第12話 夢から覚めた少女
AIアバターの藍一郎さんと別れを告げて、僕たちが戻るべき場所へと戻るべく、黒いトンネルの中を二人で歩いていた。
「にしても、紅也さん」
「何?」
蒼さんは不機嫌そうな声と顔をして僕を見ていた。もしかしてあの事について恨みを持っていたのでは、とぎょっとしてしまった。
「私の記憶をなくしていることを良い事に、AIアバターといえど貴方が傍にいたとか!もう!!」
「そっち!?……っていっても、箱庭の僕はちょっと違う感じだったでしょう?」
それでも、と言いながら蒼さんは拗ねていた。
「でもね、どちらも貴方よ。AIといえど、貴方。立場や役目が違っていても、紅也さんは紅也さんだった」
嬉しいやらなんとやら。蒼さんの口からそんな言葉が出るとは。消えていった箱庭の僕にも聞かせたいものがある。
「戻ったら、すぐ蒼さんの所に行くから」
「ええ」
もう少しでこの黒いトンネルから抜け出す。今度会う時は現実世界でようやく会えることになるだろう。
「私の所に来たら……抱きしめて?」
「ば、バレないように……ね?」
蒼さんが眠っている病院は僕の勤務先だ。そんな光景を他の人達に見られたら、何言われるかわからない。
「大丈夫よ。私がなんとかするから。これからのことも、そして婚約破棄の取り消しも」
「……それって」
蒼さんはまっすぐとした目で、トンネルの先にある光を見つめていた。彼女は藍一郎さんの遺産で父親と取引をするつもりなのだろう。
「多分、遺産を手放したら私は空庭の家にいられなくなるかも。お父さまは私のこと、いらないみたいだし」
「その時は僕の所に来て欲しい。もう君を一人にはさせないから」
トンネルの出口に差し掛かった瞬間、僕は蒼さんに口づけをした。これは僕にとってこれからの誓いであり、そして共に歩いていくという決意の表しでもあった。それにまだ僕はもう一つ彼女に言いそびれていることが一つあるのだ。それは現実世界で必ずいいたい言葉だから、今ここでは言わないけれど。
「もちろん、貴方の下に行くわ」
そういって蒼さんは笑顔と共に光の中に飲まれていった。これできっと大丈夫だろう、と安心して見送ることができた僕もまた、光の中へ飲み込まれて――そして。
まるで長い夢を見ていたような気分だった。気づけば見知らぬ天井で一瞬ここはどこだ、と思い頭を動かす。
「紅也!」
「……りょく、と……?」
傍には緑都がいて、笑顔で僕の帰りを出迎えてくれた。ああ、そうだここは緑都の家だと思い出す。ゆっくりとその身を起こすと、酷い倦怠感が襲ってくる。
「僕は戻ってこれたみたいだな……。急いで、病院に――」
ベッドから慌てて降りようとしたら、足に力が入らなくなっていて、その場に倒れかけたのを緑都が抱き止めた。
「おま、バカか!長時間あの世界にいたんだから、倒れかけるのは当たり前だ!」
「あはは……何時間くらいそこにいた?」
「6時間くらい」
その時間を聞いて僕は緑都の部屋にある時計を見た。そういえば緑都の家に行ったのは夜勤明けの午前9時くらいだったのを思い出す。そして今は15時過ぎたところだった。
「ごめん、緑都。蒼さんのいる病院まで連れて行ってくれない?」
「……鍵。車の」
不機嫌そうな緑都の手に、僕の車の鍵を手渡す。僕は緑都に支えてもらいながら、車に乗り込んで運転を緑都に任せて病院へ向かうことにした。
道中、緑都はぶつぶつとつぶやきながら運転をしていた。そういえば緑都は普段あまり運転しない人だから大丈夫だろうか、と一瞬過った。が、ここで僕が言ったところで僕は運転もできない状態だ。彼に任せるしかない。
「……お嬢サマとは仲直りできたか?」
「うん、できた。お互いに意思疎通が下手だったっていうのはよくわかったよね」
「お前、医者のくせに本命に対しては会話がダメダメなんだな」
胸が痛くなるような言葉だった。仕事では上手く図れているけれど、一方で好きな人となれば意思疎通が弱くなる。これは僕がヘタレというやつだからなんだろうか……と軽く落ち込んだ。
「でも、よかったな。現実に帰りたくないって言われないで」
「そうだね。本当に……よかった……」
「でえっ!?ちょ、おま、泣くなよ!」
安心してしまったのか、僕は車の中で泣いてしまった。まだ蒼さんの顔を見ていないとはいえ、それでも彼女がこちらへ戻りたい、僕と共に生きたいと願ってくれたのなら、それで良いと思った。僕という存在が彼女にとって生きる理由となれたなら、それでいいのだから。
病院に着く頃には、倦怠感も無くなって普通に歩けるようになっていた。それを見て緑都は車の中で待機していると言って、僕を見送った。
急いで蒼さんがいる病室へと向かう。とはいえど、病院内で走るのはよろしくないので早歩きで。途中で看護師たちに色々声をかけられたが、忘れ物をしたといってその場を去った。そうしてやっとの思いで、蒼さんがいる病室前まで来た。彼女は無事目覚めているだろうか、とハラハラしている自分がいる。いや、目覚めていると信じ、僕は病室のドアを開ける。そこにはベッドの上でぼうっとした雰囲気で起きている蒼さんがいた。
「蒼さん……」
「……長い夢から覚めた、ってやつかも」
手には本型デバイスを握りしめながら、蒼さんは涙を零していた。よく見るとVR箱庭に大きなヒビが入っている。
「おかえりなさい、蒼さん」
「ただいま、紅也さん」
空庭 蒼という少女が見た箱庭『蒼空庭園』の夢は、これで幕を閉じた。これからは不自由のある現実世界を歩いていくけれど、僕はそんな彼女の成長をこれからも見届け、支えていく。
再開を喜んでいると、病室のドアからノック音が聞こえ、そして間髪入れずドアが勢いよく開かれた。
「ここか、空庭 蒼っていうクラスメイトの病室は!」
「おばか!墨ちゃんうるさいから!!」
勢いよく開けられたドアの先に立っていたのは、独特なポニーテールでいかにも暴れますという顔をした少女と、それを止めるのに苦労するウェーブのかかったセミロングヘア―の少女だった。僕はこの二人を見たことがある。
「ネロとロズってまさか……」
僕は咄嗟に蒼さんの方を見ると「なるほど」といってなにやら納得した顔で言っていた。蒼さんは小声で「そういえばこの二人、私が一応通っている学校のクラスメイトなの」と教えてくれた。もしかしたら蒼さんは無意識に彼女たちを目撃し、そしてそれが箱庭世界のNPCとしていつのまにか作り上げてしまった……ということになるのだろう。
「貴女たち、いきなり入ってくるのは失礼では?」
「もー、本当にごめんなさい!あの、あの、お見舞いのお花置いていくので!」
「んだよ、まだアタシ話を――」
ネロのモデルになった少女が、にかっと笑いながらこちらを振り向く。
「おい、元気になったら学校に顔出せよ!待ってるからさ!!」
そういって彼女たちは足早にこの病室から去って行った。一体なんだったのだろうと思ったが、あの二人はもしかしたら今後蒼さんにとって良き理解者になるのではないだろうかと思った。
「早く体調を整えないとだね」
「……そうね」
二人でくすくすと笑った。蒼さんは少しだけ痩せてしまったけれど、それでも笑顔はあの時のまま。
「僕が基本付いていられるように病院側で調整してみるからさ。頑張ろう」
「ええ、頑張るわ。……貴方と一緒に、ね」
――約一ヵ月半の眠りから覚めた少女はようやく眠りから覚めた。そしてその時は、彼女にとって新しい世界の幕開けの合図だ。
第12話 END
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