お隣のマキさん

渡貫とゐち

お隣のマキさん

 隣のパン屋さんのお姉さん……名前はマキさん。

 ぼくが今よりも小さな頃からそのパン屋にいて、毎日、家を出ると挨拶をしてくれる。

 お母さんよりも若くて綺麗な人だ。

 こんなことを言うとお母さんが拗ねてしまうので口には出せないけど。


「マキさん、おはよう!」

「おはよう、今日も試作品、食べていく?」

「うん!」


 マキさんは並んでいる商品にも負けない試作品を作って食べさせてくれる。毎回毎回、美味しいパンをご馳走してくれる……、本当はここが良くてここが悪いってアドバイスをした方がいいのだろうけど、ぼくにとっては悪いところなんてないから、アドバイスにはならないのかもしれない……――けど、マキさんは優しい笑顔で喜んでくれる。


 今日も、文句を言うところがない、美味しいパンだった。


「ありがとね」


 マキさんの試作品を食べてから学校にいく……それがぼくの一日の始まりなのだ。



 学校へいくと、ある話題で持ち切りだった。

 なんと勇者さまが、この町にきているらしい。


「なんでこの町に勇者さまが?」

「十年前に倒された魔王の子供? が、この町に隠れているかもしれないんだってさ」


 あくまでも噂らしいけど、それほどの理由がなければ勇者さまが動くことはないだろう……わざわざ花とパンしかないこの町に、観光でもないだろうし。


「お、あれが勇者さまのご一行じゃないか?」


 窓の外を見ると、先頭を歩く勇者さまと、ぞろぞろと後ろをついていく甲冑の人たち。

 噂の魔王の子供を探して捜索している、と言うよりは、目的地が分かった上で自信満々に歩いているような足取りだった……。

 既にターゲットを見つけているのかも。

 魔王の子供……、そんな凶悪な人がこの町に隠れていたなんて、怖い世の中だ……。


「はぁーい、みなさん、席についてくださーい」


 と、先生が顔を出して、みんなが窓から離れていく。

 ぼくもそれについていこうとしたけれど、勇者さまの進路方向に、心当たりがあった。


 あの道の先は、だって、ぼくの家があるし……それに、マキさんも――。


「…………」

「どうしたの? 早く席に、」


「先生っ、お腹が痛いので早退します!!」

「え、ちょっ」


 ぼくは走り出していた。

 嫌な予感は、当たらない方がいい。



「――魔王の娘だな? ……目的は、分かっているだろう?」


 町のパン屋だった。

 そこで働く一人の女性は、十年前に勇者によって滅ぼされた、魔王の娘である。

 ……兄妹姉弟きょうだいの中の一人でしかないが。


「……なんのことでしょう、と言っても誤魔化せませんよね?」

「残念ながら」


「……そうですか。分かりました。私を殺すのですか? 一応、命乞いをしますけど、私は父のような力は持っていませんし、堅実に、人間と共存して生きていこうと思っています。元々、父のやり方に賛成していたわけでもないですからね……。立場上、止められなかっただけで……――当時の私も子供でしたから。今の私は人間と変わりありません。お隣の男の子と毎日、試作品のパンを食べながら暮らしている、普通の女性ですよ。それでも殺しますか?」


「ああ、殺す」


 情状酌量の余地はなかった。


「魔王の血を引いているだけで、罪になるんだ……、お前は安全かもしれんが、お前の子は? 危険ではないと言えるのか? 魔王の血が再び人間世界を支配するかもしれない……。魔王を倒したが、その魂が転生し、孫の代で復活するかもしれないなら、その血は今ここで絶やすべきだ」


「きちんと育てますけどね……」

「だとしても、ここで判断はできんな」


 魔王の娘が溜息を吐いた。

 これは逃れられない、と……、だからと言って抵抗する気もなかった。こうなることは、遅かれ早かれ決まっていたのだ――十年も隠れられたのなら、長い方である。


「なら、お好きにどうぞ。私は逃げも隠れも抵抗もしません。あなたの剣で、ずばっと斬ってしまいなさい」

「…………ご協力、感謝する」

「それ、私に言うべきセリフですか?」


 くす、と笑った女性に、勇者の剣が振り下ろされ――



 その寸前で、横から飛び出してきた少年が勇者を突き飛ばした。


 軌道がずれた剣が女性の髪を少しだけ斬り、剣が地面を滑って離れていく。



「ッ、ガキ!!」


「マキさんになにしてる!!」



 少年が滑っていった剣を握り締め、女性の前に立った。

 這う勇者が少年を睨みつけ、後ろにいた甲冑たちが身構えた。


 勝ち筋が見えない戦力差だが、少年は決して、臆したりすることはなかった。


 ……好きな人が後ろにいるのだ、恐怖に震えてもいいけど、絶対に逃げるな。


 勇者の剣を握り締め、少年が立ち向かう。


「……魔王の子供だからって、マキさんを殺すの……? っ、バカじゃないのかっ、マキさんがなにをしたって言うんだ!!」


「ガキには分からん。魔王の血が続けば、いずれ世界が支配されてしまうかもしれないんだ――だったら、芽の内に摘んでおく……これが最も、効率的な方法だ」


「あんたら勇者は、そこまで役立たずなのか?」

「なに?」


「魔王の血が世界を支配するかもしれない? ――勇者がいるだろ! 今後も代々、続いていくはずだ! 魔王が復活したなら戦えばいい、世界を守ればいいじゃないか!! もしも魔王の脅威がなくなったら、勇者の存在価値はなくなる……あんたたちはただの一般人に戻るんだ、これまでみたいに偉い態度なんて取れなくなるぞっ、いいのか!?」


「本当に世界が平和になり、今後も絶対に脅威が現れないと確信を得られれば、勇者なんていらなくなるな……」


「絶対に確信を持っても、崩れるのが平和じゃないのかよ」


 ……子供のくせに、分かったようなことを言う……実際、彼の意見は間違いでもなかった。

 未来のことなんて分からない。一時的な平和かもしれないし……魔王がいなくなっても人間同士の争いが起これば、魔王との戦いとなにが違う?


 勇者が本当に安心できる世界なんて訪れない。


「マキさんは脅威にはならないよ……、少なくとも、美味しいパンしか作れない綺麗なお姉さんに、世界をどうこうする力はないんだ!!」


「……ガキ。お前に、面倒を見れるのか?」

「見れる!!」

「おい、ペットを飼うわけじゃねえんだぞ?」


「それでも、マキさんが魔王の子供でも、ぼくがずっと見てる……、だからお願いします、マキさんを殺さないでください……っ!」


 勇者の剣を置き、膝をついて頭を下げた少年……。

 そっと、当事者である魔王の娘も、膝をついた。


「私からもお願いします……この町に、いさせてください。私に、人間と共存をする、チャンスをください!!」


 頭を下げた。

 少年と女性が、勇者に向けて。


「…………、ここで俺が、お前たちの首を落とせば、俺は魔王よりも魔王だな」


 頭をかきながら、勇者が踵を返した。


「わーったよ、見逃してやる。ただ、他の魔王の子供を見つけ、そいつが危険だと俺が判断したら殺すからな。見逃されたお前は特別だってことを覚えておけ」


「はい……ありがとうございます……」

「じゃあ、帰るわ……おいガキ、その剣、返せ」


 勇者が剣を拾う。そのついでに、少年の腕を掴んで持ち上げた。


「こいつを守りたいなら強くなれ。頭を下げて守れると思ったら大間違いだからな?」


 それだけ言い残し、勇者たちが去っていった。

 最後尾の甲冑の一人がこっちを見ていた。少年は、その視線に首を傾げ――


 すぐにお姉さんの言葉に反応する。


「ありがと、弟くん」

「うん……ごめんなさい、勝手なことをして……」


 お姉さんが首を左右に振った。


「試作品、また作ったの……今日は二個目になっちゃうけど……食べる?」


 少年が飛び跳ねて言った――「食べる!!」



 魔王の娘は、今はパン屋のお姉さんなのだ。



 ―― 完 ――

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