもある女性は、人々の間で聖女とまで呼ばれていた。




「国民の関心が寄せられています。フリージア様」


 変わらず侍女でいてくれるソフィーが、どこか誇らしげに話してくれた。


「少し大袈裟ではないかしら。印象操作とは、こんなにも簡単なものなのね。当たり前のことをしているだけなのに、怖くなるわ」


 頬に手をあてて、ほぅとため息をついた。


 アンドレアと離婚した私は、王妃としての公務が無くなったので、空いた時間を身近な人の為に使っているだけなのに。


 正直に言えば、離婚された元王妃の印象をあまり悪くしないための打算も少しはあった。


「フリージア様の努力の賜物です。実際に、フリージア様が自ら行動なさって親切な事をしているのですから」


 シシルカ教の教えは博愛と献身なので、それを実行しただけだ。


 当たり前のことでもある。


 リカル公国には私の伯父がいる。


 公国唯一の侯爵家出身のお母様は、ホルト王国のドレッド公爵家のお父様と結婚した。


 その関係で、15歳の時に公国に留学した事があった。


 公国では、15歳になった子女は、必ず教会で奉仕活動を経験しなければならない。


 それは、神学の授業の一貫で行われる事で、その時の教会や病院での活動経験があったので、離婚後の奉仕活動は何でもこなせていた。


 これは、私の悪印象を払拭するための活動だった。


 国民からは、元平民に負けた貴族女性がどんな人物か関心が向けられていた。


 ほとんど公の場に姿を見せなかった私は、様々な憶測を呼んでいたらしい。


 奉仕活動は、また違う目的もあった。


 離婚直後、驚く事に、お父様からオスニエル様と再婚するように言われた。


 いろんな思いと感情が一気に駆け巡って、それを告げられた直後は混乱していた。


 アンドレアには未練などなかったけど、離婚したばかりの私が初婚となるローハン公爵の妻となるなど相応しくないと思ったし、オスニエル様にどれだけ迷惑をかけてしまうか。


 愛人に負けて城から追い出された元王妃など、恰好の噂の的なのに。


 でも、お父様は命令だと言い、オスニエル様はどう思っているか不安がる私に、彼も了承していると教えてくれた。


 それを聞いた途端に現金なもので、あんな素敵な方の妻となる未来が私に残されているのかと、浮かれそうになる自分を窘めたくなったものだ。


 すでに決定事項になっていたとはいえ、一度冷静にこれからの事を考えたくて、そんな意味でも奉仕活動はとても意味のあるものだった。


 ともすれば自分が置いてけぼりになりそうな状況でオスニエル様との結婚が正式に決まり、お父様の勧めもあって、リカル公国の伯父様の養女となったある日。


 心を痛める事件が起きた。


 私達の大切な白鹿がまた、密猟者の手によって犠牲となった。


 犠牲になったのは白鹿だけでなく、追い詰められた先でヤケになった犯罪者は、あろう事か公道を破壊して、道を塞いで逃亡をはかった。


 多くの者が使用する、国と国を繋ぐ道が閉ざされて、大混乱となっていた。


 公国は王国にとっても重要な商用のルートを持っている。


 公国を通らなければ、港を持たない王国に物資が届けられない。


 また、公国自体が聖地として信仰の対象となっている為、巡礼の地として多くの人が訪れる。


 その道が閉ざされて、混乱は必至だ。


 どれだけの影響が出るのか人々を不安にさせたが、その事態を収拾させたのが、その場にいち早く駆け付けたオスニエル・ローハン様だった。


 大規模な密猟団を捕縛し、復興の陣頭指揮を執るオスニエル様の姿は建国の王を見ているようで、人々は英雄と呼ぶようになっていた。


 オスニエル様と騎士団の手によって封鎖が解消され、道が開通して多くの人々が行き交い出した頃に、事実婚状態のアンドレアとジェマが視察に訪れた。


 彼らの目的は民衆を安心させる為ではあったが、その姿は良い結果をもたらさなかった。


 密猟団が違法に乱獲し、無惨に殺された白鹿を見て、信者の怒りは頂点に達していた。


 そんな中、ただでさえ評判が悪く、悪意ある関心を向けられていたのに、タイミング悪く白い革と毛皮のコートを着て豪華に装ったジェマが現れた事で、民衆達に火をつけてしまった。


 蛮行に対する怒りはそのままジェマに向けられた。


 そして、ジェマを庇う国王に。


 ジェマのコートは白鹿のものではないといくら説明しても、結婚式での騒動が報道された今、彼女への疑いは晴れる事はなかった。


 オスニエル様が興奮する民衆をなだめ、穏やかな声で諭し続けなければ、その場で暴動が起きていたかもしれない。


 その日、アンドレアとジェマは、護衛する騎士達に隠れるように城に戻っていったそうだ。


 燻ったものをそのままにして。


 オスニエル様の抱く事後の懸念は私でも分かるものだ。




「ご苦労様でした」


 密猟者達を捕らえ、騒動を鎮め、束の間の休息を得る為に私の元を訪れてくれたオスニエル様に、お茶をお出ししていた。


 オスニエル様と向かい合って、私も座っている。


「陛下の御様子は如何でしたか?」


 私の問いかけに、オスニエル様は力無く首を横に振って答えた。


「私は、アンドレアから面会を拒絶されてしまっています。ジェマと別れさせられると思っているのでしょう。護衛騎士達に迷惑をかけるわけにもいかない為、無理に会いには行っていません。渡した手紙を読んでもらえたらいいのですが」


 婚約者となって、ますます真摯な態度をされるようになったオスニエル様だけど、今はとても憂いた顔をされていた。


 唯一残った肉親のアンドレアの事を、心から心配しているのだ。


 彼にはもう、誰の言葉も届かない。


 私は一年前に諦めてしまったけど、きっとオスニエル様は最後までアンドレアと向き合おうとされるはずだ。


「アンドレアの事が心配です。でも、民衆に犠牲を出すわけにはいきません。このままでは暴動が起きる可能性が高い。覚悟が、必要かもしれません」


 オスニエル様はさらに沈痛な面持ちでそれを告げた。


 オスニエル様が、こうやって私を信頼して話してくれるのは嬉しい事だけど、その内容は喜ばしいものではない。


「私達は変わらず王家に尽くします。公国も力になってくれます」


 せめて、心の負担が少しでも軽くなるように、オスニエル様を支えたい。


 今は一時的に公国民となっている私だけど、私達が忠誠を誓う王族であるオスニエル様を。


「貴女を守ると言いながら、結局また、貴女に犠牲を強いてしまいます」


「そんな事はありません。国を思う気持ちは、オスニエル様と同じです。お辛い立場のオスニエル様のお気持ちを推し測る事しかできませんが、私が力になれるのなら本望です。生まれ持った義務を果たすべく、また、私があの城に赴く事になっても構いません」


 それは不穏な意味を含んでしまうけど、私も覚悟がある事はお伝えしたい。


「自分のこの身に代えても、貴女の事は大切にします」


「その言葉だけで十分です」


 最後に私に向けてくれた慈しむような微笑みは、オスニエル様がお帰りになった後も、しばらく私の脳裏に残っていた。


 不穏な状況下ではあったけど、アンドレアと婚約していた時とはまた違った想いが育まれつつあった。


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