メシマズ勇者の給食係

yolu(ヨル)

第1話 絶望からの始まり

 祖母の遺骨はまだ暖かい。

 僕は着こなせていない中学の学ランで包むように骨壷を抱き、大雨のなか、火葬場から歩いていた。


 胸ポケットにしまった『尾戸拓人おど たくと様』と書かれた用紙には、僕がこれからしなければならない手続きが記されているという。

 だけど、身寄りが祖母以外にいない、しかも中1の僕にできることはとても限られている。

 僕は改めて祖母が亡くなった悲しみよりも、今後の苦労に絶望していることを認めることにした。

 なにより、泣いている暇がない。

 頼れる大人が少ない。


 ……僕が動かないと、僕が消えてしまう。


 だけど、雨の音が耳を塞ぐせいで、考えがまとまらない。

 黒いアスファルトを視線でなぞる。

 水たまりも気にせず、すり減ったシューズのつま先が、右、左、右、左と出てくる。

 秒針のように繰り返す爪先を眺めながら、やるべきことを頭の中でリストアップしていく。


 ……仏壇の整理、茶碗洗い、祖母の服の洗濯、居間の掃除、玄関の片付け、手続きの仕方、祖父の仏壇整理、夕飯の準備、図書館の本、……来客、先生、……中間、テスト……


 足の踏み心地が変わった。濡れた歩道で布を踏んだ感触がある。

 サイズの合わない学生服のため、袖を折って、ズボンの裾を巻き上げ、ベルトをきつくしめてある。だけど、連日の出来事で痩せてしまったようだ。


 僕は裾を直すため、骨壷を抱えながら膝をついた。

 同時に泥水が頭にかけられる。

 振り返ると、トラックが颯爽と走り抜けていく。

 僕はそのまま顔を上げて、正面を向いた。

 久しぶりに見た気さえする、いつもの通学路だ。


 追加の泥水を浴びないよう、少し道路から離れてズボンを折り直して立ち上がると、目の前の電柱に僕の足は向いていた。

 そこには、大きく、『探してます』と書かれたポスターがあるからだ。


 2年前から行方がわからない、山西海沙やまにし かいざの顔つきポスター。

 最近、新しく張り替えたのか、前とは違う顔のアングルでポスターが作られている。

 少年らしいあどけない笑顔に、利発そうな整った顔。

 自分は床屋にもいけず、襟足を輪ゴムでしばっているのを思い出し、思わず濡れた髪をなでつけた。


 カイザとの思い出は、保育所の頃から、いなくなまで、からかわれ……いや、いじめられていたことだ。

 でも、そんなことなんて、誰も覚えていない。

 ただみんなは、人気者だったカイザの帰りをずっとずっと、ずっと、待っている。


 そんなカイザの帰りにも期限がある。

 2ヶ月後の彼の誕生日までに戻らなければ、彼は死んだことになるそうだ。

 それに合わせて、葬儀の準備をしていることを噂で聞いた。

 そんな気持ちの区切りの付け方もあるのかと、僕は濡れる彼の顔を見て思い出していた。


 ──でも、それならば、僕がかわってあげたい。


 カイザのご両親の気持ちは、きっと、僕よりも暗く、辛く、苦しい気持ちだ。

 大事なものをなくした気持ちは僕もわかるから。

 僕は見送ることができたけど、何も残らないカタチだけの葬儀なんて、悲しすぎるもん……


「──拓人、人の役に立ちなさい」


 死んだ祖母の声が蘇る。


「あんたは誰よりも何もできないんだから、人の役に立てることは、精一杯やるの。いい?」


 そう。

 僕は誰よりも何もできない。

 むしろ、生まれてきてはいけない子どもだった。

 だけど、そんな僕を祖母が生かして、育ててくれた。


 だからこそ、僕は、誰かのためになるように、役に立って、消えてしまいたい────


 黒く沈む景色に、緑のコンビニが目に入る。

 思えば、通学路のコンビニは、買い食い防止で入れないコンビニ。

 でも今日はコーラぐらい飲んでもいいのではと、ポケットの小銭を頭の中で数えていく。

 300円はあった、はずだ。


 ふらりと足を踏み出したとき、唐突にクラクションが鳴り響く。

 つんざく音に耳を塞ぎたくなる。

 横を振り返る間もなく、右肩に────



『──君がいい。連れていってあげる……』



 優しい女性の声がした。

 ぐるりと視界が回り、ぐにゃりと方向感覚が狂う。

 耳鳴りが響き、背中から僕は地面に落ちた。


 


 僕は慌てて身を起こす。

 景色が違う。

 全く違う!


「どこ……ここ……」


 声に出さないと落ち着けない。

 林だ。

 ここは林のなかだ。

 落ち葉や草が広がり、木々は紅葉樹、針葉樹とさまざま。

 きのこや木の実が豊富に実る場所だが、花の色が可愛らしいパステルカラーをしている。

 美しい景色といえるが、図書館の植物図鑑で、こんな花は一度も見たことがない。


 落ち着け。落ち着け。落ち着け。

 僕は小声で繰り返しながら、深呼吸をする。


 手が軽い。

 抱えていた骨壷がない。


 立ち上がり、あたりを見回すが、落ちる瞬間まで、僕は胸に抱えていた感触がある。

 暖かさ、包んで抱きしめていた肘の痛みがまだ残っているからだ。

 だが、白い陶器に入った遺骨はどこにもない。

 さらには、怪我もない。

 むしろ、服も髪も乾いている状況だ。


「……はぁ?」


 足を踏み締める。

 歩いた地面は、枯れ葉が積もっている。土の匂いもする。

 何より、優しく抜けていく風が暖かく、香りが甘い。


 ここは天国なんだろうか……


 目を細めた瞬間、遠くから声が飛んできた。


「……待て、このウサギヤロー!」


 振り返ると、二本足で走るウサギがいる。

 大きさは犬ぐらいに大きいウサギだ。

 だが、ナイフを持って走っている……?


 その後ろを追いかけているのは……

 金髪で、甲冑を着込んだ、幼女!?


 剣をかまえ、機敏なウサギの速度に合わせて詰め寄っていく。

 だがウサギの足は早い。

 そして、ウサギは僕を狙って、る……?


「そこの男! 逃げろぉ!」


 幼女が叫んでいる。

 猛烈に僕に向かって走るウサギは、手に持つナイフをべろりと舐めた。


「ナイフラビットは、目の前のもの、なんでもぶっ刺すぞぉっ!」


 無理やり走り出した僕だけど、もう無我夢中だ。

 何が現実で、これが夢なのか、わからない──!

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