第30話 文化祭が終わったら

 いつの間にか家に着いていた。私は門扉を通って、玄関のカギを開ける。


「ほら。入って。ちなみに今は誰もいないと思う。好きなだけいちゃいちゃできるね。良かったね。未来」

「……詩子もでしょ。うずうずしてたくせに」


 ニヤニヤしているとジト目でみつめられた。でも心なしか頬が赤くて、何か期待しているのが丸わかりだった。


「おじゃまします……」


 玄関で靴を脱ぎながら未来はつげる。私は未来の手を引いて、自分の部屋に向かった。未来をローテーブルの前に座らせると、未来は全身を強張らせた小動物みたいになっていた。


「そんなに緊張しなくていいよ」

「緊張しないほうがおかしいでしょ? だって好きな人の部屋に二人きりなんだよ? しかも親もいないとかいうし……」


 未来は唇を尖らせて私をみつめてくる。私は思わずニヤニヤしてしまった。


「あれあれ。もしかして何か期待してるのかな? やっぱり未来はエロいね」

「詩子には言われたくないよ。私のファーストキスを奪ったくせに」

「ちなみに私は未来にファーストディープキスを奪われたんだけど……」


 ぼそりと告げると、未来は顔を真っ赤にした。


「あ、あれは一時の気の迷いだよ!」

「でも奪われたのは事実だよ? あーあ。次は未来になにを奪われるのかな? 一時の気の迷いとやらでさ」


 カワウソのぬいぐるみが横になっているベッドに視線を向けながら微笑むと、未来は耳の先まで真っ赤にしてしまった。


「ふふ。やっぱり未来をからかうのは面白いね」

「……詩子のばか。私が何もできないとか思ってるんでしょ?」


 突然、未来は顔を真っ赤にしながら私ににじり寄ってきた。


「だから平気でからかうんだよね? 反撃されないって思ってるから」


 睨みつけるような表情のまま、未来は私の肩を押してきた。それも軽くではなく、全体重をかけるような力だった。


「ちょ、ちょっと? 未来っ?」


 私はあえなく床に押し倒されて、未来に見下ろされる形になる。


「教えてあげないとね」


 起き上がろうとするけれど、未来の力が思ったよりも強くて動けない。その間も未来は顔を近づけてくる。はぁはぁと荒い息が吹きかかって来る。顔が熱くなっていく。けれど努めて冷静を装う。


「これでやり返したつもり? 未来はまだまだだね。どうせキスくらいしかできないんでしょ?」


 正直なところ、未来になら何をされてもいいんだけれど。でも未来にそこまでする勇気はないと思う。私にだってない。


 案の定、未来は険しい顔をしたかと思うと、唇に触れるだけのキスをして私の上から退いた。


「だって無理やりなんてしたくないもん。私の優しさに付け込むなんて、やっぱり詩子は卑怯者だよ……」

「……無理やりなんかじゃないんだけどね」


 私がぼそりとつぶやくと、未来はまたしても顔を真っ赤にした。


「い、今のは聞かなかったことにさせてもらいます……。っていうか、早く課題始めようよ。いちゃいちゃもいいけど、課題だって終わらせないと」


 私たちはローテーブルの周りに腰を下ろして、課題を広げる。私は向かいから未来をみつめながら告げる。


「次は水族館だっけ」

「そう。水族館を楽しむために、さっさと課題を終わらせるの」

「お盆までに終わらせられたらいいね」

「お盆はおばあちゃんの家に行くことになってる。詩子は?」

「私は家でゴロゴロかなぁ。友達も泊まりに行ってるから遊べないだろうし」

「そっか。まぁどちらにせよお盆は遠距離恋愛だよね……」


 なんだか寂しい空気が広がっていく。私はそっとローテーブルを回り込んで、未来の隣に移動した。肩を寄せ合うようにしていると、未来は首をかしげた。


「どうしたの?」

「遠距離になるからくっついてる」

「安直だね」


 とは言いつつも未来は嬉しそうだ。私たちは寄り添い合いながら、課題をこなしていく。シャープペンシルを走らせていると、不意に未来がつげた。


「家族会議の話ってしたよね?」

「したね。病気についてだっけ」

「両親が言うには、別の病院なら緩和ケアとかじゃなくて、ちゃんとした治療をしてくれるかもなんだって。でもその代わりにとても苦しむことになるって」

「……治る可能性あるんだよね?」


 私は未来に顔を寄せて問いかけた。


「ゼロではないらしいよ。でもあくまでゼロじゃないだけ。苦しんだ挙句、結局は死ぬって可能性が高いみたい。両親に聞かれたんだけど、なんて答えればいいかわかんなくて。どうすればいいと思う?」


 私としては生存の可能性にかけたい。けれど苦しんでほしくもない。だからすぐに答えられる問いかけではなかった。うつむいて考えていると、未来は微笑む。


「私としては文化祭が終わったあとなら、治療に入ってもいいかなって思ってる。夏休みの思い出もいいけど、学校での思い出も作りたいでしょ?」


 文化祭は十月だ。二か月も先。そんなに長い時間、治療を遅れさせていいのだろうか? そもそも治療を受けるというのは本当に正しいのだろうか? でも未来が治療を受けようと思うのなら、それを否定する理由もない。


 私も未来には生きて欲しい。


「私はいいと思う」

「……そっか。それならお願いがあるんだけど」


 そう前置きをして告げた未来の言葉は、到底受け入れられないものだった。


「文化祭が終わったら、私のこと、忘れてくれないかな」

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