AI殺法 無心の太刀

ワッショイよしだ

夜襲

 碁盤の如く整った江戸城下の町並みは、さながら整ったアンドロイドの思考のようである。


 とすれば、行き交う人々はその頭脳内を動き回る伝達物質といったところか。彼らが動けばモノが、カネが、そして心が動き、そのすべてはこの町自体があたかも一つの巨大な生き物であるかのように動かしていく。


 人も人工知能も眠る静かな夜。


 白い満月を背にして、葵十郎あおい じゅうろうは歩いていた。

 左右の足の運びは極めて均一で、規則的な砂利の音が鳴る。それは彼が会得した無心流の基礎となるものであったが――もちろん彼がそのことを意識的に行っているわけではない。


 彼は、手にした流派を棄てた男。


 その機械的な足音は、しがない用心棒稼業の身体に未だしみつきこびり付いた、消したくても決して消せない過去だった。


 ●


 神倉北一丁にて辻斬りがあった。


 一度や二度ではない、五度の人斬り。

 第一の事件発生より今日まで、その現場一帯では暗い賑やかさが充満していた。


 辻斬りに狙われるのは『禱り手』ばかり。


 アンドロイドの機械学習の根幹を狙った犯行はこれまでもないではなかったが、祈禱所の強固な警備をかいくぐるこの犯行に前例はない。


 遺体にも特徴があった。


 切り落とされた首の切り口から背骨が引き抜かれ、持ち去られているのである。


 凄惨で話題性十分な事件に江戸っ子が面白がるのも必定で、号外を手にした者たちは、我先にとこの下手人探しに躍起になっていた。


「アンドロイドの反逆じゃねえか」


「AIに飯ダネを取られた恨みがある奴の仕業にちがいねえ」


 大まか二つに分かれた議論が江戸内のあらゆるところで繰り広げられ、時には喧嘩を伴う大騒ぎになることもあり、町人どうしの無用な私刑を恐れた幕府が本件に関わる憶測を諫める高札を出すほどであった。


 いつしか誰かが『うつろ』と呼びはじめた下手人に対して、当然、祈祷所や奉行所も手をこまねいてみてるわけではない。


 祈祷所の警備増強、祈祷所から寝屋までの警護、奉行所主導の町内の見回り――多くの役人が、鼠一匹ねずいっぴき通すまいと気合の入った警護を続けた。


 そのおかげか、最後の辻斬りがあってから今日で十日。下手人は姿を現していない。


 効果があったというべきだろうが……こうなると逆に警備にゆるみが出てくる。隙が出る。


 狡猾な連続辻斬りは、間違いなく、その隙を狙うだろう。まだまだ、警戒を解くわけにはいかない。


「奉行所のノンビリした岡っ引きが役に立たなくなってくる頃合いだろう。そうなると金の分キッチリ動く用心棒が都合がよい。やつらは常に優秀な仕事人だ」


 そういう考えを持つ祈祷所の幹部が、部下を使って手ごろな用心棒を探させたところ、葵に白羽の矢が立ったというわけだ。


 ●


「あんた、アンドロイドばかり斬ってるらしいな。それも相当の手練れって聞いてる」


「……偶然だ。ちかごろ斬るものといえば、それくらいしかない」


「謙遜しやがって、期待してるぜ」


 と、祈祷所守衛僧しゅえいそうがしらの源吉が葵の肩を叩いた。


 一応頭を丸めてはいるが、動きやすさを重視して僧衣を着崩しており、その目元には僧職らしからぬ傲慢さも見てとれる。軽薄そうな見た目ではあるが、この北一丁で評判の槍使いだ。


 ――謙遜なんかじゃない。俺は、人を斬れないだけなんだ。


 と、葵は言葉に出さず、はらの中で反芻した。


 彼が手を下したアンドロイドは数知れないが、彼が人を斬ったことはない。


 それが、葵が自らを「臆病者」と自嘲する理由の一つでもあった。


 ●


 他の用心棒たちも揃って守衛僧たちと共同での見回りが始まった。


 葵は源吉と組んで敷地内の寝屋の周辺を警備に当たる。


 何かと小声でしゃべりかけてくる源吉に辟易しつつも、無言の業よりは気が紛れ、あっという間に一刻が過ぎた。


 その間にも祈禱所からは禱り手がひっきりなしに出入りしている。

 仕事を終えた禱り手は寝屋へ。交代の禱り手がまた祈祷所へ。


 と、ふと思い出したように源吉が「ちょっとすまねえな」と持ち場を離れようとした。


「おい、まだ交代が来ていないぞ」


 と、葵がたしなめるが、


「固いこと言うなよ、すぐ戻るからよ」


 源吉は暗い庭の茂みの奥へ消えていった。その先にあるのは女の寝屋。

 葵はため息をついて空を見上げた。満月が上りきっている。


 と、女の寝屋から高く短い聲が上がった。


 かと思うと、鶴鳴きにも似た多数の悲鳴が夜の空気を震わせた。


 出たか、と一瞬思ったが、しかし『虚』がこんな派手な人斬りをするのか、という疑問の方が大きい。


 葵が駆けつけると、女寝屋と祈禱所を繋ぐ渡り廊下で何やら複数人がもみ合っている。


「何事だ」


 てっきり源吉が騒ぎを起こしたものだと思ったが、「なに、大したことねえよ」と彼もまたその騒ぎを見つめていた。


「よくある癇癪さ。禱り手稼業ってのは、たまにこうやって暴れなきゃやってなれないんだよ」


 元々神職とも比べられるほど閉鎖的で禁欲的な生活を強いられる禱り手たちに、そういう鬱憤が溜まっていたとしてもなんの不思議もない。ましてやこの世情。苛立ちが限界を超えることも理解できる。


 今だけは我慢しろと言いたい気持ちもあるが、むしろ今だからこその爆発なのかもしれないと、葵は考えた。


 その刹那――不意に、全身の筋肉が一瞬だけ緊張した。


 葵の視界の端を、何かが駆けていった。


 巧みに夜陰に紛れてはいるが、彼の目はごまかせない。追いかけようとする葵に、


「おい、あんたこそ何処へいく気だ」


 と、源吉が問うた。


「脱走だろう」


「なんだって、こんな時に……」


「あいつは俺が追う。源吉はこの場をおさめて祈祷所全体を改めてくれ。これ以上騒ぎが大きくなっては困る。虚が騒ぎに乗じて忍び込まないとも言い切れん」


 「ああ。あんたも気をつけな」と源吉が言い、寝屋に向きなおって大きく息を吸い込む。


「おら、静かにしねえか。こんなところに辻斬りに切り込まれちゃおしまいだぜ――」


 源吉の凄みのある叫びを背後に、葵は昏く繁る庭の中へ駆け込んだ。


 ●


 広大な庭のひと際昏い一画に入ると、祈禱所と街路を隔てる漆喰の壁にぶち当たる。


 そこに簡易的な縄梯子がかけてあった。土も付いている。何者か――おそらく禱り手――の脱走とみて間違いはないだろう。


 葵はひと飛びに駆け上がり、壁の上から注意深く周囲を見渡した。


 事件以後まるで蔵の中の如くひっそりとした夜の静寂の中に――いた。


 禱り手の装束が衣擦れする音、隠す気がみじんも感じられない大きな足音。


 一生懸命逃げてはいるようだが、厳しい軟禁生活を強いられている禱り手は、きっと体力的な問題を抱えているはず。そう遠くへは行けないだろう。


 ……はやく捕まえなくては。


 葵は音もなくみちに降り立ち、禱り手の足音を追う。


 曉橋あけばしが見えてくる。


 このままいけばちょうど橋を渡りきったあたりで捕えられるか。


 ふいに、禱り手の足が止まる。


 何かに呼び止められたかのように、こちらを振り向く。


 突然、葵の禱り手との間に、ぬるりと黒い影が入りこんだ。


 その直後、殺意とも違う、しかし人間を軽く押しつぶしてしまうかのような強烈な“無”の気配が、橋の周りの空気を振動させる。


 音もなく、光もなく、風もなく――水平で薄くまっすぐな太刀筋が、すぅっ、と禱り手の首元に迫る。


 ――


 その太刀を受け流すのもまた、“無”のやいばであった。


 間一髪、包丁で砥石を撫でるようなざらついた音とともに二つの太刀は触れ、そして離れる。


 禱り手は悲鳴を上げることもできず、その場に転がり込んだ。


 葵は重心を下げたまま刀を握りなおし、改めて下手人の全体像を確認する。橋の袂の灯篭が、禱り手を五人も殺めたアンドロイド浪人の右半分を照らしている。


 一見すると生身の人間と区別がつかないが、目隠しのような黒い帯を顔に巻いており、それが心無き存在であることを殊更に強調していた。


 ●


 アンドロイド殺しの葵十郎……と、呼ばれ始めた頃には苦笑したものだが、しかしそれが事実であることに変わりはない。葵はアンドロイドだけを殺している。

 彼らは人ではないが、それを“殺す”ということを、葵はいつも念頭に置いている。


 俺はこいつらを、殺す。

 人でないなら、殺せる。


 だが、今葵の心は揺らいでいた。


 一瞬のぶれもなく、力みもない、強さや速さを超えた無心の一戟いちげき。これまで対峙した暴走アンドロイドにはなかった違和感を、葵は感じ取っていた。


 葵が自らかたくなに塞いでいた、心の奥深くにある小さな納屋の戸が、かたかたと鳴り、開いた。


 開いた戸の向こうには、かつての自分の背中が見える。


 捨てた流派、捨てた師弟関係。


 ――


 『臆病者なんです、おれは』


 『人を斬れぬ剣になんの意味がある』


 『剣を振らぬも、剣の道であろう』

 

 ――


 逡巡のうちに、浪人の刃が再び迫る。


 袈裟懸け。


 重心を保ったまま上半身をずらして空を斬らせ、空いた脇腹目掛けて渾身の太刀を浴びせかけるも、空振り。


 すでに相手はぎりぎり剣先の届かぬ距離を取っている。


 姿はそこに見えているのに、まるで心のない闇を相手にしているかのような手ごたえのない不気味な立ち回り。


 葵は、やはりか、と認めるに至った。


 こいつは無天無心流の一端をしている――


 ●


 無天無心流は、すでに長らく途絶えた流派だった。


 心を無にし、ただ自分の身体の輪郭、自分の内在する空間のみを意識することにより、何物にもその太刀筋を読ませぬ、最強の攻めの太刀である。


 葵は、その無天無心流を会得し、そして捨てた剣士である。


 それゆえに、その直感は確信であった。


 しかし――と、葵は思う。自分が無天無心流の奥義から逃げ出したことで、継承者はこの世に師範・宇真翁うしん おきながただ一人。


 自分が知る限りではあるが、決して道場の外には出ず、ただ山奥の庵にて、ひたすら研鑽を積んでいる変わり者だ。


 その剣術の学習データなぞ、幕府謹製AIにも、堺や伊勢のAIにも吸収されているはずがない。


 いや……それともその剣が、人に対して、あるいはアンドロイドに対して、振るわれたことがあるのだろうか――


 あるいはそれとも、優れた一人の禱り手が、アーカイブされた数多の剣術・思想を組み合わせ、偶然この太刀筋を生み出したのだろうか――


 葵は肚に力を込めて、出来る限り細く長く呼吸をする。


 その呼吸とともに、思い出した不快感や疑念を代謝する。


 考えるな、今は。


 目の前の人ならざる無心の者を斬ることだけに専念すればよい。


 無天無心流は先行必勝の剣である。捨てたとは言え技術は躰に沁みついている。今だけは利用させてもらおう、その剣技の一端を――。


 葵は正眼に構えて全身の力を抜き、一瞬のうちにその意識を闇夜に溶かす。


 身体、心、手にした刀さえも――。


 そこまで来て突如として襲い来る、いいようのない不安、恐れ。


 自分が何者でもなくなる虚無感。


 だめだ、俺にはこれ以上は進めない。


 だが、ここまでくれば十分――


 葵が動く。


 傍目に見ればまるで勝負を諦めたかのように、切っ先を下げ、首を晒したまま前進する。


 柄を握る手に力は入らない。


 アンドロイド浪人も間合いに踏み込んでくる。


 その動き、たしかに無天無心流そのもの。


 だが、彼らの胴を貫くのは『芯』であり、そこに『心』はない。


“無心に心あり”


 それを表現できるのは、心のある人間のみ――


 下がった切っ先がくるりと向きを変え、そのまま斜め左へと斬り上がっていく。


 迷いなく、見えない墨痕をなぞるかのように伸びる直線は、アンドロイドの左腰から右肩まで上っていき、その上半身を斜め真っ二つに斬り落とした。


 二つに分かれたアンドロイドはその場に崩れ落ち、切り口からはアンドロイドの根幹たる筒状の器官『みき』から透明な溶剤が血液のように溢れだし、その中にある、両断された『芯』の切り口が露わになっている。


 残心と共に見下ろす葵は、いつものアンドロイド殺しとは違う高揚を感じていた。


 なぜこいつが無天無心流を。


 しゃがみ込んで検分をする。


 人と違い無機質なアンドロイドの残骸は、生の気配も死の気配もない、ただの複雑な素材や部品の塊である。


 葵の手が、自然と切断された芯に向かう。


 幹の中から取り出したそれを手にした瞬間、反射的にそれを懐に入れ、芯がなくなったほうのアンドロイドの残骸を橋の下へと蹴り落とした。


 ●


 時をおかずして、源吉がほかの守衛僧をひきつれて向かってくる。


「おい、やっちまったな旦那」源吉は笑いながら、葵の肩を叩いた。「大手柄じゃねえか」


「運が良かっただけだ」


「おっと、剣豪先生は謙遜の切れ味も一流だな。この太刀筋……運で片付けられるもんじゃねえ」


 つづけて駆けつけた奉行所の手先たちも、その手腕に舌を巻いた。


 迷いなくまっすぐな切り口。中の部品や幹・芯にいたるまで、まるで標本のようにきれいに切断されている。


「下は?」


 と、香津(こうづ)という名の初老の手先が問うた。細身細面で背の高い、見知った男だ。


 葵は、「切り捨てた勢いで」と、真っ暗な川面を見た。


「ほう、なるほどな」と頷きもせず言い、「切り上げ落とした上半身が落ちるなら分かるが、そうか、下が」


「香津殿、何か言いたいことでもあるのか」


「いや、なに、独り言よ……では川の中も探らせよう。アンドロイドは人と違って常に水よりも重いままだ。きっと近くに沈んでおるだろう」


 熟達した尋問者の目つきをした手先は、ふたたび残された上半身の調査に戻った。


 鋭く粘りつく香津の興味がようやく残骸へと戻ったことに安堵し、葵は曉橋を後にする。


 と、そういえばさっきまでその辺に転がっていた禱り手の姿がないことに気が付いた。


 今頃きっと寝屋へ逃げ込んで愚行を後悔しているに違いない。


 ぎりぎりのところで道を外れなかった幸運に感謝をしながら。


(つづく)

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