第5話 出立(1)

 バークは翌朝早く工房に赴き、親方に退職を申し入れた。引き止められはしたものの、最後には「いつでも戻って来い」なんて言われ見送られた。


 工房仲間とは顔を合わせず出て来た。いくら覚悟を決めたと言っても、気のいい奴らとしばらく会えなくなると思うと気持ちが揺らぐ。いつか必ず再開を喜び合えることを信じ、すべてを親方に任せてバークは工房をあとにした。


「準備はこれでいいな」


 姿見で装備のチェックをし、扉を開け自分の部屋を出ていく。


 街の外には獣がいるし旅路で汚れるので、汚れの目立ちにくい灰色のシャツに茶色のズボン、紺色のコートを羽織り太めのナイフを装備。


 そして必要最低限の必需品を小さなカバンに詰め、石やレンガ造りの建物が立ち並ぶ街中を思い出を噛み締めながら歩いた。


 港街独特の潮の香りが漂い、魚売りの屋台で銀光を煌めかせる魚。ガラスのショーウインドウの向こうでカチコチと時を刻む柱時計や艶やかなドレスが映える。


 土の見えない石畳の通りを行き交う行商人に面白がって付いていく生成りシャツの子供や、仕立てのいい服にシルクハットとステッキ姿の紳士、フリルのついた淡い緑色のドレスに白いジャケットを羽織った淑女など、老若男女さまざまな人たちが視界に入っては後ろに流れていく。


 交友関係は狭かったので挨拶をして別れを惜しむ相手はいなかったが、無事に戻ってきたときには工房仲間に冒険譚を思いっきり自慢してやろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、待ち合わせ場所の街の出口にたどり着く。すると昨日のことが夢ではなかったことを実感させられた。


「遅かったですね。男なのにそんなに準備に時間がかかるのですか? 準備より女性を大事にしない男は器の底が知れますね」


 昨夜と変わらず丁寧な言葉遣いで……なぜか〝毒舌口調〟で出迎えたティアに、バークは頬を掻きながら答えた。


「あ……れ? 俺、何か怒らせるようなことした?」


 明らかに態度の違う美少女に、不安になって相棒のメルに尋ねる。

 昨日は血を吸われて吸血鬼ブラディアにされて、元に戻るための説明を受けただけだ。何も気に障るようなことはしていないはずだが……


「ああ。ティアって口調は丁寧なのに毒舌で辛辣なのよ。昨晩は猫被ってたけど、仲間として行動するってなったから素を出してきたんじゃない?」


 ドキドキしているバークに、メルはティアの横で苦笑を浮かべた。 


「男ならこの程度のことで動揺しないでください。これからは辛い状況なんていくらでもあるんですから、大きな器と度胸をつけて貰いたいものです」


 表情は笑顔なのに出てくる言葉は毒を持つという、頭が混乱しそうなティアの言動に、バークは顔を引き攣らせながらも合流を果たした。


「と、とにかく。これからよろしくな」


 一抹の不安が増えはしたが、自分の目的のためには背に腹はかえられない。口調が辛辣だからなんだ、と自分を奮い立たせる。

 昨日と同じ姿で佇んでいた二人を見ると、現実が突き付けられた気分になってくる。

 お前はもう子供が作れない吸血鬼ブラディアなんだ。そして人間に戻るために付喪神スペリアと戦わなくてはいけない。そう言われている気がした。


 バークは二人を恨む気持ちはない。恨んだことで失ったものを取り返せるなら恨むだろう。けれど変えられない過去に縛り付けられるより、変えられる未来と可能性を掴みにいくほうが大切だ。そう思うからこそ、バークは二人と共に街を立とうと決意したのだった。


「それで、どこへ向かうんだ?」

付喪神スペリアはいつまでも同じ場所にいるわけじゃないから、旅をしながら手がかりを得て居場所を探す感じね」


 問いかけにメルが答える。定住している地があるならすでに二人は攻め込んで仇は討っているはずだ。そうでないことからバークも予測はしていたが、下手すると世界中回ることになる可能性もある。


 吸血鬼ブラディアになったがゆえに見た目は何年経っても変わらないし、何百年も生きられるので時間はいくらでもある。

 だがバークは自分の夢をいつまでも先延ばしにするほど、のんびりした性格ではない。焦っては事を仕損じるので焦りはないが、何十年も時間をかけるつもりもなかった。


「この街に付喪神スペリアの痕跡はなかったので、隣街へ移動しようと思います」

「隣街って言っても歩きだと丸三日はかかるぞ? しかもその格好のまま行くのか?」


 ティアが視線をやった街の外には、土が剥き出しの地面と木々が立ち並ぶ。

 物資の行き来があるため隣町まで人や荷馬車が通る街道はあるが、整備されているわけではなく野原よりは歩きやすいといった程度だ。そんな道を街中で過ごすような格好で歩けば服は汚れるし足も痛める。

 しかも昨日は暗がりでバークはよく見ていなかったが、二人はサンダルのような素足の見える靴を履いている。これでは草で足を切る可能性だってあった。


「大丈夫よ。私たち体力や持久力が人間と桁違いだから、軽く走っても一時間くらいで着くわよ」

「そんなスピード出せるのか!?」


 予想外の答えにバークは思わず声が大きくなってしまう。

 身体能力が高いとは聞いていたが、まさか獣たちより上だとは……


「でもさすがに筋肉がもたないだろ? しかもそんな速さで走ったら服や靴だってボロボロに……」


 草木で二人の服が擦り切れ乱れた姿を想像してしまい、バークは自分の頬が紅潮していくのを感じた。


「魔力で肉体や物質の補強ができますし、軽い怪我なら痛みも感じず一瞬で治るので大丈夫ですよ」


 さすがに吸血鬼ブラディアに成り立てで、バークが知るはずのないことを聞いても辛口にはならないようだ。普通に返してくれたティアに安堵の溜め息が出た。


「人間だったときには感じなかった力みたいなのがあるでしょ? それを体や服に流すイメージをしてみて?」


 昨日吸血鬼ブラディアになった直後から、体の奥底から湧き上がってくるように全身をたゆたう不思議な力をバークは感じていた。

 これが魔力なのだろうと自分の手のひらに集めるように意識してみると、まるでランプに触れているように熱くなる。

 それを今度は衣服全体に流れるようにイメージすると、装備が一回り分厚くなったような感覚がした。

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