カナメの落とし物
黒瀬 木綿希(ゆうき)
第1話
また、夢を見た。小学校に上がるかどうかくらいの小さな男の子と遊ぶ夢を。一人っ子の私がこの夢を見るようになったのは学生時代。たぶん高校生の頃だ。
その子とはおままごとや塗り絵、トランプをして過ごすばかりで外で遊んだことはほとんどない。日に当たらないせいか、それとも生まれ持っての性質なのか肌は緑色の血管が透けて見えるほど白く、髪だって黒とは言い切れないこの男の子のことを私は知らない。知らないはずなのにとても懐かしく感じる。夢の中とはいえ会えるとすこぶる嬉しい。この子も私と遊んでる時は笑みを絶やさないからずっと一緒に遊んでいたくなる。
でも現実は時に残酷で、塗り絵が完成しそうな時やババ抜きでジョーカーを引いてしまった時など毎回毎回いいところで目が覚めてしまうのだ。そして不思議なことに起きた私はいつも頬を濡らしている。夢そのものは決して悲しいものではないし、近々で不幸に襲われた記憶もないのに。
いつかこの不思議な現象を解明したい。けどそうすると二度とこの心地良い夢が見られなくなる気がする。それは少しばかり寂しい。
だから今はもう少しだけこの暖かい夢に浸っていようと思う。そして次こそ問いかけるんだ。
ねぇ、キミと私は誰なの、と。
★ 二〇〇九年(平成二十一年) 秋
それは読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズの野球中継を見ながら夕飯のサバの味噌煮を箸でほぐしている時のことだった。
「結弦。お母さんね。再婚しようかと思ってるの」
やけにかしこまった声でお母さんからそう告げられた私はテレビの音量を下げて「ふーん。相手は今付き合ってる人?」と聞いた。
「知ってたの?」
「そりゃそうでしょ。ウチに掛かってきた電話ってだいたい私が取るんだから」
明らかにセールスマンとは違う男の人の声で〈お母さんはいる?〉と何度も訊かれれば嫌でも察してしまう。最近にいたっては〈結弦ちゃん。弘絵さんいるかな?〉と隠す様子もないのだから。
せめて携帯電話でやり取りしてくれないだろうかと思ったのは一度や二度じゃない。普及し始めて何年経つと思ってんの。
「いいんじゃない? お父さんが死んでもう七年も経つんだし一人じゃ寂しいでしょ。稼いでくれる人が増えると私も助かるしね。ちゃんと大学行きたいから」
「そう言ってもらえると助かるわ。もっと嫌がるんじゃないかと思ってたから」
「私もう高校生だよ。いちいちそんなガキンチョみたいなことしないってぇ」
本音を言うと今の生活が突然変わってしまうことに恐れがある。知らない人をいきなり”お父さん”と呼べと言われても困るけど、まぁすぐに慣れるでしょ。
「そういえば私、その人と会ったことないけど何歳なの?」
「……三十」
せめて九とか八と続いてほしかったのだけどお母さんはいつまで経っても一の位を言わない。つまるところ――
「……え? わ、若くない?」
「まぁ、ね」
だって、だって十八歳で私を産んだお母さんですら三十四歳だ。亡くなったお父さんは生きていれば今年で四十五。それに対して三十……。
「やっぱりマズい、よね。ごめんなさい。今の話は忘れてちょうだい」
「いやいやいや、そこまで話されて忘れられるわけないでしょ。困るよそんな、子どものわがままでやめましたーみたいなの。私が気に病まないといけないじゃん」
「でもねぇ……」
「いいよ。しなよ。結婚」
「そんなムキにならないで。もう一度お母さんとゆっくり話しましょ、ね?」
「ムキになんてなってないもん!」
誰がどう聞いてもムキになっているとしか取れない声で反論した私は勢いそのままにご飯とサバをかき込む。今日の味噌煮は程よく甘辛くできたのにしょっぱいのはなんでだ。
「あとね、もうひとつ言い忘れてたんだけど」
「……なに?」
「お子さんがいるのよ」
「げっ、マジかぁ……。何歳? 男と女どっち?」
「三歳の男の子。来年から年小ね」
「小学生ですらないの?」
それは困る。大いに困る。大問題だ。そんな小さな子がいたんじゃ絶対騒がしくなるじゃないの。その不安が伝わったのか、お母さんは取り繕うように「で、でもね」と続けた。
「すごくおとなしい子だから心配いらないわよ。私も何度か会ってね。人見知りはするけど賢い子なの。どちらかと言うと感情の起伏がないほうだから」
「ま、お母さんが選んだ人なら大丈夫か」
どのみち私は高校を卒業したら一人暮らしをするつもりだったから一緒に住むと言ってもちょっとの間だ。耐えられない期間じゃない。
「お母さん。なるべく早いうちに新しいお父さんと弟くんに会わせてね」
「え、えぇ。なんだか随分サバサバしてるわね」
「ホント、誰に似たのやら」
これはきっと喜ばしいことなのだ。お父さんを亡くして寂しい思いをしているお母さんに再び春が訪れた。母子家庭では経済面をはじめとして色々な困難に見舞われるがそれも一挙に解決するかもしれない。だから喜ばなきゃ。私はそんな風に自分に言い聞かせて最後の切り身を口に運んだ。
「お母さん、ひとつだけ聞いていい?」
「なに?」
「相手の元・奥さんって生きてる?」
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