祭壇

百目鬼 祐壱

 マンションの隣には公園があった。大きいとも小さいとも言えない公園だった。鬱蒼と茂る欅の葉が陽光を遮り、夏場でもどこか薄暗かった。

 があがあと鳴き声がした。欅の葉の下を、からすが飛んでいた。一羽ではなく、つがいで飛んでいた。それぞれが、嘴に何か大きなものを咥えていた。ハンガーだと誰かが言った。マンションのベランダからくすねてきたハンガーで、欅の梢に巣を作っているのだと言った。住民がたくさん集まって見上げていた。

「なんだか物騒ね」

「おちおちと洗濯物も干せないし」

「子どもたちも危ない」

「そうね、烏は頭がいいから」

 大人たちの話を、母と手をつないだ私が聞いていた。もくもくと巣作りに没頭する烏たちの姿を、母も私も黙って見上げていた。母の腕には、生まれたばかりの弟が抱かれていた。烏が弟を奪っていくかもしれない。そう思うと、心配だった。弟の名前はまだない。私に知らされていないだけで、もうあるのかもしれなかった。

 つがいの片方が梢に降り立ち、くわえていたハンガーを置いた。その間、もう片方は上空を飛び回っていた。地上の人々を威嚇しているようだった。私は烏の様子を絵にしようと、握っていた母の手を離して、その場にしゃがみこんだ。人差し指で、砂利の上をなぞった。表面の砂礫が脇に押しやられることで、線が引かれる。砂利は思ったより冷たかった。ざらざらとした感触が、人差し指のはらを転がった。烏の絵は難しく、なかなかできなかった。

 烏が、また、があがあと鳴いた。しゃがんだまま顔を上げると、枝垂れた青葉の下から、マンションの様子が見えた。女がベランダで洗濯物を干していた。私はなんとなく立ち上がって、女の方を指さした。あっと大きな声が出た。人々が私を見た。空中を飛び回っていた烏が、私が指さした方をぎろりと見ると、すぐに女をめがけて飛んでいった。人々は口々に、危ないぞ、気を付けてと、注意の言葉を投げたが、女は気づかない。烏がゆうゆうと女の腕からハンガーをもぎ取ると、ため息とも悲鳴ともはっきりしないざわめきが公園に起こった。女は、あっけに取られた表情で、飛び去っていく烏の後姿を眺めていた。

「ああ、かわいそうに」

「烏も最初は気づいていなかったのにね」

「誰も気がつかなければ、大丈夫だったろう」

 大人たちは私の方をちらちら見やりながら、そう言った。母は、何も言わず、しかし申し訳なさそうな顔をしていた。私は泣いた方がいいと思ったが、涙は出てこなかった。代わりに、烏たちがいっせいにがあがあと鳴き始めた。つがいだけでなく、何匹もの烏が公園に潜んでいたようだった。やかましい嘶きに、大人たちは耳をふさいだ。烏たちはいまにも襲い掛かってきそうに思えたが、俄かに、鳴き声が止み、代わりに、大きなエンジンの重低音が聞こえてくる。一台のショベルカーが、公園に向かって走ってきていた。

「そうか、巣を壊してしまえば、いいんだ」

「そうだ、そうだ」

「烏を殺せ」

 大人たちは俄かに活気づいたが、その声も、園内に入ってきたショベルカーの走行音でかき消された。人々は道を譲った。私が描いた砂の絵も踏みつぶされた。烏たちは、何をするでもなく、じっと重機を見つめていた。キャタピラが砂利を巻き上げ、あたりはすこし煙たくなった。ショベルカーはそのまま一本の欅に近づいていった。いちばん大きな欅だった。梢には、いちばん大きな烏がとまっていた。その烏と目があった。烏は、私を見て、そのまま動かなかった。いつのまにか中年の男がすぐ隣に立っていた。ああ、見てごらん、烏が涙を流していると男は言った。その頬に涙が伝わり、すぐに男は高笑いを始めた。半狂乱だった。奇妙なものに対するまなざしを人々は向けたが、男の笑いは収まらなかった。ショベルカーは容赦なくその巨体を欅の幹にぶつけた。樹木が大きく揺れたが、それでも烏たちは飛び立たなかった。クレーン車は少し後退すると、鉄の腕を伸ばし、烏の巣があったあたりを、アームが殴った。

 そのとき、梢に止まっていた烏が一斉に飛び立った。があがあと鳴き声がどこまでも響いていった。欅の梢が何本かへし折られ、空からたくさんのハンガーが落ちてきた。万歳と誰かが言った。先ほどの男だった。まわりの人々も、つられたように万歳の音頭を始めた。万歳。万歳。万歳。私は、なぜか烏の視点から、万歳を叫び続ける人々を見ていた。母も片手で万歳をしていた。もう一本の腕の中では、私の弟だと思っていた何かがこちらを指さして、にやりと笑った。

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