ほんの少しの勇気――1

 三限目が終わり、休み時間。


「はぁ……」


 トイレから出てきた俺は深々と溜息をついた。雛野に対する天堂さんの態度が、一向に良くならないからだ。


 休み時間になるたびに雛野が話しかけているが、天堂さんの対応は相変わらず素っ気ないまま。そのことで雛野が傷ついた顔をするのが、俺には我が身が痛めつけられているくらいつらかった。


「このまま仲がこじれなければいいんだけど……」


 暗い気分で俺は呟く。


 ボッチの雛野にとって、天堂さんは、俺以外ではじめてできた友達。いわば特別な存在だ。だからこそ、そんなふたりが仲たがいしていることが、辛くて切なくて悲しくて、しかたがなかった。


 憂鬱を感じながら教室に戻る。


「――ねえ、陽向ちゃん」

「……なに?」


 その途中、近くの空き教室から雛野と天堂さんの声が聞こえて、俺はハッとした。


 おそらく、現状に耐えかねて、雛野が天堂さんに話し合いを持ちかけたのだろう。俺は足音を立てないように注意しながら空き教室に近づき、息を潜めてふたりの会話に耳を澄ませる。


「わたし、なにか気に障ることしちゃったかな? だったら謝らせてほしいの。陽向ちゃんと仲良くできないの、辛いから」

「…………」


 天堂さんは答えない。重苦しい沈黙が降りる。


 やがて、天堂さんのものとおぼしき溜息が聞こえ、彼女の声によって沈黙が破られた。


「日曜日にさ? あたしと遊ぶ約束していたよね、月花」

「――――っ!」


 雛野が息をのむ気配がした。驚きのあまり声を上げてしまいそうになり、俺は慌てて手で口を塞ぐ。


 日曜日って、俺と雛野がデートした日じゃないか!


 俺の頬を汗が伝うなか、天堂さんが続ける。


「月花、LIMEで言ってたよね? 『親戚の集まりに呼ばれたから遊べなくなった』って。けど、それ、嘘でしょ?」


 俺は目を剥いた。


 俺たちがデートする前日、雛野のスマホにLIMEが来た。おそらく、あれは天堂さんからのもので、当日の予定の確認をしたかったのだろう。天堂さんに返事をする雛野からは後ろめたさを感じた。その理由は、天堂さんに嘘をついたからなのだ。


 雛野は声を発さない。いや、図星をつかれたせいで発せないのだ。きっと体も強張こわばっていることだろう。俺も同じく、凍りついたように固まっていた。


 雛野が押し黙るなか、刃を振り下ろす処刑人のごとく、天堂さんが言い放つ。


「だって、月花はあの日、赤川くんとデートしていたんだから」


 俺の心臓が、ドクンッ! と跳ねた。


 ど、どうして天堂さんがそのことを……!?


 俺は動揺と混乱に見舞われる。そんな俺の疑問を代弁するかのごとく、雛野が震える声で尋ねる。


「ど、どうして……知って……?」

「月花と赤川くんが、あたしが紹介したカフェで談笑しているのを見つけたのよ。あーんとかしてたし、あれって絶対にデートよね?」


 迂闊うかつだった。


 雛野はあのカフェを絶賛していた。想像するに、一緒に行った天堂さんたちも気に入ったことだろう。だからこそ、俺と雛野は考慮こうりょしなければならなかったのだ。天堂さんが、あのカフェにかよっている可能性を。


 くそっ! 雛野とのデートに浮かれすぎて、そこまで頭が回らなかった!


 後悔するが、もう遅い。あーんをしているところまで目撃された現状、言い逃れなんてできないのだから。


 けど、あれはデートであってデートでない。俺のプロット修正を手伝うため。すなわち、デートのだったのだ。


 だからだろう。弁明しようと雛野が口を開く。


「け、けど、あれは……!」

「あれは、なに?」

「あれは……」


 しかし、雛野の言葉が最後まで続くことはなかった。いや、続けられなかったのだ。


 俺が、自分がラノベ作家であることを隠したいと思っているのを、雛野は知っている。実際に俺は、内緒にしてほしいと雛野に頼んでいる。


 あのデートの真相を明かすとなれば、どうしても俺がラノベ作家であることに触れなくてはならない。だから、雛野は口をつぐんだのだ。弁明しなかったのだ。俺との約束を守るために。


 雛野が弁明できないのは俺のせい。その事実に、その罪悪感に、足元がぐらつくような錯覚を得る。


「月花はさ? 赤川くんと付き合ってること、隠したかったんでしょ?」


 いつまで経っても弁明しようとしなかったため、雛野が俺と付き合っているのは間違いないと判断したのだろう。溜息をついた天堂さんが、そう指摘する。


「みんなでカラオケに行った日、月花と赤川くん、デュエットしてたよね? そのとき、特別な仲だって疑われた赤川くん、必死で否定してた。月花が望んだからなのか、赤川くんが望んだからなのか、ふたりともが望んでいたからなのかはわからないけれど、自分たちの関係を周りに知られたくなかったんじゃない?」


 雛野は答えない。いや、答えられない。誤解を解くための言葉が、俺との約束によって封じられているから。


「月花があたしに嘘をついた理由、納得できるよ。赤川くんとの関係を隠したかったんだもんね」


「けど」と、天堂さんが切なそうに言った。


「やっぱりショックだった……ゴメン、月花。しばらく、気持ちの整理をさせて」


 コツン、と足音がする。天堂さんが教室を出ようとしているのだろう。


 マズい! 俺が聞き耳を立てていたのがバレたら、雛野と天堂さんの仲が余計にこじれるかもしれない!


 慌てて俺は空き教室から離れ、廊下の先にあった曲がり角に隠れる。


 曲がり角に身を隠した直後、天堂さんが空き教室を出て、俺がいる曲がり角とは反対方向に去っていった。


 天堂さんに見つからなかったことに、俺は胸を撫で下ろす。だが、安心している場合ではない。雛野と天堂さんの仲違いは決定的なものになってしまったのだから。


 雛野、傷ついているだろうな。


 雛野の様子が心配になり、俺は再びコソコソと空き教室に近づく。


「……っ……ぅ……っ」


 押し殺した嗚咽が聞こえてきた。


 雛野が、泣いている。


「――――っ!!」


 視界がスパークするようなショックを覚えた。


 胸が引き裂かれる思いとは、いまの俺が感じているものを指すのだろう。辛さが、苦しさが、後悔が、罪悪感が、俺の胸を突き刺すようにさいなんでいた。

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