ほんの少しの勇気――3

「天堂さん。話があるんだけど、いいかな?」


 放課後。グループのメンバーたちと帰ろうとしていた天堂さんに、俺は声をかける。


 モブと見なされていた俺が、カースト上位の天堂さんに話しかけたことで、教室内の視線が一気に俺に集中した。


 天堂さんが静かな目を俺に向けた。さながら観察するような眼差しに鼓動が早まるが、目を逸らさずに、俺は真っ向から受け止める。


 ややあって、俺の意図を見透かしたかのようにまぶたを伏せて、天堂さんが答えた。


「いいよ」

「じゃあ、あっちの空き教室で話せる?」

「ん。OK」


 俺が廊下の先を――天堂さんと雛野が話し合っていた空き教室のほうを指さすと、わかっているとばかりに天堂さんが応じる。


 話し合いの場は設けられた。ひとまず、第一段階は完了だ。


 こっそりと胸を撫で下ろし、突然の出来事に呆然としている雛野へと顔を向ける。


「雛野……さんにも来てもらいたいんだけど、大丈夫?」

「え? う、うん……いい、よ?」


 戸惑いながらも雛野が頷く。


 興味からか、戸惑いからか、クラスメイトたちがざわつきだす。それらすべてを無視して、天堂さん、雛野とともに、俺は空き教室に移動した。





 空き教室につくなり、天堂さんが口を開いた。


「赤川くんは月花を庇いたいんでしょ?」


 天堂さんの声には抑揚がなかった。苛立っているわけではないだろう。面倒くさがっているわけでもないだろう。天堂さんの声から感じるのはむなしさだ。


 希望的観測ではあるが、本当のところ、天堂さんは雛野に素っ気ない態度をとりたくないのではないだろうか? 仲直りしたいのではないだろうか? だから、こんなにもむなしそうな声をしているのではないだろうか?


「月花から事情を聞いたんだと思うけど、だったらきみにもわかるんじゃない? 気持ちを整理したいっていう、あたしの望み」


 俺の傍らにいる雛野が、つらそうな表情で胸元をキュッと握る。そんな雛野のほうを、天堂さんが見やった。


 ほんの一瞬、天堂さんの顔つきにうれいが滲む。俺の予想は希望的観測ではないようだ。天堂さんは、雛野と仲直りしたがっている。


 天堂さんが金の髪をクシャリとつかみ、憂鬱そうに溜息をついた。


「あたしもさ? 悪いことしてるとは思ってるの。けど、感情って理屈に従ってくれないでしょ? どうしてもモヤモヤしちゃうのよ。だからね? 月花にも言ったけど、時間が欲しいの」


 天堂さんの言い分を聞いたうえで、俺は告げた。


「違うんだ」

「は?」

「俺は、雛野を庇うために話し合いを持ちかけたんじゃない」

「……だったら、なんのためだって言うの?」


 怪訝そうに眉をひそめ、天堂さんが問いかけてくる。


 鼓動が激しくなっていくのを感じつつ、俺は答えた。


「あの日の――デートの真相を伝えるためだ」

「真相?」


 いまから俺は、デートの真相を明かす。それはつまり、自分がラノベ作家であることを告白することだ。でしゃばらず、目立たず、控えめに、無難に生きるといういままでの方針に、背くということだ。


 極度の緊張。手のひらにジットリと汗が滲む。呼吸が速くなる。体が小刻みに震えだす。


 けど、怯えてなんていられない! トラウマなんかに負けてたまるか!


 悲しむ雛野を見たくないから、雛野には笑顔でいてほしいから、雛野と天堂さんの友情を守りたいから、勇気を振り絞り、俺は打ち明ける。


「俺と雛野はたしかにデートした。けど、あれはデートであってデートじゃない。雛野は俺の恋人役を務めてくれていたんだ」


 天堂さんが眉根を寄せた。


「どういうこと? 意味わかんないんだけど」

「雛野は俺の仕事を手伝ってくれていただけなんだ――ラノベ作家である、俺の」

「ラノベ作家?」


 恐怖を乗り越えて、ずっと隠していたことを明かす。


 目をしばたかせて、天堂さんが尋ねてきた。


「ラノベってあれよね? 月花がオススメしてくれた、『転生したらドラゴンだった件』ってやつ」

「そう。俺はそういうのを書いているんだけど、プロットっていう、作品の設計図を作る段階でスランプにおちいっていたんだ」

「それと、月花が恋人役を務めることに、なんの関係があるの?」

「俺は実際に体験したことを元に執筆しているんだけど、今回の作品は、雛野とのあいだで体験したことを元にしているんだよ」

「……なるほど。それで、月花が恋人役を務めたわけね」


 ひとつ納得の頷きをして、「けど」と天堂さんが目つきを鋭くする。


「月花が嘘をついたことに変わりはないでしょ」

「ああ。変わらない。けど、雛野が嘘をついたのは俺のせいなんだ」

「赤川くんの?」


 わけがわからないと言いたげに天堂さんが眉をひそめる。鼓動が激しくなるなか、緊張を鎮めるために深呼吸を挟んで、俺は続けた。


「プロットの作成は月曜日までに終えなければならなかった。けど、そのことを雛野に伝えたのは土曜日。雛野が手伝える日は日曜日しかなかったんだよ。加えて、俺は雛野に、自分がラノベ作家であることを内緒にしてほしいって頼んでいた」


 だから、


「雛野はしかたなく嘘をついた。本当のことが言えなくて、嘘をつくしかなかったんだ。天堂さんを軽んじるつもりなんて、決してなかったんだよ」


 悪いのは雛野ではない。本当に悪いのは俺なのだ。そのことを、俺は天堂さんに伝える。


「すべての責任は俺にある。だから、責めるなら俺にして――」

「違うの!」


 俺が天堂さんに頭を下げようとしたとき、雛野が叫ぶみたいに声を上げた。黒真珠の瞳は涙で一杯になっている。


「あきくんに責任なんてないの! デートの提案をしたのはわたしなんだから!」


 グズグズと鼻をすすりながら、雛野が必死で俺を庇った。


「わたしがもっと上手く動ければ、陽向ちゃんを傷つけることなく、あきくんのお手伝いをできたはずなの! だから、悪いのはやっぱりわたしなの!」

「雛野……」


 俺は呆然として――すぐにハッとする。


 庇われてなんかいられないだろ! 俺は天堂さんと雛野を仲直りさせたいんだから!


 俺は改めて、雛野の無実を訴えようとした。


「もういいよ」


 天堂さんが静かにそう言ったのはそのときだ。天堂さんの表情は平坦で、内心を読み取れない。雛野を許してくれたのか、許していないのか、わからない。


 平坦な表情のまま、天堂さんが雛野に歩み寄る。雛野が怯えるように肩を跳ねさせた。


 溜息をつき、天堂さんが再び口を開く。


「ようするに、赤川くんも月花も、どうしようもない状態だったってことでしょ?」


 天堂さんの表情が変わる。平坦なものから、苦笑いへと。


「結局、誰も悪くなかった。悪者なんてどこにもいなかった。だったら、あたしが機嫌を損ねるのはお門違いってやつだよね」

「陽向、ちゃん?」


 いまだにおどおどしている雛野の手を、天堂さんがそっととる。


「ゴメンね、月花。本当のことが言えなくて辛い思いをしてたのに、あたし、ひどい態度をとっちゃったね」

「陽向ちゃん……っ」

「あたしのことさ? まだ、友達って思ってくれる?」


 少し不安そうにしながら、天堂さんが尋ねた。


 黒真珠の瞳から大粒の涙をこぼし、雛野が答える。


「そんなの、当たり前だよ……っ」


 雛野が天堂さんに抱きつく。いつも天堂さんが雛野にそうしているように。


 天堂さんは目を丸くしたが、すぐに優しい表情になり、あやすように雛野の背中をポンポンとした。


 そんなふたりを眺めながら、もらい泣きしながら、俺は心の底から思った。


 雛野と天堂さんが仲直りできて、本当によかったと。





 空き教室を出て、俺たちは教室に戻っていた。


 雛野と天堂さんは、隣り合いながら手を繋いでいる。繋がれた手は、きっと仲直りの証だ。三歩ほどのを開けて後ろを歩く俺は、そんなふたりを眺めて目を細める。


「ところでさ? 赤川くん」


 不意に天堂さんが振り返り、どこかイタズラげな笑みを浮かべながら俺に言った。


「月花が恋人役になってくれたのって、プロット作成ってのを手伝うためだよね? けど、なのかな?」

「ひ、陽向ちゃん!?」


 どういうわけか、雛野が顔を真っ赤にしてアタフタしている。


 俺は首を傾げた。


「どういう意味? それだけじゃないのか?」


 天堂さんが目をパチクリとさせて、ぷっ、と吹き出した。


「あーあ。これは難敵だ。大変だねー、月花は」

「……天堂さんはなにがしたいの?」


 いきなり笑われて、ほんの少しだけ俺は不機嫌になる。


「あたしがなにをしたいかなんて決まってるでしょ?」


 ジト目を向ける俺に歯を見せるように笑い、天堂さんが告げた。


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