よかれと思って――3

「雛野、ゴメン!」

「ふぇええっ!?」


 マンションの最寄り駅で落ち合った瞬間、俺は勢いよく雛野に頭を下げた。


 正直、自分のミスを悟った直後にでも雛野に謝りたかった。しかし、ほかの生徒がいる場所で謝ったら間違いなく混乱が起きる。俺と雛野は学校では他人として過ごしているのだから。


 謝りたい気持ちをため込んで、ため込んで、ため込んで……ようやく解放された結果が初手:謝罪だったわけだ。


 雛野がオロオロしている気配がする。顔を合わせるなり頭を下げられたのだから、戸惑うのも無理はないだろう。


「ど、どうしたの、あきくん? なんでいきなり謝ってるの?」

「あ、ああ、悪い。まずは説明しないといけないよな」


 気持ちが先走ってやらかしてしまった。反省しながら俺は顔を上げる。


「昨日の朝、弁当を作らなくていいって雛野に言ったよな? あの提案が俺の独りよがりだって気づいたんだ」


 雛野の肩がピクリと動いた。


「思い違いじゃなければ、雛野は俺に弁当を作ってあげることにやりがいを感じていたんじゃないか?」

「……そうだね。あきくんの役に立てるの、わたし、嬉しいから」


 俺に気を遣ってくれているのか、遠慮気味に雛野が肯定する。


 岳の指摘はまとを射ていたわけだ。気づかせてくれた岳への感謝と、気づけなかった自分の情けなさが、胸の中で入り交じる。


「だっていうのに、俺は自分勝手な善意で雛野の喜びを奪ってしまった。だから、本当にゴメン!」

「あ、頭を上げて、あきくん!」


 再び頭を下げると雛野がアタフタした。


「あきくんはわたしのためを思って提案してくれたんでしょ? だったら、謝る必要なんてどこにもないよ!」

「けど……」

「それに、わたしのお弁当なんて大したことないし……」


 雛野がそう口にする。


 ハッとして顔を上げると、雛野は眉を寝かせた笑みを――自虐するような笑みを浮かべていた。


「別に、わたしのお弁当なんかなくたって、あきくんは困らな――」

「そんなことない!!」


 気づけば、自分でもビックリするくらい大きな声で、俺は雛野の言葉を遮っていた。これ以上、雛野の口から卑下の言葉を聞きたくなかったのだ。


 唐突に大声を出した俺に、雛野が目を白黒させている。構わず、俺は訴えるように雛野に言い聞かせた。


「雛野の料理が大したことないなんて絶対にない! どんな料理も、雛野が作ったものには敵わない!」

「お、大袈裟おおげさだよ」

「大袈裟なもんか! 隣に引っ越してきた日、雛野が作ってくれた肉じゃがは涙が出そうなくらい美味しかった! 生姜焼きもサンドイッチも筑前煮もシチューも、雛野が作ってくれた料理は、いつだって俺を温かい気持ちにしてくれたんだ!」


 そう。俺の生活はもはや、雛野の手料理を抜きにしては成り立たない。雛野の手料理が、日々の活力になっているのだから。


「俺は雛野のご飯が大好きだ! 雛野と囲む食卓が大好きだ! 毎日でも雛野の作ってくれたご飯を食べたいと思ってる! だから、自分をないがしろにすることだけはやめてくれ!」

「そ、そっか……わかった、よ」


 雛野が小さく頷く。どうやら説得できたらしい。


 俺はホッと息をつき――疑問を抱いた。


 どうしてだろう? なんか雛野がモジモジしてるんだけど。


 雛野はうつむき、落ち着きなく指先をくっつけたり離したりしている。彼女の頬は赤みを帯びていた。


 恥ずかしがっているのか? けど、恥ずかしがる原因なんてどこに……


「……あ」


 俺は気づいた。気づいてしまった。




 ――俺は雛野のご飯が大好きだ! 雛野と囲む食卓が大好きだ! 毎日でも雛野の作ってくれたご飯を食べたいと思ってる!




 さっき俺が口にしたこの発言、プロポーズっぽくない!?


 気づいた途端、体がカアッと熱くなる。


 チラチラとこちらをうかがっていた雛野が、ますます頬を赤らめた。おそらくは、赤くなっているだろう俺の顔を見たためだ。


 プロポーズまがいの発言によって、俺と雛野のあいだに居たたまれない空気が漂う。


「――初々しかったねー、いまの」


 そんななか、誰のものとも知れない声が俺の耳に届く。辺りを見回すと、駅の構内を行き交う人々が、俺たちに生温かい目を向けていた。


「付き合ってるのかな? あのふたり」

「無自覚プロポーズ……推せる!」

「俺も……俺もあんな青春を送りたかった……っ!」

「爆発しろ!」


 微笑ましそうな、あるいは妬ましげな言葉がそこかしこから聞こえてくる。


「い、行こうか、雛野!」

「そ、そうだね、あきくん!」


 いても立ってもいられず、俺と雛野はそそくさとその場をあとにした。


 死ぬほど恥ずかしかった。

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