愛を知るまでは 7

 織田先生すら聞かされていなかったようで、千弦の爆弾発言に本気で慌てふためいているのが見て取れた。

「なぜそれを言わなかった?」

「見つけた時から違和感があったのですが、混乱させてしまうかと思ってまして黙っていました。

 私は、消しゴムをなくしたのが今日が初めてではありません。

 先生が預かっているのでもう1回きちんと確かめたいのですが、やはり、あれは今日なくしたものではないと思います。使用具合がきれいに再現されていましたが、名前の書き方に違和感があったんです。私の字だけれど何かが違う。

 そこで、私が以前消しゴムをなくしたことを思い出しました。あれは私が前になくした消しゴムの筆跡だったのでは、と。

 おそらく、以前拾った消しゴムを今の消しゴムの大きさに調整し、刃を埋め込んであそこに置いたのでは、と。

 ですので、先生のやり方では犯人探しは難しいと思い、今、助言させていただきしました」

 先生は教卓の上でぐるぐる回りながら頭を抱えている。

「千弦! 何で言ってくれなかったの?」

 大きな声で、スマホに向かって話しかける。「愛佳さんですか?」と聞き返してきた。

「なので、私の消しゴムはまだその辺に転がっているか、もしくは当人が持っているかと。

 申し訳ありませんが全員ご協力をお願いします。床に置いてある荷物、それから机と椅子をすべて床から持ち上げて、消しゴムや付箋紙の残骸などが落ちていないか確認していただけないでしょうか。

 確認は、隣の席の人同士で行ってください」

 面倒くさそうにええ、と不満が巻き起こったが、織田先生が乱暴にもやるように、と指示すると、荷物や椅子を机の上に載せ始めた。

「あれ?」

 声を上げたのは、千弦の席の2つ隣の高野さんだった。

「そこ、傷がついてる」

 高野さんが指さしたのは、高野さんの席と右隣の武藤むとうさんとの間の通路。近くの席の人がわらわら集まって、最近できたような細い傷がある、と騒いでいた。

「ねえ、これ」

 千弦の前の席の蒔田まきたさんが、消しゴムをつまみ上げる。彼女の隣の席の飯田が、「星野って書いてあるぞ!」と叫んだ。

「どこから出てきたんだい?」と織田先生に聞かれて、「椅子の下に入れていたリュックの下敷きになっていたんです」と話していた。

 じゃあ、犯人は消しゴムを回収していなかったってこと?

 千弦がなくした消しゴムを探さないと踏んでいたのか、それとも、見つけたとしてもあの、刃の突き刺さった消しゴムを田代さんと白崎さんの席の近くに置いたんだろうか――。

「先生、私からもいいですか」

 田代さんが、威勢よく手をあげる。気迫に押されてか、織田先生は「どうぞ」と指した。

「この真新しい傷は、その高野さんの席から私の席に向かって伸びています。これを踏まえて、先生はどうお考えですか」

 手厳しい言いように、織田先生は、「消しゴムに刺さった刃がこすったんだろうな」と答えた。

「この通路は先生が今いる教卓で前が塞がっていますし、狭かったり座っている人で塞がれたりで、席の前後を通り抜ける人もあまりいません。

 しかも、4時間目の英語の時間、この近辺の席の人で机をくっつけてグループワークを行いました。そのときにあんな消しゴムが落ちていれば目につくはずです。

 となると、近くの席の私、高野さん、武藤さん、吉山よしやまの4人か、その間の休み時間にここに集まっていた私の友達たちに疑いの目が向けられることになります。

 なんとかなりませんか」

 急に名指しされた高野さんたちが嫌そうな顔をする。

「疑わないでください」

「でもこの中に犯人がいるなら、私が次の標的にされるかもしれません」

 田代さんがたたみかけるように言うと、織田先生は困り果ててしまったようで、頭をポリポリかきだした。

「持ち物検査か……」

「えー」と武藤さんが不平を言う。

「あ、でも私、カッターなんか持ってないし」

「消しゴムも前から所持していたのなら、刃も事前に埋めておけるのでは」

 ぼそっとつぶやいた吉山に、「それなら検査しても意味なくない?」と武藤さんが同調した。

「あー、今日あのグループに行かなくてよかったわ。

 うち絶対疑われるし」

 戸部さんがニタニタ田代さんたちのことを眺めている。

 各々が険悪な雰囲気になりつつある教室の中で、私は1人、お互いに疑い合うこの空間が居心地が悪かった。こんな風になってほしかったわけじゃないだろうし。

 教卓に置いてあるスマホを返してもらおうと席から立ち上がると、急に視線がこちらへ向いた。

「まだ終わってないでしょ」

 渡會さんから止められたけど、「これ以上千弦に聞かせる必要もないし」と通路を歩いて行く。

「はっきり言って川島さんが一番怪しいからね」

 聞き捨てならない台詞に、足が止まった。

「私?」

「そう、あなた」

 田代さんに名指しされて、私はカチンと来た。

「なんで?」

「だって消しゴム手に入れるのはあなたが一番やりやすいじゃん。よく席に来て話してるの見たし」

「私も考えました」

 スマートフォンの奥の千弦までそんなことを言い出す。

「冗談じゃない!」

 バン、と机を叩いて、瀬那が立ち上がった。

「星野さん、あんたこの半年以上、アイカと一緒にいたんでしょ?

 なのになんでアイカのことを疑えるわけ?」

 顔を真っ赤にして教卓に上がると、私のスマホに話しかけた。

「アイカは毎日毎日あなたに会いに行って、話して、たまにはご飯も一緒に食べることだってあったでしょ? アイカはずっと友達がいないあなたのことを心配していたんだよ。

 なのにアイカを犯人扱い? いいかげんにしてよ! あんたの神経がおかしいよ!」

 スマホに対して思いのたけを怒鳴り散らしている。ヒートアップしていく瀬那を前にしても、周囲のクラスメイトたちが困惑した顔でこちらを見ているのが目についた。

「瀬那?」

「まあ、星野からしたら無理もないんじゃない?」

 戸部さんがあっけらかんと口を挟む。

「笑い者にするために仲良くしようって友達を装って近づくタイプもいるし、いつも席にきて話する仲なら、消しゴムくすねるのだって簡単だしさ」

 へらへらした態度の戸部さんに瀬那がにらむと、「そうねえ」と渡會さんも話に入ってきた。

「その同じくらいの使用感の消しゴム? をつくるのだって、定期的に消しゴムの様子を見なきゃいけないわけでしょ。消しゴムの使い方なんて人それぞれなのだし。

 友達になってあげたのに、調子に乗ったからムカついたんじゃないの」

「あんたらねえ!」

 渡會さんに殴りかかりそうな勢いの瀬那を、私と岡村さんで止めにかかる。

「アイカからも何かないの? 星野さんはアイカを疑ってるんだよ?」

 私は、千弦に疑われているのかもしれない。普通は怒ってしかるべきところなのかもしれない。現に、私はそんなことしていない。

 でも、友達がいないから、心配だから一緒にいたんだろうか。瀬那にそんな話をした覚えはない。

 教卓に上ると、黙って教卓からスマホを取った。瀬那も戻るように織田先生から指示が下る。不服そうだったが、おとなしく瀬那も自席に戻った。

「渡會さん」

 帰り際に、私は彼女に呼びかけた。

「1つ訂正させて。私は千弦が調子に乗ったなんて思ってないよ」

 たまにイラッとすることもあるけれど、そんなのは些細なことだ。渡會さんは不機嫌そうに顔を背けた。

「川島愛佳さん、あなたなら比較的消しゴムを拝借しやすい立場にあります。ですが、それにしては回りくどすぎると思うのです。

 考えてもみてください、例えばカッターナイフを刺した消しゴムで私に嫌がらせするなら、朝教卓の上に置いておく、移動教室の後で私の席に置く、箱にでも入れておく、隠し持っていてあたかも今見つけたフリをする、ほかにいろいろあると思うのです。そもそも既に私の消しゴムを持っているなら、私が消しゴムを再びなくすタイミングを伺わなくてもよいものを。

 そこで、私はみなさんの意見を拝聴して、なぜ既に持っている私の消しゴムがあるなら早く使わなかったのかとか、なぜ教卓のある列の通路の真ん中などというところから見つかったのかとか、いろいろ考えさせてもらいました」

 私たちは、息を飲んで千弦の話を待った。

「私が考えついた理由はただ1つ。

 川島愛佳を犯人にしないことです」

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