第5話 憂国となり



 陽が傾き、世界がセピア色のフィルターを被る頃、ようやく若者達の集いは解散に向かった。

 実際、議論をしたとて何が変わるわけではないが、それでも若者が熱い想いで国を考えるのは良い事だ。

 将来その中から若きリーダーが現れるかも分からない。


「では倪下、私も帰ります」


 どうやら昼間お茶を煎れてくれた青年で最後のようだ。


「えぇ、あなたも気をつけて」

「はい。では失礼します」


 青年達が帰っても、もちろん聖殿には他に神官がいたが、決められた毎日を過ごしているだけで、いたって静かなものだ。

 太陽の傾きと比例するように、聖殿内の活気も落ちていった。

 昔は魔法が学問として盛んで、実際その力により傷を癒せたりする力を持つものもいた。

 精霊の加護の深い北の国出身者が、その多くではあったが、西に於いてはこの聖殿が魔法学の最高峰であった。

 魔力を持った最高神官は賢者と呼ばれ、歴史に名を連ねる中で有名な所では、伝承の大戦で従軍したとされている賢者ユーイの名が高い。


 当時は誇りを持って神官としてこの聖殿で生活をしていたのだろうが、今はその影もなく、貴族の行き場のない子弟の預かり所というのが役割の半分を占めていた。

 騎士王が自らの命の短さを知り、聖剣をこの聖殿に納めた時から、魔法よりは宗教的な意味合いの方が深くなり、今この地にいるのは神官と言う名の、魔力を持たず徳だけを口説く僧侶ばかりだ。

 浮世から離れたはずの最高神官は法王などと呼ばれ、俗世の権力を手にいれた。


 そんな中、異例の若さで法王となった盲目の青年は、その身体的なハンデのせいもあってか、近頃の欲まみれの僧侶の中では珍しく潔白な神官であった。

 人は聖者、又はかつての賢者と言う呼び方で彼を呼ぶ者もいる程で、民衆の人気も高く、国の士官達の信頼も厚い。

 貧しい民衆にも学問をと、自ら開いた集いはいつしか今日のような若者達の集会に成長を遂げた。

 年長の士官の中には、それを良く思わない者もいたが、盲目で欲のない青年法王について、表だって批判することは得にもならず、口にする者はいなかった。


 そんな青年法王の生い立ちは決して幸福ではない。

 先の王のただ一人の子として生まれた青年は、生まれた時の容姿が伝承に似ていると、騎士王の名を付けられた。王家の子供がその名を付けられる事は珍しい事ではなく、それまでも遡ればサーティスと言う名の子供は十数人いた。

 国王にでもなればサーティス何世と呼ばれたことだろう。

 その時点で彼は非常に恵まれた存在と言えた。


 父親の急死さえなければ。


 母親は彼を産みすぐに他界し、父親は体が弱く彼が五つを数えた時には遂に病魔に勝つことができなかった。

 その後に幼い王子の後ろだてとして父王の弟が王位につき、その半年後叔父である現王に王子が生まれると、ここから彼の人生は不幸へと車輪の向きを変えた。


 親と言うものは愚かなもので、生まれた我が子が男子と分かると、自らの跡をその子へと望んだ。

 それは争いの種となり、既に王太子となっていた彼を擁立する者と誕生した王子を担ぐものとの間で王宮内部は二分したのだ。


 そして夏のある日、悲劇は起こった。

 従兄弟が生まれ、叔父夫婦から疎まれる生活を強いられた少年は、二つ歳を取り、いつしか身の危険を感じるようになり、神経を尖らせて過ごしてきたが、それでも事件は起こった。

 口にした食べ物の味がおかしいと吐き出し掛けたその時、何者かがその口を塞ぎ、彼はその劇薬を飲み込まずには居られなかった。

 意識不明で苦しむ事三日三晩。

 ようやく目を醒まして彼は真っ暗な部屋の中に人の気配を感じて言った。


「誰か、明かりをつけてくれないか?」


 近くに居た者達は息を呑んだ。

 夏の昼過ぎ。

 辺りは灯りなど一つもいらないほどに明るかったからだ。


 それから彼の周りから人々は去っていった。まるで潮が引くみたいに一斉に。

 その代わりに彼が感じていた身の危険の気配はなくなった。

 利発で騎士王の再来かと吟われた王太子は、こうして政治の表舞台から忘れられた存在となった。

 それを不敏に思った年老いた神官が王に進言したのは間もなくの事だ。


「王子を聖殿にお預け頂き神官としてお育ていたしましょう。将来、法王とおなり頂ければ王家と聖殿との繋がりも深くなりましょう」


 これなら綺麗な形で少年を王位から遠ざける事ができる。まして毒殺の疑惑の視線を感じていた王としては願ってもない事だった。


 それから十五年。彼は最高神官…法王の位を与えられた。22歳という異例の若さだった。それから更に二年、現在に至っている。


「法王様、そろそろ門を閉じますがよろしいでしょうか」

「ああ、すみません」

「夕陽を見ていたのですか?」

「ええ。景色を見れなくても感じるのですよ。風や匂いで今どんな風景が広がっているのかを」

「そうなんですか?」

「ええ。…それでは私は聖堂でのお勤めをして参ります」

「あ、はい。では法王様のお食事はお部屋に運んでおきますね」


 サーティスはふわりと微笑むと礼を述べ、聖堂へ歩いて行った。

 聖堂には聖剣が奉られており、年に一度の祭典以外は普段、法王のみが自由に入る事が許されており、それ以外では定期的な清掃を兼ねた式典に神官が数人だけ足を踏み入れる事が出来た。

 法王が日に一度、騎士王に祈りを捧げるのは慣例の事で、見慣れた日常だ。

 時折熱心に祈る時などは、一晩出て来ない事も珍しい事ではなかった。

 もうすぐ年に一度の儀式も行われる。その為か最近は長い時間籠られる事が多い事を知っている神官は、夕食は冷めてもなるべく味の変わらない物を頼もうと食堂に歩いていった。



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