第7話 王都ニーベル(1)

「この街は初めてですが、すごく華やかな所ですね」


 街に一歩踏み入れた瞬間、視界いっぱいに映った大勢の人と無数の壁画が出迎える。

 内壁に絵が描かれていることは知っていたが、街中の家々にまで描かれていることは知らなかったな、とバークは感嘆の吐息を漏らす。


 なんせ徒歩だと三日かかるうえ、自分の街だけですべて事足りていたので、バーク自身も王都に来たことがなかったからだ。


 風景画や抽象画もあるがそれより目を引くのが、子供たちが遊び、男女が抱き合い、老夫婦が寄り添う。

 そんな人の愛のカタチが表現された壁画が数多く描かれているのが印象的だ。しかも絵を描きやすいようにするためかレンガの家はなく、すべてが石壁の建物で造られていた。


「なかなか素敵な街じゃない。人間だったら永住したいくらいだわ」


 メルは美術品に興味が強いのか、広場の噴水の真ん中に立つ翼の生えた白い女神像を見上げる。細部まで作り込まれた造形は、素人目にも名のある名工が作った作品であると感じ取れた。


「街も活気があって芸術に溢れていて。いるだけでなんだか楽しくなってしまいますね」


 ティアもクルリと一回転し、無邪気にはしゃぐ。

 入り口すぐにある広場から伸びる大通りの先には、街中の景色に負けず劣らず豪華な城がそびえ立ち、客人を迎える王のようにドシッと構えている。

 バークたちの入った入り口は住居と店が立ち並ぶ商店街で、花を売っている店や肉を焼いている店など多種多様の屋台も出店していた。


「なんだかんだ朝食も摂ってないし、軽くなんか食べておくか」


 漂ってくる香りに食欲を刺激され、三人で軽く腹ごなしでもしようかと思い、バークは近くにあった屋台へと足を向け。


「──おっと、ばあちゃん大丈夫か?」


 目の前を横切ろうとした白髪の年配女性が、転びそうになるのを慌てて支え助けた。


「ありがとうね。なんだかちょっとよろけちゃってね。最近、よく転ぶようになっちゃってね。私も年かしら」


 バークの腕を掴みながら体を起こした女性は、自嘲するように元気のない笑みを浮かべる。顔色を見る限り、体調が悪いというわけではなさそうだが。


「家や他の場所では平気なんだけどね、この噴水の近くを通るとなんだか体が重くなった気がして足がもつれちゃうのよ」

「人通りが多いから地面が微妙にデコボコしてるのかもな。足元気をつけて行ってな」


 女性は軽く会釈をすると大通りの先へと進み人混みの中へ消えていく。その足取りは重いようには見えず、足腰もしっかりしているようにバークには感じられた。


「あっ、あの人も転びましたね」


 今度はバークより年下の若い男が何もない所で地面に手をついた。石につまづいた様子もなく、地面に窪みがあったわけでもない。


「本当に地面が歪んでんのかな? でもちゃんと綺麗に整備されてるように見えるけどな」


 ごく一般的な石畳の地面は人通りが多ければ傷みやすくもなるが、一部分を新しいブロックと入れ替えれば簡単に綺麗にできる。

 見渡してもデコボコしている様子はなく、しっかりとメンテナンスが定期的に行われているように見受けられる。


「ん? メルどうしたんだ?」


 変なこともあるもんだなとバークが思っていると、一部始終を見ていたメルが何かを見定めるようにジーッと一点を睨んでいた。


「なんでそんなに険しい顔して女神像を見てるんだ? 確かに良い作品だけど、今は先にやることが」


 バークがかけた言葉を遮るようにメルが右手を正面に向け上げる。


 そして次の瞬間、腕に付けたブレスレットの宝石が光ったかと思うと、メルは目の前に炎を生み出し問答無用で女神像に向けて解き放った。


「何を!? ──って、避けた!?」


 メルの奇行を咎めようとした直後、動くはずのない彫像がジャンプをした光景に思わず声が裏返る。


 まるで灰色の人間が舞台から飛び降りたような躍動感にバークは目をこれでもかと剥き、周囲の音も掻き消え聞こえなくなる。

 誰もが自分の頭も目も疑う中、炎が空へ消えていくと水しぶきを上げながら女神像が華麗に着水した。


「やっぱり。こいつ付喪神スペリアよ」


 確信を得たメルが即座に警戒の声を上げ、ティアも足を引いていつでも蹴り出せるように臨戦態勢をとる。


 付喪神スペリア!? こんな街中の大勢の人の前に!? なんでメルは気づいた!?


 たくさんの疑問が次々とバークの頭をよぎっていくが答えてくれる者はなく。

 自分はどうしたらいいのかと狼狽えていると、突然炎を放った女と動き出した女神像に、近くにいた人たちはパニックになり一斉に逃げ出し始めた。


「なるほど。周囲を歩く人を転ばせて、痛みから負の気を集めてたんですね」

「え……なんかやってることスゲーしょぼくない?」


 ティアの説明に付喪神スペリアの存在感とスケールの小ささのギャップに、バークは一気に冷静になる。

 付喪神スペリアと言えば人類の災厄とまで言われる存在なのに、初めて目の当たりした個体がやっていたのが〝人を転ばせること〟による負の気の搾取。そのなんとも子供じみた所業にバークは気が抜けそうになった。


「ガ……ゴ……」


 そんな人間の呆れ顔に怒りを感じたのか、付喪神スペリアは目から血を流し、外れたかのように顎をガクガクと鳴らすと、胸に赤い球体を吐き出し背中から長い腕を二本生やして四つん這いになった。


「うわっ怖っ!」


 怪談話に出てきそうなほど奇異で生理的嫌悪を抱く見た目に、バークは腰に差していたナイフを引き抜く。明らかに野生の獣より強くて硬そうな相手に効果があるとは思えないが、素手でいるよりはマシ、


「そんな武器、邪魔になるだけよ」


 と思ったのも束の間、メルが一足飛びに付喪神スペリアへ肉薄すると、拳を振りかざし相手の顔面を殴りつけた。


 その威力は凄まじく地面をガガガッと削りながら滑った女神像は、最後は派手に一回転すると近くの民家の壁にめり込んで止まった。


「あなた、付喪神スペリアの王について何か知らない?」


 殴りつけた相手から話を引き出そうとする姿勢にバークは逞しさを感じつつ、付喪神スペリアの返答を聞き逃さないように耳を澄ます。


 しかし女神像は壁から破片をガラガラと溢しながら立ち上がると、後頭部まで裂けた口を広げながら獣のように突進してきた。


「どうやら知能の低い個体みたいね」

「話もまともにできない相手であれば、ただの獣と同じなので、もう用はありませんね。下水にでも廃棄しましょう」


 メルとティアが迫る付喪神スペリアを上空にヒラリと華麗に跳んで躱すと、通り過ぎた相手の背中を冷ややかに息を吐く。その姿は氷原に咲いた二輪の薔薇が冷気を立ち昇らせているように見えた。


 避けられたことを悔しがるように、女神像は背中から生えた腕で近くの民家を叩く。そして怪しく瞳を赤く光らせると、両腕を天高く掲げた。

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