SUPINA
鳩鳥九
第一話〝遥かモノクロの向こう〟
(表紙絵はコチラからとなっております)
https://kakuyomu.jp/users/hattotorikku/news/16817330664850554141
夜が明けたから目を開ける。だけど、何も見えない。
この世界の人間は、寝ているとき以外は必ずメガネをかけている。
否、寝ているときでさえ、殆どの人がメガネをかけている。
この世界の住民は皆、メガネをかけているのだ。
「あら起きた? 朝ごはんもう出来てるから」
「む~」
私は意識が覚醒したからメガネをかけた。
寝返りを打っているときにメガネを取りこぼしてしまったのだろうか。
枕元に何気なく置いてあるそれは、この世界の生命線とも言えるものだった。
この道具の恩恵を受けなければ、人が見える視界はたったの〝1m未満〟である。
「お母さんは今日いつ出かけるの? 」
「今日は夕方からね。キノコが一番光るから」
「ふ~ん。なら時間あるね」
私のお母さんや、村の老人のお話を聞く限りだと500年前……
突如起こった正体不明の超常現象〝SUPINA〟によって世界は深い霧に包まれた。
その霧は全ての無線を妨害し、狭い視界のせいで数え切れない事故が起こった。
人々は目の前がどうなっているのかさえ分からず、明日の食事にも困ってしまった。
飛行機は落下し、発電所は朽ち果て、連絡手段は潰えた。
「よく眠れた? 」
「うん! とっても! 」
先史文明の多くは無線や電気に頼った生活を送っていたため
急激な生活水準の低下に耐えられず、各地で人口が極端に減っていった。
〝5m先まで霧を見通せる特別なメガネ〟が開発されるまでの長い長い時間……
世界中が振り払えないモノクロの霧の中で、鮮やかな物を誰も見たことが無い時代がやってきた。
そんな綺麗な模様や色を識別しにくい世界にも人々は順応していった。
その日の飢えを精一杯凌いでいるうちに綺麗な色に対する渇望も薄れていった。
人々は色に飢えている自覚さえ忘却した。
そして、世界が霧に包まれてから500年
私たちのご先祖様は霧から視界を広げる唯一の手段として
特別なメガネを研究しながら小規模のコミュニティを築いていた。
私はこの村の中で、すくすくと育っていった。
「時間あるけど……どうしたの? 」
「〝キノコの市場〝で本を買いたいんだけど……いいかなぁ? 」
「あそこはダメよ、嘘の本ばっかりなんだから」
「え~……」
柵で囲まれた鶏が生んだ小さなタマゴで作った目玉焼き
視界が狭くても数人で見張ればなんとか管理できる小麦畑で取れた小麦粉クッキーのようなもの
正体不明の霧の水分を吸い込んで育った様々な食用キノコはこの時代の生命線だ。
それらを、曾祖父の時代からあった大切に使われているボロボロのスプーンとフォークで食べる。
「お母さんわかってないなぁ、嘘の本なんかじゃないよ。
ご先祖様からのプレゼントだよ! 」
「あんなの嘘に決まってるわ。皆騙されて危険な旅に行っちゃうんじゃないの」
霧、メガネ、キノコ……この3つの文化軸が、私達の生きる基盤になっている。
「……危険じゃないもん、冒険者用のメガネならもっと視界が広がるもん……」
「あんなの普通のメガネと変わんないわ」
「違うもん、5mが10mになるんだよ!? きっとすっごいんだよ!? 」
お母さんがため息をつく。お母さん自身も普通のメガネしか持っていないのだが、
娘が危ない目に合うかもしれないということを思い、市場に行かせようとしない。
「お母さんも、お父さんもね、市場のおじさんとは仲が悪いんだから……
ルカが行っても本なんて売ってくれないわ。聞き分けなさい。
冒険ばっかりするおじさんはね、意地悪な人ばっかりなのよ」
冒険者を多く輩出し、冒険の戦利品で村を活気付けるキノコの市場
そこで稀に、先史時代の道具を見つけてきて売っているのだ。
私は幼いころ、そこでこっそり小さな絵本を買っており、いつまでも大切にしていた。
「えー……だって……」
「だってじゃありません! いい? あの市場に行ったら危ないのよ!?
欲に眼が眩んで……メガネが曇って……冒険なんて馬鹿な真似をしちゃうんだから! 」
滅多に怒ることのない優しいお母さんも、市場と冒険のことになると人が変わったかのように怒った。
市場でのオークションで一生を棒に振った村人は多い。
村の外の未知の領域に唯一触れることができるイベントだからである。
お母さんの一族は皆、市場を利用せずコツコツと服を作る一族だった。
市場に魅せられた者は高望みをしてろくなことにならないと、毛嫌いしているのだ。
だから今日もお母さんは、皮とビニールの破片で濡れても悪くならない合羽を編む。
私はそのお母さんの丸い背中を見て、親戚の中で自分だけ疎外感を持っていたことを感じていた。
「……あなた、まさか……」
お母さんは、フォークをテーブルに置く。わなわなと手が震える。
カッとなってメガネを外そうとしたが、一度外してしまえば家の中でさえ
私の顔が見えなくなってしまう。
だからお母さんは必死に怒りを堪え、私に〝説教〟をした。
「まさか、市場だけじゃなくて……冒険に行くとか言わないわよね? 」
私は俯いて、コクリと頷いた。消え入りそうな声で言う。
「うん……」
私は冒険することに強い憧れを抱いていたのだ。
いいえ、違う。勿論冒険もしてみたいけど、それよりも
私はもっともっと色んな〝色〟を見てみたいのだ。
もしかしたら冒険家の人たちはカラフルな外の色を知っていると思うから
「馬鹿な事言わないでよ! 村の外は本当に危ないのよ!?
真っ青な海も、耳が長い人間も、空を飛ぶクジラも、全部御伽噺のことなの!
お母さんはあなたの事が大事なの! 市場も冒険もダメ! わかるでしょ!? 」
お母さんに腕を引っ張られた。反抗はできなかった。謝っても遅かった。
そのまま外に連れ出され、メガネを外す様に強く言われた。目から泪が零れた。
何も見えなかったからだ。怒るお母さんの顔も見えない。すぐ傍に慣れ親しんだ家があるというのに……
「いい? こんなに怖いのよ? 大昔の人は〝夜〟が怖かった。暗かったから……
でも、今は〝朝〟も〝昼〟も怖い。一歩進めば、崖があるかもしれない。
這いつくばらないと地面を見て歩けない。
メガネがあったとしても……たった数m……走ることもできない……」
反抗する意思はあった。そんな説教に負けないと強く思った。
しかし、メガネを外された状態で強く説教をされると萎縮してしまう。
遥か向こうの景色が見たかった。それなのに、目に見えない仄暗い怪物がすぐ前にいるようだった。
「は、走る練習はみんなしてるもん!
メガネを付けたままなら……早く歩く練習……お母さんだって!
冒険家の人の訓練にもなるからって……走る練習!! 」
市場の人間にとって、冒険者は村の憧れだ。
彼らが冒険をするために必要な〝閉ざされた視界でも早く歩ける訓練〟は
この村なら誰だってお遊びでやったことがあるし
お年寄りの中では健康を保つ体操のように身近なものがあった。
私はそれが好きで沢山練習してる。まだ慣れないけど
「バカ! あんなのお遊びじゃないの! 馬鹿な真似しても意味ないわ!
お母さんは絶対許さないんだから!! 」
私は睨みつけられて萎縮してしまった。
そして思わずお母さんが怖くて謝ってしまったのだ。
「……ごめんなさい……」
そして私は家の中に戻った。方位磁石も地図も、私の手元には無かった。
お母さんの作る服を縫合するための糸だけが、自分の未来を押し付けて縛る。
親子喧嘩になって、親にメガネを取り上げられた瞬間、この世界で生きることは難しくなる。
けれど、そんな現実なんてものともしないような、〝色〟が霧の外にあるのかもしれないと思うと、
私はその感情を押さえつけることができずに、また遠くを向いてしまう。
いつまでも食べきれない朝ごはんをフォークの上に乗せたまま、彼女は遠くを見上げる。
※※※
お母さんは機嫌を損ねたわけでは無かった。
反省の様子が見られた途端、また〝いつも〟に戻った。
昼過ぎにはいつもの仕事をしたし、夕方にはキノコを採りに行った。
夜にはお父さんが帰ってくるので、お母さんはシチューを作った。
歯を磨いた。水分と石灰の混ざった液体をボロ布に浸し、身体を拭いた。
寝る準備をして植物と虫の音を聞いた。夜に眺める星が無いので、歌を歌った。
私の世界は生まれた時から、目隠しをされている。
おかげで鼻は利くようになったけど
〝青〟も〝ピンク〟も〝オレンジ〟も絵本のお話でしか聞いたことが無くって
それに近い色があっても、この村ではぼやけてばかりだった。
「……メクジラ」
数年前、こっそり忍び込んだ〝キノコの市場〟のカーテンの色を思い出す。
村の、若者やお金持ち、お調子者や退屈な日々に飢えている人が皆集まる。
子供の私でも買えるようなモノは一つしか無かった。
そこには赤や緑……初めて見るような色があった。
けれど、そこに展示されている色は、外の世界のごく一部だという。
この村の外……霧の中にはもっともっと、見たことのない先史時代の宝物があるというのだ。
「……」
そこに行けば、もしかしたら……
市場で売られている高価なものよりも更に、貴重で鮮やかな物が手に入るかもしれない。
広大な自然の緑、深く透き通るような青空、反射して照り返す砂漠の黄色の砂……
大人や村長達が御伽噺だと鼻で笑うモノの中には、きっと現実に存在するものだってあるんじゃないかと……
こんな霧が無ければ、もっとこの世界は美しい物に溢れていて、それらを自由に見れるのだ。
そう信じずにはいられなかった。思わずボロ布の枕を抱きしめる。
心臓の高鳴りを、お母さんに聞かれないように目を瞑る。
「……もっと度の強いメガネがあれば……私だって……」
冒険者用に市場が提供しているシルバーランクのメガネが羨ましかった。
そのメガネを受け取るということは、冒険で得た報酬の一部を市場の見世物として納めるのだ。
ハイランクのメガネであればあるほど、職人の腕と材料の質が問われるので、
冒険に出ない者は、お金を出してもいいランクのメガネは手に入らない。
戦場に出る兵士と、貸し与えられる剣や旗のようであった。
「……別に、このメガネでも……外を出歩くくらいできるし……」
お母さんの怒った顔と、普段の優しい顔が交互に脳裏によぎる。
〝キノコの市場〟の人々を不快に思っている人は数いれど
一族、家族単位で絶縁しているのはそこまで多くないはずだ。
どうして自分だけ、ここまで焦がれてしまったのだろう
「……家出……しちゃおうかな……」
願う流れ星も見えないような、家の天井だって裸眼だと見えないような
閉じなくてもいいような瞼を、私は閉じた。
一晩中考えたいことがあるのだ。
考えたいことが、感じたいことが沢山、沢山あったのだ。
※※※
朝がやってきた。また、霧で屈折した太陽の光の残骸が布団の上を情けなく彷徨う。
結局家出はしないことにした。その代わり、あまり行ったことのない所にこっそり行くことにした。
お母さんには友達の家に行くということにして、夕方くらいには帰ってくればいい。
具体的にはどこまでが危険で、どこまでが冒険者しか進めないところなのか。
その途中に珍しい物が無いか、1人でどこまで進めるか確かめたかったのだ。
「普通のメガネだから走ると危険だけど、うん。結構見えるし大丈夫よね」
夜な夜な、ワクワクを抑えることができず、結構本格的に準備をしてしまった冒険セットがあった。
旅の装備は身軽であるべきだという妄想にも答えてくれる素敵なリュックだ。
〝メキキダケ〟が3本もあるし、ロープや刃物も揃えてある。
真夜中の自分がどれだけ、眠れなくなるまでそわそわしていたか一目で伺えた。
「毎日ちょっとだけ……歩ける範囲を広げていけたらな」
生まれるずっと前から一緒に過ごしてきた霧の湿度も、こうなれば旅のお供として頼もしい。
村の北側の森には、キノコと同じくらい、樹木も高くそびえ立っている。
昔なら、針葉樹林だかなんだかの分類分けがされていただろうが
キノコの世界進出に伴って、世界中の植物がシャッフルされて生態系もバラバラだ。
混沌とした母なる大地は彼らとっては、たったの500年……模索中というところだろうか。
「ん~」
背伸びをする。水を多く含んだ泥と苔の感触が靴を汚す。
この世界のフクロウは朝も鳴く。腐った落ち葉にも負けずに、霧深く鳴く。
あのお母さんの顔を忘れるには丁度いい冒険日和で、思わず鼻歌を歌う。
音と光と匂いと、たった5mのモノクロの世界を頼りに、私は歩く。
木の枝を折り、雑草をかき分け、冒険者以外は進めない立て札までついた。随分歩いたようだ。
「この時間は絶対バレないの知ってるよ。
みんな遠出してるんだから……いいなぁ遠出、私もしてみたいのに」
1人の時間が長ければ、退屈な時間が長ければ、どうしても独り言は増える。
私はそんな性格をしていた。だから今は、自分がこれから歩く道と会話をするように歩く。
返事をしてくれなくとも、今はいい。やまびこが聞きたいのなら、いつか山にも行けばいい。
「あれ? ……崖だったんだ……危ないなぁ」
まるで森が続いているかのように、そこだけ急斜面になっている坂道が岩に隠れて、見えなかった。
近くまで来てようやくわかったことなのだ。そこに座りながら、斜面を見る。
メガネの度はなにも視界の広さだけではなく、並行感や奥行き、遠近感にも影響する。
「ここで少し休んだら、今日は帰ろう」
土が思ったよりも粘度が高いようで、掛けようとした足が滑った。
石や岩ごと、斜面に転がるように投げ出された。肩を強く打った。
「きゃ……ちょっと! ……待……」
勢いで、メガネが外れた。そのまま見失った。
13歳の身体は勢いに逆らえず、急斜面を転がっていく。
この世界でメガネを落としてしまったらどうなるか……
私だってよくわかっていたはずなのに、後悔しながら転がっていく。
帰り道を覚えていたとしても、足元が見えなくなるので、かなり危険だ。
「痛……ぁ」
すぐに帰るつもりだった。お母さんの気持ちだって半分は理解していた。
危険だという認識はあった。冒険への渇望が油断を誘ったのか、
焦る、不安になる。視界が一気にぼやけ、目の前がモノクロの怪物に包まれていく。
どうしようどうしよう、とパニックになり頬を両手で抑える。
この時間帯は絶対に見つからない。
ということは村の冒険者の人たちは助けてはくれない。
メガネが無くても最低限、何がどこにあるか屋内でも確認できる。
でもここは外だ。もし危険な動物に出くわしてしまったら……
「メガネ……メガネメガネ......! どうしよう、メガネ……」
(大声を出す? 〝メキキダケ〟で照らす? 帰り道どこだっけ?
そもそもここはどこ? 崖は? 地図は? 看板? ロープ? どうしよう……)
なんてことのない一歩が、とんでもないことになってしまった。
〝死〟のイメージが降ってわいたように浮かぶ。世界に自分一人だけになってしまったようだった。
昨日の説教を思い出して、顔が青くなる。一番思い出してはいけないことだった。
「……ご、ごめんなさ……」
「ねぇ」
振り返ると、1人の男の子がいた。
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