第15話 揺れる思い
謎解きをしてもらった手前、僕には円城寺さんに秋山兄の一件の顛末は報告すべき責任があると考える。
心の奥底ではそれは言い訳だと分かっていた。
単に円城寺さんと話をしたい、いや、顔を見るだけでいいと思っている自分に驚く。
秋山や瑛次が意識させるようなことを言うから気がつくことができたのかもしれない。
僕は今まで円城寺さんのような女性が身近にいたことがなかった。
ミステリアスで変わっていてクールで、僕のことなんか歯牙にもかけていない。
なにしろ、名前も覚えてもらえないぐらいなのだ。
あの声で「少年」と呼ばれる度に尾てい骨の辺りがぞわりとするとはいえ、できることなら固有名詞で呼んでほしい。
一応、職務上の必要性から円城寺さんにも僕が本を借りている人というレベルでは認識されてはいる。
でも、その他大勢扱いだ。
もし、これが円城寺さんを主演とする映画でなら、エンドロールに表示される僕は生徒Aでしかない。
台詞があるだけ、まだ扱いがいいのかもしれないが、僕は円城寺さんの物語の中でも、結城陽一として記録されたかった。
大それた望みだというのは分かっている。
それにしても、僕が円城寺さんに向けるものは恋愛感情なのだろうか?
気になる人ではあるのは間違いないけれど、好きなのか、と自問すると答えはでない。
自分の気持ちもよく分からない一方で、円城寺さんに現在お相手がいるかどうかも不明だった。
あの強烈な個性を受け止められる男性というのもなかなかに居ない気がする。
でも、相手によって態度を変えるかもしれないな。全然想像ができないけれど。
ただ、恋だけでなく人生経験が足りない僕の判断が信用できないというのも間違いない。
誰か信用できそうな第三者の意見も聞いてみる必要がある。
円城寺さんを知っている共通の知人という条件だけで候補は緑川先輩だけになってしまった。
これはこれでハードルが高いが、背に腹はかえられない。
翌日、部活前に話をするチャンスをうかがおうとするが、秋山が一緒なのでタイミングがつかめなかった。
練習中は当然浮ついた話ができるはずもない。
休憩時間は誰かが緑川先輩と既に話している。
そこで、先輩が矢取り当番のときにお手伝いを申し出てみた。
「先輩、矢取りの手順教えてもらってもいいですか?」
緑川先輩は僕の顔をちらりと見て何か問いたそうだったが、何も言わず承諾する。
「じゃ、この雑巾持ってついてきて」
サンダルを履いて的場まで歩いていった。
「急にどうしたの?」
「ちょっと、お聞きしたいことが」
「なあに? 早くしないと的場についちゃうぞ」
意を決して、こんな行動に出たものの、いざとなると言葉が出てこない。
ためらううちに着いてしまった。
「それじゃ、手本を見せるね。右手で安土に近いところを握って矢を抜いて、左手の雑巾で土を拭って。そしたら、薬指と小指で握り直す。持てなくなったら、まとめて左脇に」
言われた通りにやってみる。
それほど難しいわけではないが、ふとした弾みに矢を落としそうになった。
本来一人でも回収できる量なので、すぐに作業が終わる。
「それじゃもどろっか」
ゆっくり歩いているのは気を使ってくれているらしい。
僕はヤケクソ気味に聞いた。
「円城寺さんって、付き合っている人はいますか?」
緑川先輩は迷うような顔をする。
そのうちに射場に戻ってきてしまった。
雑巾を所定の場所にかけ、サンダルを脱いで上がる。
「矢筈巻きの糸の色が目印だから、色ごとに立てる仕切りは分けてね」
言われたとおりに矢立てに矢を戻した。
ストトッという音に混じって小さな声がする。
「まったく分からないよ」
顔を上げると声を出さずに、ナゾダラケというように口を動かした。
うーん。
かなり恥ずかしいのを我慢して聞いたけど収穫は無しか。
しかも、秋山がちょっと険しい顔で僕を見ている。
やれやれ。骨折り損か。
同時に浮き立っていた気持ちが地上に引き戻された。
相手は大人の女性だ。対する僕は小僧と言っていい。
いきなり突撃していっても迷惑にしかならないだろうし、鼻で笑われて終わりだ。
まずは一人の人間として、結城陽一という存在を認識してもらうところから始めよう。生徒Aから進化する過程で僕の気持ちもはっきりするかもしれない。
まあ、いずれにせよ必勝の神様メール事件の顛末は話に行こう。
部活が終わると秋山が体育棟の横に僕を連れていった。
「なあ、結城。先輩と何を話していたんだ?」
「あ、想像しているのと全然違うから」
「お前がそういう人間じゃないというのは分かっているつもりなんだが、心が落ち着かないんだ。なんで二人きりになろうとした?」
秋山の真剣な眼差しに圧倒されてしまう。
それほどまでに緑川先輩のことが気になるのか。ある意味羨ましい。
それじゃあ、中途半端な答えじゃ納得しないだろうな。
「えーと。緑川先輩と共通の知人がいて、その人のことを教えてもらいたかったんだけど、なんというか、あまり大っぴらに話題にしちゃダメな人なんだ」
結局、あいまいな説明になっちゃった。
当選、秋山も怪訝そうな表情を崩さない。
「なんだそりゃ」
「そうだよねえ。なんて言ったらいいのかな……」
急に秋山が納得がいった顔になった。
「つまり、あれか。結城が密かに気になっている相手がいて、先輩はその人のことを結城より詳しく知っているって感じか?」
「いや、気になっているって言っても、好きとか嫌いとか、はっきりしないんだけどさ」
「ああ、分かった。皆まで言うな。あくまで緑川先輩は相談相手ということか。なるほど。確かにあれは弟を見るような表情だ。そうか。疑って悪かった。昨日は結城を応援するって言ったのにな」
「誤解が解けて良かったよ」
「で、俺にはまだ教えてくれないのか?」
「勘弁してよ」
秋山と別れ、複雑な思いを胸に円城寺さんに会いに行く。
部屋の前の見慣れた貼り紙には、『本日担当者不在』と書かれていた。
無精者に見えるのに、毎回書いてある内容が変わっていることがちょっとおかしい。しかも丁寧で綺麗な筆跡だ。
面倒くさそうにしながらも、紙に向かってペンをとる円城寺さんを想像してクスリと笑った。
幸せな気分で扉の取っ手に手をかける。
スライドさせようとして力をこめたが動かなかった。
あれ? 鍵がかかっている。
もう一度試してみたが結果は変わらなかった。
一歩下がって貼り紙を見る。
「なるほど」
自然と独り言が漏れた。
確かに不在だ。
まあ、こういう日もあるだろう。
しかし、その日だけでなく翌日もさらにその翌日も空振りになった。
なにかあったのか不安になる。今日は土曜日なので部活はあるが、一年生は参加してはいけないルールだった。
ゴールデンウィーク明けまでは、不慣れな高校生活なので、生活のリズム作りを優先するようにとのことらしい。
だから、緑川先輩に事情を知っているか聞くわけにはいかなかった。
もどかしいが仕方ない。
今日は瑛次との約束があるので帰宅する。
母は休日出勤で不在のため、瑛次が腹を空かして待っていた。
「千円預かっているけどお昼どうする?」
質問をしつつ、自分はハンバーガーがいいとリクエストする。
チェーンのハンバーガー店で、ポテトとドリンクがセットになったものを頼むと、一番食べでのないうっすいハンバーガーでも五百円はする。
千円あればそれなりに満足できるけどなあ。
「青龍軒にしない?」
僕の提案に瑛次は気乗りしない顔をした。
なんだよ。安くて美味くていい店じゃないか。僕は一食五百円しかもらってないんだよ。
そうは思ったが、瑛次の押しに負ける。
まあ、他の日で帳尻合わせればいいか、とハンバーガー店で食うことを了承した。
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