第199話 国鉄のおもかげ
1979年・昭和54年。
ある先輩がまだ大学1回生で19歳の年。
特急「やくも」に乗って、玉造温泉まで行かれたそうな。
ただし、温泉には使っていない。
駅を出て少し西寄りにある歩道橋の上から、山陰本線を行きかう当時の気動車特急たちを見続けていたという。
そして、行き帰りの間、どこかで気動車のエンジン音を録音していた。
当時は、キハ181系気動車。
唯一、米子から岡山まで8両で走る列車での往復だった。
それから45年後。
当時小学生だった少年が、その先輩と同じルートで「やくも」に乗って玉造温泉まで行った。
こちらは温泉にもつかり、その後寿司屋で一杯飲み、さらにはその近くのホテルで土産物を見て買ってきたという。
行きは、スーパーやくも時代の塗装の列車。
帰りは、国鉄時代の塗装の列車であった。
彼は生き帰りとも、スマホとタブレットを使って写真をひたすら撮影していた。
1979年に乗った先輩
行きは岡山9時24分発。帰りは岡山20時26分着。
玉造滞在は、約4時間。
2024年に乗った後輩
行きは岡山9時5分発。帰りは岡山18時40分着。
玉造滞在は、こちらも約4時間。
1979年当時は、食堂車もあった。
帰りの列車で、先輩はポークカツ定食を食べている。
2024年現在は、食堂車はない。車内販売さえも、もはやない。
帰りの列車で、後輩はビールを3本ほど飲んだ。つまみは、特にない。
彼は岡山に戻って、よく行く店のラーメンを締めに食べたという。
時代が変わり、列車を取巻く環境も私たちの生活形態も変わった。
かの後輩が乗った車両、1982年の電化時から42年間活躍したことに。
つまりもうすぐ引退。
現に、彼は帰りの列車より、石蟹駅に止まっている新車を見たそうな。
今どきの列車である。
コンセントは各座席につき、インターネットもつながるそうな。
国鉄の面影は、これで、なくなってしまう。
今どきコンセントもインターネットもない特急列車の座席は、確かに不便。
だが、それを「味わえる」のも、あと少しだけ。
その少しの間に、作家となった後輩の彼は、何を見出し、何を書くのだろうか。
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