「本音が聞こえる魔法」で破滅した公爵令嬢のやり直し
朝月アサ
第1話 エリス・カルマート公爵令嬢
「エリス、君には失望した。婚約は破棄だ。今夜のエスコートもできない」
公爵令嬢エリス・カルマートは学園で開催された卒業パーティの控え室で、婚約者のアルウィン第一王子にそう宣言された。
その背後にいるのは子爵家の令嬢フィーネ・アマービレだ。
控え室には他に人はいない。広くない部屋は冷たい空気に満たされる。
エリスは今日のために用意したドレスの裾を震える手でぎゅっとつかむ。
エリスの高貴な紫色の髪と瞳に合う、青と紫のドレス。一年も前から用意した、最高級のドレスを。
対してフィーネは質素なピンクのドレスを着ていた。
髪の色に合わせたようだが、正装のアルウィン第一王子の隣に立つのにまったく相応しくないみすぼらしさだ、まさに野ネズミのようだとエリスは思った。
「……どうしてですか、アルウィン様。この婚約は王家と公爵家にとっても大切なもの。正当な理由がなく破棄されると仰るのでしたら、わたくしにも考えがございます」
激しく打つ胸の鐘と、全身をざあざあと流れる血の熱さに耐えながら、淑女の笑みを浮かべる。
激情を押し殺して。
「君がこのフィーネに悪質ないじめを行ったことは知っている。君にも心当たりはあるだろう」
「……そんなことで……? いえまさか、そんなわけがありません。そんなことがあるわけが、あるわけが――」
アルウィンは訝しげな顔をする。
エリスは目眩がした。
まさか本当にそんなことだけで婚約を破棄するというのか。廃嫡も覚悟で。その後はこの野ネズミを守って暮らすとでも言うのだろうか。
(――そんなわけがありませんわ!)
エリスは最後の希望を託して魔法を使う。妖精からプレゼントされた本当の心を聞き出せる魔法を。
「アルウィン様、
『――君には心底うんざりだ。人の心がわからないものを、妃に迎え入れられるはずがない。消えてくれ。二度と僕の前に現われるな』
エリスの頭の中だけにがんがんと鐘のように響くそれは、紛れもない本音だった。
魔法で引き出された真実の心だった。
アルウィンは本気でエリスを嫌い、消えろとすら思っている。
その本音は、いままでエリスの心をなんとか保っていた最後のか細い糸をぷつりと切ってしまった。
「そんな……そんな……」
エリスは戦慄した。
野ネズミはただのきっかけ。エリスはアルウィンから嫌われている。人の心がわからない女だと。王族の一員になるにふさわしくない女と。
その後エリスは婚約を破棄されて屋敷に幽閉され、そのまま体調を崩して、一人ぼっちで死んでしまった。誰にも看取られることもなく。
◆
エリスが十三歳の誕生日を迎えた日の、夜遅くのことだった。
眠りに落ちたエリスの頬に、銀色の光が触れる。
「輝かしい未来が待っている公爵令嬢様にプレゼントだよ」
無邪気な子どもの声に目を覚ますと、湖の真ん中にいた。エリスはまんまるの湖の水面で眠っていて、周囲には森が広がっていてエルダーフラワーが咲いていた。空には金と銀、ふたつの満月が浮かんでいる。
ああこれは夢なのだとエリスは思った。
目の前には手のひらサイズの犬のような、白い毛並みをふわふわとさせた妖精が、銀色の羽をひらひらと揺らしながら飛んでいる。
「これは相手の本音が聞ける魔法だよ」
羽から銀の光を生み出して、エリスの周りをくるくると飛び回る。
銀の光はエリスの身体に触れると、すぅっと内側へ取り込まれていく。
「しかも、相手は言ったことを忘れてしまう。そしてその本音は君以外には聞こえない。だから、誰にもないしょで本当の心が知れるんだ。きっと恋も人生もうまくいくよ」
「すばらしいですわ。ありがとう、妖精さん」
◆
エリスは自室のベッドで朝の光を受けながら目覚めた。久しぶりに見たまばゆい光に目がくらむ。
(わたくし、死んだはずなのに)
昼間でも暗い部屋に幽閉されて死んだはずなのに。
自分の手をじっと見る。がりがりに痩せた、傷だらけの手ではない。
サイドテーブルから手鏡を取り出して顔を映す。鏡の中にいたのは幾分幼い少女だった。
ふっくらとしたバラ色の頬、つやつやの紫の髪、陶器のようなすべすべの肌。宝石のような紫の瞳。
死ぬ前はがりがりに痩せ、肌はがさがさで、骸骨のようだったのに。目は濁り、虚ろで、幽霊のようだったのに。
いったい何が起こっているのだろう。
状況が飲み込めずにいると、専属のメイドが部屋にやってきた。亜麻色の髪に緑の瞳、白い肌の三つ年上のメイドが。
「おはようございます、お嬢様」
エリス専属のお気に入りのメイドの顔を見て、記憶がよみがえる。
(思い出しましたわ)
前回は、妖精の夢を見て、目が覚めてから最初にこのメイドに魔法を使った。
自分のことをどう思ってくれているのか本音が知りたくて。
もちろん褒め称えてくれていると思っていた。愛のある言葉を言うと思っていた。
だが聞こえてきたのは――……
『あーあ、今日もまたワガママ放題のお嬢様のお守りかぁ。未来の王子妃だから我慢して働いているけど……早く死んでくれないかなぁ……』
その本音を聞いて激怒して、感情のままに部屋にあった物を手当り次第に投げつけ、怪我をさせて辞めさせてしまった。
それ以来、他人を誰も信じられなくなって、性格が歪みに歪んで、そんな状態で相手の本音を聞き出そうとしたものだから、もちろん自分への憎しみの言葉しか返ってこなくて。
(破滅へまっしぐらでしたわ……)
そんな中でも父と母、そして兄だけは心から愛してくれていた。
こっそりと本音を聞いても、そこには愛を疑うものはなかった。
(味方は家族だけだと思って、狭い世界で生きてきましたわね……)
だがそんな家族もエリスが婚約破棄されてからは、エリスを出来損ないと見て屋敷に隠すように幽閉した。家族にとって価値があるのは王子の婚約者としてのエリスだけだった。
あんなにやさしかった兄も、最後はエリスに恨み言を言って二度とエリスの元にはやってこなかった。
(わたくしは本当は誰にも愛されていなかった)
いま鏡台の前で丁寧に髪を梳いて化粧をしてくれているこのメイドも、本音ではエリスの死を願っている。悲しいが、それが自分のいままでの行動の結果だと思えば諦めざるをえない。
すべて自業自得。
それでもエリスは前を向く。鏡の中の紫髪紫眼のわがまま公爵令嬢をまっすぐに見据える。
(何故かわからないけれど、わたくしはあの日の朝に巻き戻っている。いまは十三歳……卒業まであと三年。今度こそは絶対に、幽閉されて一人で死ぬなんてことは回避しますわ!)
そうしてエリス・カルマート公爵令嬢の密かな戦いが始まったのである。
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