第13話 嘘

「では、いくぞ……」


 ソフィアは剣を構えながら間合いを詰めてくる。ジョシュに迷う時間は残されていなかった。負けてしまえば、本当にレインの警護から外されてしまうだろう。レインの副官としてそれだけは避けなければならない。


──くだらねぇことを言ったな……。


 そう思いながらジョシュも木剣ぼっけんを構えた。その瞬間、ソフィアの黒髪がふわりと揺れる。ソフィアは鋭く踏みこみ、右手に持った木剣をジョシュの喉元めがけて突き出した。


──あ、あぶねぇ!! 


 ジョシュは間一髪で避けると、慌てて距離をとって身構える。脳裏に昼間の斬撃がよみがえった。


──また首を狙ってきやがった……。


 ジョシュが警戒しているとソフィアは追撃をしてこなかった。木剣を目の高さに構え、ジョシュを見すえながら目を細める。


「ジョシュ。木剣ぼっけんとはいえ、当たれば無事ですまんぞ」

「……わかったよ」


──仕方ねぇな……。


 ジョシュの目つきが鋭くなった。しかし、口元には笑みを浮かべ、さらには構えまでを解く。木剣を持った右手をだらんと下げ、身体から力を抜いていた。ジョシュからは立ち会いに対する気迫をまったく感じない。ソフィアはギリッと奥歯を噛んだ。


「ふざけているのか? 構えろ」

「これが俺の構えなんだよ」

「……」


 ジョシュの口調はどことなく挑発的だった。ソフィアは苛立ちをつのらせながら再び間合いを詰める。そして、無防備なジョシュの胴体めがけて刺突を放った。先ほどよりも鋭い、躊躇ためらいのない踏みこみだった


 木剣の剣先が迫った瞬間、ジョシュは半身はんみになって刺突をかわす。それと同時に右手を鞭のようにしならせ、みずからの木剣をソフィアの木剣へと打ち下ろした。


 木を打ち合う高い音が響き、ソフィアの木剣が甲板かんぱんに転がる。ジョシュは打ち下ろした木剣を間髪入れずに振り上げた。木剣はソフィアの顎の下でぴたりと止まった。


 ジョシュの斬撃は常人離れした動体視力と反射神経、そして腕力にものを言わせていた。剣技とはほど遠い野性的なそのものだった。ソフィアは何が起きたのかわからないといった様子で目を見開き、固まっていた。こめかみには汗も浮かんでいる。


「俺の勝ちだな」

「……」


 ジョシュは得意げににやりと笑う。ソフィアは現実を受け入れられないのか、しばらく沈黙していたが、やがて小さくうなずいた。不満そうな表情でジョシュを思いきり睨みつける。


「なんだよ、まだやるのか?」

「……」


 ジョシュが尋ねるとソフィアは木剣を拾おうともせずに近づいてきた。そして、両手をのばしてジョシュの首へ回す。


「な、なんだお前……」

「……」


 戸惑う間もなかった。ソフィアは少しだけつま先立ちになり、ジョシュの耳元へ顔をよせる。そのまま耳のふちを軽く噛んだ。その瞬間、息づかいまで聞こえたきがして、思わずジョシュはソフィアの肩を押した。


「お前、何してんだ!?」

「……ウルドの作法を守ったまでだ。わたしは約束をたがえない」


 恥ずかしいのか、悔しいのか……ソフィアは眉根をよせて複雑な眼差しをしている。唇をキュッと結び、ジョシュを見つめながら左手で流れる黒髪をかき上げた。


「ほ、ほら……今度はお前の番だ」


 ソフィアはか細い声で言うと、わずかに首を傾けて左耳をジョシュへ向ける。白い首筋が露わになり、耳元では青い螺旋状らせんじょうのピアスが静かに揺れていた。


 ソフィアの横顔からは約束を守ろうとする気高さが滲みでている。無防備さも相まって、ジョシュには可憐で美しい乙女に見えた。首をねようとした『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』にはとても見えない。



──俺はクソな人間だな……。



 今さらながらジョシュは自分自身の言葉と態度を呪った。ソフィアが高潔こうけつな乙女なら、自分は乙女を騙して近づく下卑げびた狼だ。そう思えて仕方がない。しかし、ソフィアを見ていると『全部嘘だ』なんて言えなかった。


 ジョシュがソフィアの左肩へ手を置くと、一瞬だけソフィアが震えたのがわかる。ジョシュは罪悪感を感じながらソフィアの耳元へ顔を近づけた。


──せめて、俺にとっては本当の『ちかいの儀式』にしよう。


 ジョシュは良心をねじ伏せるように自分へ言い聞かせた。ソフィアの首筋を見つめながら誓の言葉を口にする。



「俺はウルドの狼、ジョシュ・バーランド。俺の牙でお前が傷つくことは絶対にない」



 低い声でささやきかけるとジョシュはピアスを避けて耳の上を軽く噛む。ソフィアはただじっとしていた。やがて、ジョシュが離れるとソフィアは少し困った顔で語りかけてくる。


「すまない、ジョシュ。わたしはちかいの言葉を言わなかった……」


 ソフィアはジョシュをまったく疑っていない。ジョシュの罪悪感は増すばかりだった。

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