第23話 警告
秋山の力強い言葉は僕に少なからぬ影響を与える。
やはり、何らかの気持ちを円城寺さんに吐露すべきなのではないだろうか。
でも、自分の中でも、これは単なる憧れであり、恋ではないという気もする。
同時にいつまで自問自答を繰り返すつもりかという疑念も湧いた。
でも、次の瞬間には、こんなフワフワした感情をどうぶつけたらいいのだろう、という気持ちになる。
それをはっきりさせるためにも円城寺さんとの会話の機会は増やしたいと思った。
ただ、これも先延ばしでしかないのは分かっている。
それでも結局、決定的なことを言いだせるわけもなく、次に本を返すときに、会話の糸口として円城寺さんにベランダ男の件を告げてしまった。
「まあ、やめたことはいいことだと思うんですけど、そう簡単にやめられるとは思えないんです」
「そうだろうな。やっている最中は気持ちいいだろう。少年は弓道部に所属しているんだったな」
ただの少年ではなく、弓道部の少年には格上げされたらしい。これは喜んでもいいのかな。
「そうですが、それが誹謗中傷の話と何か関係ありますか?」
「話を聞いていれば今に分かるさ。それで、なぜ、弓というものが発展したのか分かるかい」
「ええと、遠くから敵を攻撃できるからですよね」
「そうだ。反撃の恐れなく一方的に相手を攻撃したい。下手に知恵が回るから、人にはそんな欲求が出てきてしまうんだろうな。ネットでの誹謗中傷も同じさ。自分は安全な場所から相手に暴言を投げつける。これはとても心地良くて、よほどのことがない限り手放せないだろう」
「それじゃ、どうして止めたんでしょう?」
「たまたま何かで忙しいだけじゃないか。それか観察者に暇がなくて見ていないだけという可能性もある」
まあ、確かに秋山は恋路を進むのに忙しい。でも、なんか違う気がするな。
僕の記憶の中の円城寺さんはこんなあやふやな想像で話をする人じゃなかった。
「あの。円城寺さん、何か知ってますね?」
「何のことかな、少年。あてずっぽうでものを言っているように聞こえるが」
「それを言うなら、先ほどの円城寺さんの発言の方が、よっぽど根拠なく言っているように聞こえましたよ。安全地帯からの誹謗中傷は簡単にはやめられない。ならば、やめさせるに至るだけの大きな出来事があったと考える方が自然ではないですか」
「それは推論というよりは願望の色の方が強いな」
「そうかもしれません。でも、数少ない回数ですけど、円城寺さんとお話してきた中で、先ほどの発言が一番適当なものに感じたのは僕の感覚が間違っているのでしょうか?」
「嫌らしい聞き方をしてくるな。間違っていると主張するには、その根拠を私が示す必要があるじゃないか。少しは見直したぞ、少年」
見直したと言われても素直には喜べない。
理屈では勝てないから、僕個人の感じたことをぶつけている時点で、いかにも子供っぽい。
「理屈ではなく、感覚で語ってすいません」
「相手の得意な土俵で戦わないというのも一つの作戦だ。悪いことではない。それに、人の感覚というのは意外と鋭いものだよ。言語化して説明できないというだけで、多くのことを感じ、過去のデータと比較検討しているものだ。私の言い方に違和感を覚えた君のアンテナを恥じることは無い。では、その感覚に敬意を表して、少しだけ秘密を明かそうじゃないか」
円城寺さんは背もたれに体を預けて、両手の指と指を組み合わせる。
「聞いたことは口外無用だ。その範囲には最初に目撃した少年の友人も含まれるが、守れるかい?」
「はい。もちろんです」
「実はな。例のベランダ男がどんな内容を書き込みをしているかの確認をしたんだ」
「え? そんなことができるんですか? 円城寺さんて実は凄腕のハッカーとか?」
「まさか。私にはそれほどの技術は無いし、そもそも他人の通信の中身を盗み見るのは犯罪だよ」
「じゃあ、どうやったんです? 近くのビルの上から高倍率の双眼鏡で覗くとか?」
「泥臭い方法ではあるが、屋外という点を考慮すると悪くない発想だな。その手もあるが……美しくないな。他に何か思いつくかい?」
「いえ、全然想像もつきません」
「実にシンプルかつ簡単な方法だ。公衆無線LANとよく似たIDで私的なルータを設置し開放する。ついでに本物のアンテナとアパートの間にはトラックが駐車しているせいで電波が、あのベランダに飛ばない状況にしておいた。すると、ベランダ男はパスワードを設定していないことをいいことに、私のルータ経由でインターネットにアクセスしたのだよ。つまり私はただ乗りされたわけだな。それで、たまたまルータの先にある私のパソコンでは通信のパケットを監視するソフトが動作していたわけだ」
「それって何かの法に触れたりしないんですか?」
「違法なわけが無いだろう。そんなことを言ったら、個人でWi-Fiルータを設置している家がすべて違法ということになってしまう。自己の所有するもののアクセスログを取ることも問題はない」
「通信の中身を見るのはまずい気もしますけど」
「いいや。中身は見ていないんだ。そもそも、私には暗号化されているサイトへの通信の中身を見る能力はない。私がしていたのは、例えるなら封筒が通過するのを眺めていただけだ。ただ、SNSへの書き込みをしている時間はばっちり取れているのだよ。深夜にレスバを繰り広げているアカウントは多くはない。絞り込んで、捨てアカウントから反応したらアカウントを特定できた。なかなかに酷い内容だったよ。あとはお手紙を書いてポストに投函するだけさ」
「時間もかかるし、準備も大変だったでしょう。思い起こすと、すごく眠そうなときもありましたっけ。そのときは深夜に見張っていたんですよね? どうして、そこまでしたんですか?」
「そうだな。まあ、安全な場所から自分は大丈夫だと思って撃ちまくっている人間の足元に手榴弾が転がってきたらどのような行動をとるのか興味があったということにしておこうか」
「言ってくれたら僕も手伝ったのに」
「馬鹿を言うな。午後二十二時以降に高校生がフラフラしていたら補導されるぞ。親でもない私が一緒に居たら、どんな騒ぎになると思う。しかも、私は少年の通学先の職員だ。余計なトラブルは御免だよ」
「そうですね。思慮が足りませんでした。なんだか、僕が余計なことを言ったせいで、円城寺さんにこれほどご面倒をかけてすいません」
円城寺さんの顔に大きな笑みが広がった。
「私が少年のために行動したというのかい? 随分と自分を高く評価しているのだね。私にそこまで影響を与えうると自信があるわけか」
そういうわけではないのですが。
円城寺さんは黙って僕の様子を眺めていた。
ああ。これじゃあ、僕は自己評価が異常に高い勘違い男じゃないか。
頬が熱くなるのを感じる。
円城寺さんが体を起こした。
「まあ、あながち間違いではないな。私に貴重な暇つぶしのネタを提供してくれる大切なお客さんだ。私もこう見えて木石というわけじゃない。多少はサービスをしようという気まぐれも起こすのさ」
思わず口を突いて出る。
「その気まぐれには好意が含まれていると期待してもいいのですか?」
「好意の種類にもよるがね」
「僕自身、気持ちの整理がついていないなか、このようなことを言うのは変かもしれませんけど、僕は円城寺さんのことがとても気になっています。もっとよく知りたいし、円城寺さんにもその他大勢ではなく、結城陽一として認識して欲しい。それは思いあがった気持ちでしょうか?」
「少年」
これだけ気持ちを伝えたのに呼びかけ方が変わらないことに、僕はこのあとに続く言葉を予測して体を強張らせた。
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