後宮学園

Meg

第1話 招く声

「……テ。……コッチ……。ミドリ……。……テ」


 和風のような、そうでないような庭に立っていた。

 きりが深くなる。





 顔をあおむけ寝ていたミドリは、ハッと目を覚ます。


(今の……?)


 きょろきょろするが、ここはいつもの中学校の教室。周りにいるのはニヤついたクラスメート。


「空山さんかわいい~」


 なにがだろうか。

 教室のドアがガラッと開き、先生が入った。

 クラスメートはパッと散る。


「空山さん、顔洗ったら?」


 先生からあきれたように言われ、手鏡を見た。目の周りがパンダのように黒くぬられている。


「ぎゃ! なにこれ」


 クラスメートはクスクス笑った。


「そこは『パンダかわいい〜』でしょ」

「空山さんノリ悪い」


 


 ミドリは子だくさんのおば夫婦の家に住んでいる。

 借金を抱えた両親は、妹だけを連れて夜逃げした。

 手狭てぜまな家では、毎晩やんちゃな子供たちが走りまわる。


「こらー!」


 おばさんはヒステリックにひたすら叫んでいた。

 ミドリは走る子どもをつかまえようと、肩をつかむ。


(おばさんを手伝おう)


 おばさんはミドリを押しのけた。


「バカ! 役立たずがうちの子に触るな!」


 寝っ転がりテレビを見ているおじさんは、おばさんにもミドリにも無関心だ。

 



 一段落すると、家族は雑魚寝ざこねする。

 ミドリも寝ようとする。

 クラスではなぜかいじられキャラになる。成績もよくないし、運動も苦手。手先も不器用で、おばさんは手伝いすらさせてくれない。

 この世界から、ミドリは必要とされていないように思える。


「ま、いっか」


 かけ布団を被った。

 なやんだってしょうがないから。


 

 

 ……キテ。……コッチ……。……ケテ。

 

 誰かのつぶやき声。

 布団のなかで薄目をあけた。


 ……テ。……テ。……コッチ……。

 

 足音も人の気配もないのに、声はする。

 さすがにちょっと怖い。

 

 ミドリ……。……ケテ。


 起きあがった。


(今、私の名前……)


 押入れの中から、白い光がもれている。

 戸をそっと開け、足をふみいれた。


 

 

 薄桃色の空。梅の木。はすの花の池。うすいきり

 どこかの庭。

 和風のようで、ちがうような。

 

 ミドリ……。

 

 頭の芯にひびく、自分を呼ぶ声。

 ここがどこだとか、なにが起こっているのかとか、考えられなくなった。

 あの声のほうに行かなければ。

 生温かい風が、柳をカーテンのようにゆらす。

 

 ミドリ……。


 ゆれる緑の間から、てまねきする手が伸びていた。

 義務のように、手をつかんだ。


 

 

 そそりたつ岩の山々。眼下の海のような雲。ゆれる柳。かわいらしい声のうぐいすに、紅や黄の花々。

 歴史の資料集に載っていた水墨画の風景に、色をつけたよう。

 ミドリは正気にもどった。ありえない風景に目をぱちくりさせる。


「え?」


 岩の山の頂上にいた。

 連なる山々のいただきには、屋根の角がくるんと上を向いた、中華風の建物がのっかっている。


「ええ?」


 ふと、手に小さな板のようなものをにぎっていることに気づく。

 八角形の透明な盤。中心に勾玉まがたまと勾玉を上下左右反転させ合わせたような、陰陽おんみょうマークが彫られている。


「誰だ!」


 威嚇いかくするようなするどい声。ミドリと同い年くらいの、きりりとした少年がやってくる。

 腰には剣。首の詰まったこんの中華服。頭に載った赤いかさ。後頭部からは、長いみつあみが垂れていた。


邪羅じゃらか?」

「えええーーーっ!!」


 信じられなさすぎて、おどろきを叫びとして発散した。

 中華服の少年は耳をふさぐ。


「うるさいぞ」


 言葉はわかる。

 好奇心がうずき、前からうしろから、まじまじと少年を観察した。


「ここどこ? きみ中国人? わあ、みつあみ長い」

「……ここは天玉城てんぎょくじょうだが」

「あ! わかった。ここ異世界だ!」


 異世界転移は本当にあったのだ。まさか自分が行けるなんて。


「私ミドリ! 日本から来たの。あなたは?」


 少年はなんとも言えなそうに顔をゆがめた。

 そしてひょいっとミドリを肩にかつぐ。


「わ! ちょっと」

「おまえ、さてはおのぼりだろう。ここにいられても迷惑だから案内してやる」

 


 

 青い空の上を、女性たちが風を起こして飛んでいる。ゆったりしたチャイナドレスのような服に、いくつもの色とりどりの大輪の花を、ゆいあげた髪にさしている。

 おばさんが観ていた中国ドラマの服みたい。確かしんの時代の。

 白い雲の上で、琵琶びわことを奏で踊っている者もいた。

 彼女たちは楽し気に、口々にうわさ話をしている。


「次期皇帝陛下は誰になるのかしら」

「ファン殿下は? もっとも力が強いじゃない」

「それ以上言わないで。あの方はもう……」


 少年は岩山の道を歩く。運ばれながら、ミドリはこの奇妙な世界をじっくり観察した。

 わくわくが止まらない。


「ファンタスティックだね」


 少年には無視された。



 岩山の斜面の、桃の花咲く庭まで連れてこられた。

 白い魚のはねる池は、水が流れて浮かんだ小舟を動かしている。

 小舟には薄緑の服の少女が乗っていて、手を池の水にひたしていた。ミドリと同い年くらい。あどけない感じの色白の女の子。


(かわいい子)


 彼女はこちらに気づくと、満面の笑顔を浮かべ、ぬれた手をふった。サファイアのような、陰陽マークが彫られた八角形のばんを手にしている。

 水の流れがピタリと止まった。あの子のあの盤により、水が動いていたのだろうか。


「リュウ、その子は?」

「新しく天玉城てんぎょくじょうに来たおのぼり娘娘ニャンニャンだ」

「そうなんだ。私リン。よろしくね。階級は?」

「階級……?」

 リュウがぶっきらぼうに、「おのぼりだから答応とうおうだろう」

「私と一緒だ。五行ごぎょうの授業、一緒にがんばろうね」


 ミドリはにっこり笑って「よ、よろしく!」と言っておいた。

 正直なにも全然わからない。

 まあ異世界転移なら、たいていチート能力などがあるはず。せっかくだから異世界チートを楽しんでみよう。

 もとの世界では、どうせミドリのことなんて誰も探していないし、誰も心配していないだろうし。

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