第28話 訓練、聞かせて欲しい言葉
『40』
打ちっぱなしコンクリートの部屋に、無機質な機械音声が響く。その音の発信源は、部屋の中央に浮遊する球形ドローンで、部屋の床、壁、天井にはドローンと中継機から無数のマス目が投影されている。
声が耳に入ってから約0.1秒後、私は素早く身を伏せて、床にあるマス目に触れる。マス目には1から始まる数字や。
『グリーン』
色がそれぞれに割り振られており、私は数秒ごとに響く音声を受けた瞬間に、その目標めがけて身体を跳ねさせる。
『イエロー』
「っ……でもやっぱ、なんで私がっ」
右手の壁、さらに右端。
床から下半身だけではなく、腕の力も使って跳ねる様にして、目標へと触れる。跳ぶ瞬間のみ力を爆発させて、触れる瞬間は可能な限り身体を弛緩させる事で、衝撃を抑える。
『33』
「あんたの、面倒なんかっ……!」
天井、中央。
跳ぶ瞬間に力を込めると言っても、それは本当に跳ぶ寸前まで行ってはいけない。さぁ跳ぶぞと身構えると不意をつかれた際にその他の行動への移行が難しくなる上、相手からすると対処が圧倒的に容易になる。だって跳ぶとわかってるんだから。
『19』
「みなくちゃ、いけないんだよっ……!」
衝撃を殺す様にして着地後、素早く周囲を確認。視界内に目標はないから、背中の壁だ。ここは跳ねるのではなく、重力に身を任せて後方へと崩れる様に身体を捻り、そうして背後を確認。
見つけた、右手側端寄り。
崩した身体の位置エネルギーをそのまま足先で加速させ、勢いを殺さない様に駆けて目標へ触れる。
『コンプリート』
「……あー、もう!」
「お疲れ様です、トオル」
10分間行われたプログラムが終わりを告げると、流石に息も上がるし疲れるから、そのまま冷たい床の上に大の字で寝転ぶ。
トレーニングウェアとして着用しているノースリーブのシャツも動きやすいショートパンツも汗でびたびただ。
そうして、あまり良くない形でのクールダウンを堪能していると、部屋着のワンピース姿のエリツィナがタオルを手にしながら声をかけてくれた。これからシャワーでも浴びるんだろうか。
薫子さんのセーフハウスで話し合いが行われて、そして1日経った日曜日の今日。私とエリツィナは学校へ通う際の私の家に帰ってきた。
そして、今いるこの部屋は、薫子さんに用意してもらったマンションの505号室、その隣の504号室だ。
連なるふたつの部屋を購入する事で、505号室は日頃生活する為の部屋、504号室はパニックルーム兼今みたいに訓練をする為に扱う事になっている。中はばっちり改造済みで、505号室から入室し、互いの部屋を本棚にある隠し扉経由で行き来することができる。
こんな事を出来る薫子さんの資金力には未だに驚かされる事もあるし、こんな事をする彼女の用心深さが恐ろしく思えたりする。
ちなみに、私が505で生活するから、エリツィナは504で生活すればいいじゃないかと提案すると、『それは距離的に近いだけで側にいるとは言えない』と却下された。ムカつく。
「これは、どういった訓練なのですか?」
「反射と瞬発力の強化。……あんたもやってみる? 3分で死ねるよ」
「……その為にはまず、基礎的なスタミナが必要ですね。トオルはすごいです」
あれから2回夜を経て、私はやっぱり、まぁ、まだ拗ねている。
けど、やっぱり私の、私と薫子さんの生活にいきなり現れた彼女を、はいそうですかと受け入れられるほど、私は年齢を重ねてはいない。
……かといって、彼女を強く否定できる様な、そんな甘えた世界に生きてきたつもりもない。
だからこうして、八つ当たりの様にトレーニングに打ち込む事にして、少しでも鬱憤を晴らす事ができればいいなと身体を動かしている。
「トオル、これを。運動中には身体を冷やさないよう、ミネラルウォーターがいいと学びました」
「……ありがと」
差し出されたボトルを受け取って、少しだけ口に含む。
私はエリツィナの事を色々考えているけど、彼女の方はどうなんだろう。彼女の生い立ちは特殊なものである事は間違いないけれど、自分を守る役目の氷高透が『暗殺者』なんていう事は……普通の人間なら驚き、拒絶をあらわにしてもおかしくはない。
一応『一緒に居たい』的な言葉は発しては居たけれど、それは核心をつくものでもないと思う。自分の身を守る為、咄嗟に出た取り繕う言葉である事を、否定し得る材料を私は持っていない。
もう3分は経っただろうか。そろそろ次のトレーニングに移る頃合いかな。
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