第57話 お前は傷付けてはいけない大切な人を手にかけてしまったなと……。(あきら過去編①)

「──あれは20年ほど前かな。神楽坂かぐらざかがまだ青年の頃だった………」


 おじさんが僕の乗る車椅子をスロープへと移動させながら昔話を始める。

 都会のせいか、星がまばらなベランダに誰もいないことを確認しながらも……。


 どうやら他人に聞かれてはマズい内容らしい──。


◇◆◇◆ 


 ──季節は木枯らしが肌を刺す真冬。

 しんしんと降りしきる雪の中、その男は日中の明るい繁華街から、少し離れた薄暗い雑木林に立っていた。


 赤く染まった右手を振り上げるのを止め、ボロボロにされた黒い髪の青年の胸ぐらを握ったままで……。


「……あきら、もう止めてくれ。俺たちは仲間だろ」

「だったらさ、こんな裏切り行為みたいなことするんだ?」


 茶色いトレンチコート姿のあきらの心は怒りに満ちていた。

 その色は深く、まるで色の三原色全てを混ぜた真っ黒に染まった色のように……。


「ああ、確かに認めるよ。だから……」

「だからって、一夜を共にしたじゃすまないんだよ!」


 殴られてる方の黒いダウンジャケットを着た男があっさりと白状すると、胸ぐらを掴んだ銀髪のあきらが声を張り上げる。

 感情に任せて、つい乱暴な言葉遣いだったが、正々堂々と交際してるのにネトラレにあったら、どんな男だって文句は言いたくなる。


「何だよ、お前、彼女とはまだだったのか。道理どうりでな」


 黒髪の方がニヤリとしながら、獲物を捕らえた狩人のようなことを口に出すが、それが余計な一言だった。


「たっちゃん。いくら親友でもそれ以上言ったら首をハネるよ」

「オー、こわっ。男のヒステリーというもんか」


 あきらの怒声が頭の中まで飛び交う中、たっちゃんと気さくに呼ばれた男は、澄ました表情で彼の扱いに困っていた。


「大体、烈火れっかちゃんみたいな女の子がタイプって言ってじゃないか」

「烈火は品が無さすぎなんだよ。俺には合わないよ」

「だけどお前ら両親が決めた許嫁だったんだろ。こんな真似して」

「うん。ただごとじゃすまないだろうな」


 たっちゃんと呼ばれた龍郷たつごうと烈火とは幼馴染みであり、物心ついた頃から一緒だった。

 二人とも両親は有名な財閥の家系であり、二人の男女はエスカレーター式で将来座る席すらも決まっていた。

 いわゆる政略結婚というものである。


「どうだい、自分が好きだった女を他の男に奪われた気分は」

「ああ、今すぐにでも地獄に落としたい気分だよ」


 余裕をみせながらも、契を奪った満足げな龍郷の体を押さえ、枯れ草の大地に伏せさせる。

 コイツは結婚してるのに別の女の子と浮気をした。

 おまけに深い関係も結んでおり、嫁にバレたら離婚は確定だろう。


「アハハ、あきらだったら本気で地獄行きにやりかねないかもな。でもさ?」


 黒髪の男が目で合図した途端、優勢だったあきらが急に苦しそうに雪が舞う草むらで片方のひざをつく。

 あきらの体にだけ、強烈な負荷でもかかったかのように……。


「……ぐううううー!?」

「この力の差は歴然だよね」


 立ち上がった龍郷が次に目を開いた瞬間、あきらが重みで手を離したと同時に大地が物凄い地響きを立てて、あきらの体全体が地面にへばりつく。


「……こっ、この見えない力は何だよ、手すらも触れてないじゃないか」

「まあね。実際は思わせてるだけだけど」


 あきらが苦痛に顔をしかませながらも龍郷による攻撃の手が休まることはない。


「人間というのは酷な生き物だよね。理性と理想というものが無ければ、恋人なんて楽に作れるのに」

「……人間を他の動物と一緒にするなよ」

「ヒュー、この状況でまだ自我が保ててんだ。尊敬に値するよ」


 冷たい雪の感触が肌に染み渡る。

 体温はぐっと下がり、体はとっくの昔に限界を越えている。

 このまま虫けらのように凍死するのも時間の問題だった。


「……ぐうう。それで僕をどうするつもりだ……」

「何の。あきらはここで消えてもらう。存在すらもなかったことにね」

「……ぐっ、たっちゃん、いや、龍郷!」


 あきらはしもやけで真っ赤になった顔を上げて、龍郷に反論する姿勢を見せる。


「……僕はお前を許さない。例え……、この身が散っても」

「うーん、中々いい響きだね。詩人になった方がいいかもよ」


 詩人になっても楽に儲ける職業ではないが、この億劫な社会事情、そんな夢を見させてもいいと思う。


 本人の尊重には聞く耳を持たず、妄想するのは自由だからと龍郷は勝手に解釈していたのだ。


「……龍郷ー、貴様ぁぁぁー!!」

「おおー、怖っ。負け犬はよく吠えると言うけど、こうまで反応されちゃーな」


 あきらが激しく抵抗しても、この術から逃れるすべはない。

 ちょっとでも弱みを見せたら、相手の言いなりなのだ。


「はい、さよなら」

「……がはっ!?」


 龍郷が指をパチンと鳴らし、あきらの意識を奪う。

 あきらは声を失い、再び雪の上に顔を伏せた。


「ふう。やっとおちてくれたか。後は何事もなかったように記憶も改ざんしてと」

「……改ざんしてどうするつもりだい?」


 何事もなかったように体を起こすあきら。

 一方で龍郷は開いた口が塞がらない。


「なっ、あきら、どうして平気なんだよ!? まさか!?」

「そう、かかったフリをしてたのさ。お前の本音が聞きたくてさ」


 予想外の結果に龍郷は恐怖すらも感じていた。

 百発百中と思えてきた催眠術が身近な一人の男によって破られたからだ。

 しかも何も取り柄がなさそうな平凡な相手に……。


「さあ、その程度の術なら僕にでもできるよ」

「カアアアアー!!」


 あきらが糸で吊った五円玉を揺らし、龍郷に急接近する。

 龍郷のように視線の合図で使うことはできないが、案外、原始的な方法の方が十中八九ハマりやすいとも聞く。


「ぐうっ!?」

「そのまま、これで死んで詫びろ。龍郷」

「……分かった」


 あきらがバッグから差し出したキャンプ用のキッチンバサミを手にした龍郷が、その切っ先を喉元に当てる。

 ハサミを持つ手元が震えているのは心の奥から出てくる抵抗の証。

 誰だって死ぬのは怖いし、好きで命を亡くしたくはない。


「──ちょっとやめてよ!」

「なっ、春子?」

「ねえ、友達同士、仲良くなれないものなの?」


 そこへ中学生の身なりをした赤いダッフルコートの春子こと、ハルが龍郷を庇う。 

 あきらは慌てて龍郷にかけていた催眠術を解いた。


 ハルを危険な目にあわせたくない。

 ハサミという刃物を持ってる彼が何らかの出来事で逆上しかねないからだ。


「ハル、これは違うんだよ。僕は君と結ばれるために」 

「そんながんじがらめな行為なんて受け入れられない。ハルは三人で仲良く暮らしていけたらいいんだよ」

「じゃあ、誰のものでも受け入れるのかよ!?」

「えっ、それは誤解だよ。ハルは本当に好きな人しか……うぐっ!?」 


 ハルの背中に大きく刺さるキッチンバサミ。

 決して鋭い刃ではないが、殺傷力に差し支えはない。

 ハサミは音を立てて床に転がり、あきらの術から解けた龍郷が拾い上げる。


「あははっ。どうだ、目の前で好きな女がやられるのを見るのは?」

「いいからどけっ!!」

「ぐふっ!?」


 龍郷がおもむろに笑い、二度目のハサミを振るう間もあたえずに、大きく龍郷にタックルをするあきら。

 そのまま地面で鮮血を流し続ける仰向けのハルに駆けつける。


「ハルー!!」

「ごめん、余計に……仲違いをさせちゃったね……」

「いいからもう喋るな。今すぐ病院に……」


 そう言いかけて、置かれた現状に気付かされる。

 こんな田舎の雑木林に来るまで、ハルの体が持ちそうにないこと……おまけに雪で交通の便も悪いことに。


「くっ、救いようがないじゃないか……」


 あきらに待ち受けるのは最悪のシナリオ。

 これも龍郷なりの計算の内と言うわけか。     

 ハルの呼吸が荒くなり、苦しそうに顔を歪めている。


「はい、ワンチャンいただきました。未成年に手を出すほど俺は馬鹿じゃないぜ。女ってヤツはチョロいね」

「龍郷、お前って男はあああー!!」  


 あきらは赤く汚れたキッチンバサミを投げ捨てた龍郷を本気で殴りにかかった。

 お前は傷付けてはいけない大切な人を手にかけてしまったなと……。


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