命は尊きもの

口羽龍

1

 それは6月の晴れた休日の事だった。ここは鹿児島市。桜島を遥かに見る鹿児島県の県庁所在地だ。ここ最近雨が多い日が続いているが、今日は晴れている。今朝は朝からとても暑い。来月辺りに梅雨が明けると、もっと暑くなるだろうと誰もが思っていた。


 末次(すえつぐ)家でも、いつものような朝を迎えると思われていた。末次遥(はるか)はいつものように息子の光(ひかる)を起こしに行く。光はこの近くの中学校に通う中学校2年生だ。だが、ここ最近様子がおかしいと言う。だが、それを誰にも言おうとしない。ほっといてくれと言い、引き離すだけだ。


「光、いつまで寝てるの!」


 遥は何かがおかしいと感じていた。光が時間になっても起きない。いつもだったら勝手に降りてくるのに、どうしたんだろう。


 遥は部屋の扉を開けた。だが、そこには光がいない。どうしたんだろう。遥は辺りを見渡した。だが、どこにもいない。もう出かけたんだろうか? いや、この時間は家にいるはずだ。


 遥は1階に降りてきた。1階には夫の慎太郎(しんたろう)がいる。慎太郎はすでに朝食を食べ終え、新聞を読んでいる。


「どうしたの?」


 慌てている遥を見て、慎太郎は何が起きたんだろうと思った。明らかにいつもの遥と表情が違う。


「光がいないのよ」

「えっ!? どうしたんだろう」


 慎太郎は開いていた新聞を閉じた。昨日はいつも通りの様子だったのに。おかしいな。何か事件に巻き込まれたんだろうか? いや、そんな事はない。鍵はしっかりとかけている。


「どこに行ったんだろう」


 遥は受話器を取った。中学校の担任の先生に知らせるつもりだ。


「もしもし」


 電話がつながった。担任の先生、宮部(みやべ)だ。


「はい、どうしました?」

「末次光が行方不明になったんです」


 宮部は驚いた。昨日まで普通に学校に来ていた光が行方不明になるなんて。一体何があったんだろう。宮部も焦った。


「ほ、本当ですか? 警察に言いました?」

「いえ、これからです」


 まずは警察に連絡して、捜索してもらう事が大切だ。遥は朝から汗をかいている。大切に育てた一人息子なのに。


「早く捜索願を出してくださいね」

「はい!」


 遥は受話器を置いた。遥は興奮が収まらない。もしも、光が死んでしまったらどうしよう。世界でたった1人だけの息子なのに。


「変な兆候あった?」

「ううん」


 慎太郎も首をかしげた。どうしてこんな事になるんだろう。光は全く悪い事をしていないのに。


「変だねー」


 遥も首をかしげた。あんなに元気だった光に何があったんだろう。


「ちょっと光の部屋を見てくるね」

「うん」


 遥は2階に向かった。光の部屋を探索しようと思ったのだ。部屋を調べれば、いなくなった原因がわかるかもしれない。


「はぁ・・・。光、どうしたんだ・・・」


 慎太郎は頭を抱えた。光が心配でしょうがない。いつも通り仕事に行こうとしていたのに。このままでは仕事に集中できないよ。


 慎太郎はテレビのニュースを見た。もし、捜索願が出たら、テレビに光の事が出るんだろうか? いや、出てほしくない。早く帰ってきてほしい。


「キャー!」


 突然、2階で声がした。遥の声だ。何が起きたんだろう。慎太郎は慌てて2階に向かった。


 その頃、遥は2階で泣き崩れていた。光の部屋で遺書が見つかり、内容によると、いじめがあったそうだ。そして、いなくなったのは、どこか遠い所で自殺しようと思ったからだという。


 光の部屋に、慎太郎がやって来た。慎太郎は遥が泣き崩れるのを見て、ただ事ではない何かが見つかったんだと確信した。遥は紙切れを持っている。そこに何かが書かれているんだろうか?


「どうした?」

「い、遺書!」


 泣き崩れる遥から、慎太郎は紙切れを取った。この紙切れに何かが書かれているんだろうか?


 慎太郎は読み始めた。そこには光が受けていたいじめの様子が書かれていて、そして別れのメッセージで終わっている。




 お父さん、お母さん、突然いなくなってごめんなさい。


 僕は明日から、お父さんとお母さんの心の中で生きます。


 もうこんな地獄のような日々で生きたくないよ。


 秋本と川島にいじめられた。頭が悪いからばかにされた。教科書やノートを取り上げられ、隠された。蹴られもしたし、パシリにされた。


 もうこんな生活、耐えられないよ。早く天国に行きたいよ。


 もし、僕が生まれ変わったら楽しい日々を送るんだ。頭が良くて、たくさんの友達に囲まれて、幸せな日々を送るんだ。だから、心配しないでね。




 慎太郎も次第に泣けてきた。こんな事で光が命を落とすなんて。命は尊いのに。どうしてこんなにも簡単に命を落とすんだろう。


「そんな・・・。まさか、いじめられていたとは」


 いつの間にか、慎太郎は大泣きしていた。泣き崩れている遥は全く止めようとしない。


「とにかく、先生に言って!」

「ああ」


 慎太郎は遺書が見つかった事を先生に言おうと、1階に向かった。




 それから1時間後、光の中学校では、休日にもかかわらず生徒が集まっている。光がいじめ自殺で行方不明になったという話を聞いて、全校生徒が集まってきたそうだ。全校集会では光の両親が涙ながらに訴え、もう帰ってこないかもしれない光の事を言うそうだ。


 宮部は秋本と川島を見つけた。2人とも、ズボンのゴムを抜いていて、ぶかぶかだ。2人を見て、宮部は拳を握り締めた。大変な事になったのに、のん気に歩いている2人が許せなかった。


「どうしたの?」


 宮部に引き留められて、2人は驚いた。どうしたんだろう。


「おい、知ってるか? 末次が自殺を図ったんだぞ! お前らのいじめが原因だと遺書に書いてあったんだぞ!」

「そ、そんな・・・」


 それを聞いて、2人は呆然となった。まさか自殺するとは。俺のしてきた事で、こんな事になるとは。お母さんに謝りたい。もうひどい事はしないから、許してくれ。


「それは本当か?」

「は、はい・・・」


 宮部は2人の頬を叩いた。2人は泣きそうだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「やったのは確かだな」

「はい・・・」


 宮部は厳しい口調だ。お前らはとんでもない事をしたんだぞ。宮部は、いじめた彼らに腹が立っている。


「もう末次は帰ってこないかもしれないんだぞ! 後悔してももう遅いんだぞ! わかってるな!」

「はい。本当にごめんなさい・・・」


 いつの間にか、2人は泣いてしまった。今、目の前に光がいるなら、泣いて謝りたい。なのに、もう光はこの世にいないかもしれない。


「反省してるな!」

「もちろんです・・・」


 2人は頭を下げている。早く両親に謝らないと。


「末次のお母さんに謝りに行くぞ!」

「はい・・・」


 2人は宮部とともに光の家に向かう事にした。2人はおびえていた。光の両親はどんな表情だろう。きっと怒っているだろうな。許してくれないかもしれない。だけど行かなければ。




 3人と秋本と川島の両親は光の家にやって来た。玄関の前には光の両親がいる。2人ともいまだに涙を流している。突然、最愛の息子を奪われたのだ。ショックを隠し切れない。


「うちの息子が本当に申し訳ございません!」

「そんな事を言っても、息子は帰ってこないんですよ! わかってるんですか?」


 遥は怒っている。こいつが光を死に追いやったんだ。そう感じると、殺したくなる。だけど、殺してはならない。家族全員に迷惑がかかる。


「わかってます。でも、もう取り返しのつかない事なんですよ」

「うるせぇ! 人殺し!」


 慎太郎も怒っている。もう光は戻ってこないかもしれない。たった1人の息子をよくも自殺に追いやった。絶対に許す事は出来ない。地獄に落ちればいいのに。


「本当にごめんなさい!」

「お前の土下座なんて、何の意味もないわ! 帰れ! もう会いたくない! 死んじまえ!」


 怒った父は秋本と川島を蹴飛ばした。2人はアスファルトに頭をぶつけた。彼らの両親はじっとそれを見ている。こんなひどい事をしたのだから、こんな事をされて当然だ。その痛みを味わってほしい。


「そ、そんな・・・」


 秋本は顔を上げ、慎太郎を見ている。慎太郎は泣きながらも、厳しい表情だ。そして、遥と慎太郎は家に戻っていった。


 その時、宮部が2人の肩を叩いた。励まそうとしているようだ。2人は宮部の方を向いた。


「じきに落ち着くさ。大丈夫大丈夫。反省してるんでしょ?」

「うん」


 朝の表情とまるで違う。本当の父のようだ。とても優しい。2人は少し緊張がほぐれた。まだ光が死んだかどうかはわからない。奇跡を信じよう。もし生きていて、再会できたら謝ろう。そして、共に日々を頑張ろう。もし死んでいたら、光の分も頑張って生きよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る