第6話 後悔と決意

 休日。僕は緑都に呼ばれて、彼が住むマンションへ向かった。

「で、何があったんだい?」

「……んー、箱庭世界がちょっと」

 緑都にしては珍しく真剣な眼差しをしている。それでも手はきちんと動かして、キーボードを叩いてはいるが。

「あっちの紅也からの報告もらって、同時にちょーっと箱庭のデータを送ってもらったんだよね」

 箱庭世界にいる僕。この間、彼からの報告を見て僕は少し悩んでいた。蒼さんを、現実世界に戻すべきか否か。この言葉を見て僕は今日まで、頭を悩ませていた。それは僕も薄ら思っていたことだ。彼女にとって現実世界は非常に苦しくて、生きるのに耐えがたいことが沢山ある。だが、箱庭世界だと何一つ不自由なく過ごせるから、彼女にとって最適な空間であることは確かである。

「実はな、このVR箱庭の世界が少しずつ崩壊に向かってるんだわ」

「!?」

 どういうことだと僕は緑都に問いかける。すると、緑都は少しため息をついて話始めた。

「それが、このデータが一部破損していたんだよ。それで今少しずつだが、箱庭世界の崩壊が始まっている」

「なっ……!」

 緑都の説明では、このデータの崩壊が本格的に始まれば箱庭世界にいる蒼さんの意識は失われ、場合によっては死ぬかこのまま眠りから覚めないなんてこともあるかもしれない、と。これに関しては、どうやらVRデータの劣化もあり、その影響でデータの崩壊につながっているらしい。

「で、これを食い止めるというか脱出する方法が一つあってな」

「あるのか!?」

 パソコンのモニターに映し出されたのは、ゲーム等に出てくるような依頼書だった。そこにはこう書かれている。

『箱庭にある「眠りの森」にて、正体不明の人物を探し出せ』

 どういうことなのかいまいちわからなかったが、緑都があのソフトを解析した結果、そういうイベントものが仕込まれていたそうだ。そのイベントはこの箱庭世界の終わりを告げる、いわばエンディングにつながるイベントだ。

「それじゃあ、これをクリアすれば」

「お嬢サマは解放されると思う。エンディングロールを見て、この箱庭世界から強制的に追い出される仕様になってるからナ」

 ようやく彼女が箱庭世界から抜け出す方法を知り、僕は少しだけほっとした。だが緑都はなぜか表情が重い。

「けどねー一つ問題があって。このイベントを開始したら、眠りの森に猛獣出てくるっぽいんだわ」

「え」

 イベント内容の把握のために彼はさらに探っていたのだが、その時に知ったそうだ。この世界では剣や魔法といった類はない。なのになぜかそういう設定にされていたという。

「猛獣と言っても、オオカミ的なやつ?が出てくるんだけどね。だからこれ、お嬢サマとあっちの紅也だけだとかなり危険じゃないかな」

 ようやく見つけ出した方法にも欠点があり、僕と緑都は頭を悩ませた。何か援護できるアバターを作ろうにも、残された時間的に難しい。新しい技を箱庭世界の僕に与えようにも、彼にそういうことができるというシステムを組んでいないため、これもまたダメ。

 そしたら箱庭世界にいる誰かに頼るしか、と僕が思った瞬間だった。そういえば、いるかもしれないととある人物を思い出す。

「あのさ、蒼さんの友人っていう子。ネロって言ったかな。あの子、いつも鍬を持って素振りしているっていう話をあっちの僕が報告してたよね」

「NPCに頼るってか。なーるほど!」

 ネロという少女は元々闘争心が高く、いつも鍬を振り回している少女だ。正直、女の子に頼るのはどうかなとは思ったが、状況が状況だけに頼りたい。

「それじゃあ、この話をあっちの紅也に渡しておくわ」

「……うん」

 それについて僕は少しだけ不安が過る。もしも彼が、箱庭世界の僕が、このイベントを発動しなかったらと思ってしまったからだ。彼は蒼さんと共に、箱庭世界と消えゆくのを望んでしまったら――それだけが、僕にとって懸念材料だった。

「なあ、緑都」

「なんだい?」

「一つ、相談があるんだ」

 緑都なら可能にできるかもしれない、と信じているからこそのとある相談だ。これは賭けになるかもしれない。けれど、僕は緑都の力に賭けたかった。



 緑都の家を後にし、僕は車で自宅に戻ろうとした。けれど、そんな気にならなくて僕はある場所へと走らせる。道中で花屋に寄り、とある人に手向けるための花を買った。そして着いた先は――

「ここに来るのは久々……かな」

 沢山のお墓たちが並ぶ場所――霊園だ。この奥に、藍一郎さんが眠る墓地がある。一本道を歩いていき、その場所へ着く。花を墓地の前に置き、僕は静かに手を合わせた。

「……お久しぶりです、藍一郎さん」

 そうつぶやくと、どこからか風が吹いてきた。今日は穏やかな晴天日和だ。もうすぐ初夏の季節となる。蒼さんが眠っている間に彼女の歳が一つ増えて、そして祝いの言葉すら届けることもなく、彼女は箱庭の夢を見ている。そんな晴天の日に、あの人が空から笑っていそうだな、と感じた。

「蒼さんが貴方の作ったVR箱庭に旅立って、一か月が過ぎました。貴方は何故、孫娘にあれを渡したのですか?」

 それともこういうことが起きることを予想して、あのVR箱庭をあらかじめ渡していたのだろうか。……もう亡くなっているから、答えはわからない。

「あの世界はもう、崩壊に近づいていることを知りました。……僕もそれなりに覚悟を決めてます。でも、僕は――」

 穏やかで暖かい風がまた吹いた。瞬間、何か水滴のようなものが手に落ちた。僕は気づけば、涙をこぼしていた。

「謝りたい、蒼さんに。僕は本当に後悔をしているんです。何故僕はあの命令に従ってしまったのか。僕は、馬鹿だ……」

 まるで懺悔室で懺悔をしているかのように、次から次へと言葉が溢れ出てくる。蒼さんが倒れ、そして意識が全てVR箱庭に行ってしまったあの日から、僕の心はずっと後悔だけしかなかった。彼女を泣かせるためにこの三年間一緒にいたわけじゃないというのに。彼女が一秒でも多く、健やかに、幸せに暮らして欲しいと願ってきたというのに。

「蒼さんに嫌われてもいい。僕は必ず彼女を、連れ戻します」

 涙を拭き、僕は墓前から立ち上がる。何か決心がつきたくて、僕はここに来た。藍一郎さんに事を見守っていてほしいと思ったのもある。

 穏やかな風がまた吹いた。まるでそれは「行ってきなさい」と言われたように、風が背中に当たった。

「……それじゃあ、頑張るかな」

 蒼さんが帰ってきた時には彼女を外へ連れ出して、行きたかった場所へ出かけたい。……彼女に嫌われていなければの前提だけれども。

 箱庭世界の僕は今、何をしているのだろうか。それだけが少し気がかりのまま、僕は藍一郎さんの墓を後にした。


第6話 END

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