第28話
※
《あーあー、聞こえますかぁ? こちら、北村華凛。遠藤睦の遺志を受け継ぐ者っす~。相模艦長も副長も、他の誰もかもみーんな、このままじゃ軍法会議ですよぉ?》
「君は北村華凛くんで間違いないんだな?」
なんとか平静を装い、相模は声を喉から押し出した。
《あ、やっぱ分かりますぅ? キャラが変わるってよく言われるんですよぉ。でも、こんな格好をしているあたいを、北村華凛だと気づけるなんて、艦長さんは流石ですねぇ》
「君の目的は何だ?」
《今言ったっしょ? 遠藤睦の遺志を継ぐって》
「つまり、あの水龍を生物兵器として運用しよう、ということか?」
《だぁいせいかぁ~い!》
相模は腕で自分の目を擦り、汗と涙を拭きとった。
改めて、監視カメラに映っているのが北村華凛であると確定する。
しかし、陸戦部隊用のつばのないヘルメットや、最新の防弾ベストを着ているところを見るに、やはり何かが違う。
特に瞳は、あの穏やかで物静かだった華凛のそれとは大違いだ。雪原でウサギを狙う猛禽類を思わせる。
《じゃあ、こっちからもお願いしていいかなぁ、艦長?》
「許可する。早口でな」
《はいはぁ~い。えっとね、今、あたいは遠藤の爺ちゃんの付き添いで、最新医学研究所に移送中なのぉ。長野の山の中に。それでさぁ、遠藤の頭部に手術をして、これを埋め込む手術をするように、お医者さんに伝えてくれな~い?》
カメラに向かって無邪気に手を振る華凛。その掌を拡大表示すると、確かに、右手の指の間に黒っぽい半導体チップのようなものが見えた。
「それを私が預かって、長野に搬送すればいいのか?」
《そのとぉり~。気をつけてよぉ? これ、たった一つだけの精密機械だからぁ~》
それならば、どうして今そのチップを医師に直接渡さないのか? きっと、送り主が不明でもきちんと扱われるよう、これまた手回しが為されているのだろう。
「こちらにも確かめたいことがある」
《え~? 今更何ぃ~?》
「そこに男の死体が並んでいるだろう? そのうち遠藤睦の死体を海に蹴り落とせ。そうすれば、水龍は生贄を得て満足して海底ダンジョンに戻るそうだ。全員が無事にこの状況から脱することができる。私はできるだけ、その手段を取りたいと思っているんだ」
《戦いたくないの? 自衛官のくせにぃ~》
「早くしろ!」
相模はディスプレイを拳でぶち抜き、怒りを爆発させた。拳からの出血があったが、本人は気づいていない。
《へいへい、お勤めご苦労さんです、はぃ~》
すると何の躊躇いもなく、華凛は遠藤を蹴落とした。荒波に向かって落下していく、枯れ枝のような姿。それがアンドロイドなのだと分かっていても、生理的な不気味さ、気分の悪さがそこにあるのは理解できた。
《それじゃ、あたいのお願いを聞いてもらう番だねぇ! 今からチップを渡しにそっちに行くから、準備しといてねぇ》
「……」
相模はその場でがっくりと膝をついた。無傷だった方の手を額に当て、顔を拭おうとしたが、手が震えて上手くいかない。
「久しぶりだな……。いや、久しぶりだからこそ、か……」
あまりにも多くのおぞましい過去の光景が、相模の脳内で反響する。
こういう時は別なこと、喫緊の課題について考えるべきだ。
華凛が使っていた拳銃の型式を思い起こす。ごく最近、欧米で生産が開始されたという最新モデルだ。自分だって、拳銃で武装している。だが、威力は圧倒的に華凛のものに劣る。
いやそもそも、今の自分の任務は、民間人の子供たちを救出することなのだ。抹殺ではない。
「どうする……。どうしたらいい……?」
※
廊下を闊歩する池波。その後ろから、海斗たちも雛鳥よろしくついていく。
華凛がどうしてしまったのか、四人には探りようもない。この瞬間に華凛が副長を射殺したのは偶然だろうか。波の音で、銃声はすっかり掻き消されてしまっていた。
既に《しらせ》の船体は悲鳴を上げていた。
高速で接近してきた水龍に頭突きをされたり、尾で打ち払われたり、ぐるぐると巻き取られそうになったり。
それでも撃沈されずにいるのは、どう考えても水龍が手加減しているからだ。
そんな中、相模もまた悲鳴を上げそうになっていた。いや、これで悲鳴を上げてしまっては、なんのために自衛官になったのか分からない。
部下の前でも要救助者の前でも、自分が弱音を吐くことは許されない。
「はいはぁ~い、華凛ちゃんのお宅訪問! やって参りましたよぉ~」
呑気な調子と、いかにも悪ガキらしく歪んだ口元。そのギャップが、相模をますます困惑させる。
片手で、しかし存分に余裕を見せつけながら、華凛は大型拳銃をぐらんぐらんと揺らしている。
万が一、この狭いCICで撃ち合いになっても、必ず自分が勝つ。そんな風格というか決意のほどが、大きく見開かれた目から伝わってくる。
それこそ、水龍の起こす落雷の響きにそっくりだ。
「武器は下ろしてもらえるか? こっちも落ち着いて話がしたい」
「ざぁんねん! 訓練の度合いが違いすぎるからね。ハンデをつけてよ」
「そんなことを軽々と……!」
「修羅場を潜り抜けてきたのは自分だけだ、なんて思ってないよねぇ?」
「どういう意味だ?」
「あたいもあの子と同じ、世界を壊すために産まれてきたものだ、ってことだよ」
相模は眉をひそめた。何を言っているんだ、この少女は? 戦闘能力も目的も、その存在自体さえあやふやだ。
「アンドロイド……?」
「まあねぇ。好きに呼んでくれたらいいさ。今の人間の間じゃぁ、珍しくもねぇだろう?」
まあ、この前の文明の時の方が、耐久性があったようだけど。
やや不満そうな表情を隠すことなく、華凛は言って肩を竦めた。相模にとっては、華凛を射殺する絶好の機会だ。海斗からはそう見えた。
しかし、相模の指は動かない。北村華凛がアンドロイドである、という事実は、それだけ強烈なものだったのだ。
「あれぇ? 艦長さん、どうかしちゃったのぉ? おーーーい」
陽気に華凛が呼びかける。僅かに相模が腰を折る。
その瞬間、海斗には聞こえた気がした。今こそが、最高のチャンスだと。
海斗は相模の背中に腕をつき、跳び箱の要領で頭部を飛び越え、一瞬で華凛の懐に入り込んだ。
腰だめに持っていた剣。それを、できるだけ浅い角度で振りかざす。
「がはっ! はあっ!」
鮮血を撒き散らし、どうにか飛び退って致命傷を回避する華凛。
しかし今度は、海斗の背後から駆けてきた泰一が大槌を振りかざした。
があん、という鈍い音がする。だが、この程度の打撃では華凛を殺せなかった。逆に、生かして罪を償わせるにはこれでいい。
「よし、生きてるよな? 舞香、見張りを頼むぜ」
「ええ、任せて」
CICのドアの前に立ち塞がり、弓矢を携えて舞香は待機した。
華凛からは、海斗がフィルネを呼びつけるのが見えた。きっと自分は尋問されるのだろうな。と、華凛は薄っすら考えた。
※
真っ白い空間をふわふわ漂っていると、唐突に声が飛び込んできた。
「フィルネ、華凛は大丈夫?」
(ああ、大丈夫だよ、舞香。もう少しで目覚めるはず)
「こっちも大丈夫だ。艦長さんの手首はがっちり絞めつけてやったぜ」
「私の自由を奪うなら、撃つなり殴るなりいろいろあったろうに……」
「僕たちはこの作戦にあたり、あなたのアドバイスが必要だと判断した。協力していただきます、相模三佐」
相模はすっと息を吸って、こう言った。
「せめて戦況を随時知らせてほしいんだが」
「分かりました。ドローンの数を増やします。よろしいですね?」
「よろしく頼む」
「ええ。それより問題は時間です。このまま夜間になった場合、ドローンの照明では、水龍の動きを把握しきれない」
「何か策はあるのか? ああいや、そもそも水龍は今何をしているんだ?」
「この艦の周辺を、円を描くように周回しています。残念ながら、最悪でも和解にこぎつけられないと脱出は困難です」
ふむ、と相模は溜息をついた。海斗の説明に納得し、安心したという気持ちがあったのだろう。
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