分裂少女と付喪神ハンター〜2人の美少女吸血鬼と付喪神退治の旅〜

タムラユウガ

第1話 分裂少女(1)

 何が起きたのか。

 気づいたら男は二人の美少女に押し倒されていた。


「……もう我慢できないわ」


 肩下まである金髪を垂らし、黒髪の男──バークの右腕に馬乗りになった少女は、妖艶な瞳に炎を宿らせながら舌舐めずりをする。


 少し陽に焼けたようなベージュの肌に、大きな胸を強調したコルセットのような青紫色の服と黒いタイトパンツ。

 両腕には赤い宝石が埋め込まれたシルバーの腕輪がキラリと光り、細い腕にアクセントをつけている。

 見た目は十八歳ぐらいに見えるのに、艶めかしい色気をフェロモンを醸し出す姿は、夜の歓楽街で男を惑わすような妖艶さも垣間見えた。


「好きにしてよろしいです……か?」


 左手を押さえ込んだライトブラウンの長い髪を結い上げた少女が、大きな瞳を潤わせながら上目遣いで見つめてくる。


 透き通るような白い肌に、水色が映える袖のないブラウスと白いスカート。両耳に付けた青い宝石があしらわれたイヤリングがひときわ目を引く。


 こちらももう一人と同じ年くらいだが、清楚を地で行くような見た目なのに赤く蒸気した頬と綺麗な形の胸元がバークの情動をくすぐる。


 あまりに突然の状況に、酒を飲みすぎて幻でも見てるのかと、バークは自分の頭を疑い正気度を確かめる。


 俺の名はバーク・マッケンヤー、二十歳。街で武器製造を行う、長身でつり目の職人。独り身で親兄弟もいない。


 よし。自分のことはちゃんと思い出せるので、どうやら頭は正常らしい。ということは酔い醒ましのために足を向けた石造りの倉庫の横で、外灯の下でうずくまっていた二人に声をかけた途端、地面に押し倒されたのも夢ではなかったようだ。


「こ、こんな夜の街中で大胆ですね」


 美少女二人に押し倒されるという、男なら願ったり叶ったりの状況ではあるが、そこらの男より多少は顔がいいと言われるバークでも、さすがにこんなに開放的な場所で襲われた経験はない。


 仕事上がりの茶色のダサい作業服のままだったし、できることなら自分の家で……ともバークは思うが、余裕のなさそうな二人は上がった息を喘ぐように吐き出しながら言った。


「お願い、私たちに身を委ねて」

「もう衝動が抑えきれないんです」


 腕を押さえる力がグッと増す。今すぐにでも行為に及びたいと欲するような仕草に、バークの体温もグググと上がっていく。


 街中とはいえ倉庫しか周囲にない海辺のためか人の気配はまったくなく、夜中に誰かが来るような場所でもない。

 つまりは男と女が多少騒いでいても、誰かに見られることはまずないと言える。


 そんな打算的なことが脳裏によぎりつつ、「酔った勢いだったのだ」と後で冷静になった自分に言い聞かせようと心に決め、バークは間違った言葉を口にしてしまった。


「どうぞ好きにしてください──ハッアッ……」


 ──瞬間、バークの首筋に両側から何かが突き刺さった。


「な……にを……」


 それが〝美少女二人の牙〟だと気づいたときには後の祭りで、バークは自分の体から急激に力が失われていく感覚に、血を吸われているのだと知覚するのに時間はかからなかった。


「がっ……はぁっ……」


 まるで氷を当てられたように首筋から肩、胸や腕が冷めていく。酔いはすっかり覚めていたが代わりに意識を奪われそうになる。

 そんな男の様子など見向きもせず、一心不乱に血をすすり続ける二人の正体に、バークは今更ながら思い当たった。


 吸血鬼ブラディア──人間の血を吸って悠久の時を生きる不老長寿の半死人。生殖能力はなく、人間を同じ吸血鬼ブラディアに変えることで繁栄してきた種族。


 不老と言っても数百年をかけてゆっくり年を取るというだけで、老衰や致命的な怪我で死ぬ。


 人間の血も無差別に吸うわけではなく、むしろ人間社会での困りごとに手を貸してくれる心優しい面を持つ隣人的な立ち位置の者として、現代では誰もが友好的な関係を築いていた。


 通常は血を吸われても死ぬことも吸血鬼ブラディアになることもなく、悪くても体調不良になって数日寝込む程度だ。


 だが〝二人同時〟に吸われたときにどうなるか、その知識をバークは持ち合わせていなかった。


「し……死ぬ……」


 これ以上はマズいと訴えるように、気力を振り絞って両手で二人の体を叩く。

 その直後、二人はバッと顔を上げ〝しまった〟と言うように目を見開いた。


「あっ、思わず吸いすぎちゃった」

「す、すみません。体、大丈夫ですか!?」


 金髪少女が手のひらで口元を覆い、茶髪少女が慌ててバークの腕から下り、手のひらを握って潤んだ瞳を見せる。


 どうやら死ぬことは回避できたようだが、血を吸われ過ぎたのか一ミリも体を動かすことができない。人形になったかのようにまるで力の入らない手足のせいで、バークは逃げることも相手に文句を言うことも叶わなかった。


「死んでなければすぐに復活するはずだから大丈夫……よね。ティア?」

「メルもどうなるかぐらいは知っているはずですよね?」

「あくまで聞いた話だから、実際のことなんてわからないわよ」

「私もお父様に聞いただけですし、初めてのことなので……」


 意識が朦朧とするバークの顔を覗き込みながら、二人は立ち上がり様子をうかがう。

 どうやら金髪少女がメル、茶髪少女がティアという名前らしいが、短く呼吸をすることしかできなくなっていたバークの頭では、なんのことか理解さえ不可能な会話だった。


 とにかく助けて欲しい、今すぐここから離れたい。その一心で誰かを呼ぼうとなんとか声を絞り出そうとした瞬間。


「あっ……ぐっ……がっはっ……」


 突如、全身に湧き上がってきた溶けるような熱に、意識を強制的に覚醒させられた。


「あっあっあっ……うっ……がっ……」


 ドロドロに溶けた鉄を流し込まれるような灼熱感に、うめき声しか出せず体が無意識にグッと大きく仰け反り、千切れそうなほど筋肉が収縮し硬直していく。


 このまま全身の骨が砕け散ってしまうのではないかと思うほど、力が強制的に入るのが止められない。


 苦しくて意識を手放したくても痛みで無理矢理叩き起こされる。まるで地獄の業火に焼かれているかのごとき責め苦に、バークは殺してくれと叫びそうになった。


「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」

「わ、私に聞かれても困ります!」


 あまりの光景に怯えバークから距離をとり、不安そうに見つめるメルとティア。そんな二人に助けを求めようとバークが右手を伸ばした瞬間。


 まるでガラスが粉々に砕け散るように一気に全身の熱が消え去った。


「ハァハァハァ……あ……れ?」


 一転して人生で一度も体感したことのないほど気力が溢れてくる感覚に、バークはガバッと身を起こし、自分はいったいどうしてしまったのだと両腕をマジマジと凝視する。


 つい数秒前まで死にたいほどの苦しみが襲っていたのに、今では痛みも引き、野原で暖かい日差しに当たっているかのように清々しい。


 まるで別の生き物に生まれ変わった気分に、状況も忘れてバークはボーっとしてしまった。


「お加減いかがですか?」

「ひっ……」


 そんな様子を見守っていたティアに声をかけられた瞬間、先程の光景が脳裏をフラッシュバックしバークは慌てて倉庫の壁際に後ずさる。


 同意もなく突然血を吸ってきた吸血鬼ブラディアだ。恐怖を抱くなというほうが無理な相談。これ以上何かされてはたまらないと、バークは拒むように両手を突き出して目を背けた。


「怖がらせてしまい申し訳ありません。苦しんでいたところを救っていただき、ありがとうございました」


 刺激しないためかティアは距離を保ったまま深々と頭を下げる。

 普通なら自分を襲った相手になんと言われようと戦うか逃げるかしか選択肢はない。しかし頭を下げ続ける美少女の姿に、バークは恐怖で緊張しつつも気持ちを押し殺して対話を試みた。


「な、なんでいきなり俺の血を吸ったんだ? 血が飲みたければ血盟協会があるはずだろ」


 血盟協会──吸血鬼ブラディアを崇拝し自らの血を捧げたり、吸血鬼ブラディアそのものになりたいと欲する人間が所属している宗教だ。


 そこならば俺なんか襲わなくても血はいくらでも貰えるだろうと主張するが。


「緊急事態だったので彼らに協力要請すらできず、近くにいたあなたにお声掛けした次第です」


 バークの顔を見上げるティアが心苦しそうに胸の内を打ち明けた。


「き、緊急事態ってなんだよ?」


 吸血鬼ブラディアの吸血衝動は数時間かけて上がっていく。例えるなら人間の食欲と同じだ。

 しかも人間なら毎日食べないと生きていけないが、吸血鬼ブラディアは個人差はあれど、一度血を吸えば一ヵ月は衝動に駆られない。

 ティアの言う緊急事態が何を示しているのかバークには皆目検討もつかなかった。


「えっと……それは……」


 バークの疑問にティアは何やら恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 そんなおかしなことを聞いただろうかと、バークは対話したことで落ち着きを取り戻しつつあった頭で理由を思考していると。


「繁殖欲求よ」

「は?」


 メルが代わりに発した単語に、再び頭が真っ白になった。

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