第4話

 そいつは捕縛した人間二人を触手の先で振り回し、のっそりと八本の足の付根に巻き込んだ。不吉で不気味な咀嚼音が聞こえてくる。きっと、あれがタコにとっての日常なのだろう。


「いやあっ!」


 舞香が悲鳴を上げる。同時に泰一が、後ろから舞香を羽交い絞めにした。


「叫ぶな! あいつに勘づかれるかもしれねえ!」

「君らは武器の安置所まで後退しろ! あのタコは俺たちが殲滅する!」


 前衛の傭兵が弾倉交換完了の合図を送る。それに合わせて、後衛の傭兵も前に出る。そして自分の胸元から、掌大の球体を取り出した。


「手榴弾だ、全員伏せろ!」


 手榴弾のピンを口で外し、勢いよく投擲。

 タコも機敏に目で手榴弾を追っていく。


「やべっ!」


 海斗は呻いた。

 自分たち高校生組は、既に全員がべったりと腹這いになっている。これ以上ない防御体勢だ。それでも、手榴弾と言う危険物が宙を舞っているのは事実。

 全員が全員、無事でいられるだろうか?


 結果的に、心配不要だった。

 小銃は頼りない代物だったが、手榴弾は絶大な効果を上げた。

 少なくとも、タコの足を三本消し飛ばし、眼球の上から先に無数の裂傷を与えるくらいには。


「どうだ、やったか?」

「ま、待って! まだ煙が晴れてない!」


 手榴弾がタコに致命傷を与えられた可能性は高い。しかし、嫌な予感がする。


 二人の傭兵が一歩進み出た、次の瞬間。

 ヴォン、と音がして、二人は胴体から真っ二つにされた。二人にまだ意識があったとしても、これは回避不可能だっただろう。それだけタコの触手が強靭だったのだ。


 海斗は考える。他の三人が喚くのを無視して考える。

 本来ならば、タコ本体を触手から切り離して行動を遅らせる。そうすればいくらでも始末できるだろう。

 だが、そうするにはタコはあまりに巨大すぎた。自動小銃ですら、曖昧な打撃しか与えられていないのだ。


 こうなったら、一気に接敵して脳を破壊するしかないだろう。

 手元にある武器は、言うまでも無く長剣。それも、自分には他人よりも上手く扱えるよう調整されているようだ。理由は分からないが。


「泰一!」

「な、ななな何だ!」

「僕を放り投げろ!」

「……は?」

「あのタコの上方に跳んで、この剣で仕留める! 遠慮なくやってくれ!」


 恐る恐る大槌の打撃部分に触れていた泰一。恐怖から目を逸らす癖になってしまったのかもしれない。だが、一見万策尽きた状況で、海斗に迫られては仕方がない。

 

「わ、分かった! で、でも絶対成功させろよな!」

「言われなくとも!」


 小柄で痩躯だった海斗を担ぐのは、大柄な泰一にしてみれば何の苦労もない。

 しかし、海斗の特攻じみた作戦が上手くいくものだろうか?


 そんなことを考えつつも、泰一は海斗を担ぎ上げていた。


「行くぞ、チャンスは一度きりだからな!」

「分かってる、今だ!」

「そうらっ!」


 こうして、海斗は宙へ舞い上がった。

 タコは残された片目で海斗を捕捉しようと必死な様子。実際、海斗は何度も触手に囚われそうになった。


 それを回避し、防御し、時には斬り払うことで、海斗はあっという間にタコの上方へと躍り出た。


「うっげ……」


 タコの内臓やらなにやらを直視してしまい、胃袋がじっとりと汗をかいた。こっちが吐きそうだ。

 だが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

 海斗はプールに飛び込みをする要領で、タコの真上から剣先を下にして突っ込んだ。強烈な生臭さに襲われ、気を失いそうになる。


 しかし――タコの脳みそはどこだ?


 実際のタコはもっと地味なのだろうが、今相手にしているタコはあまりに大きすぎる。内臓一つ一つの自己主張が激しい。けばけばしいのだ。


「こうなったら……!」


 海斗は自分の足元から、力が湧いてくる感覚を得た。同時に、次に繰り出すべき大技がどんなものかも、直感的に理解する。

 僕なら、やれる。

 タコが暴れ、海斗を突き離そうとしたまさにその瞬間。


「うおああああああ!!」


 小型の竜巻が、タコを中心に荒れ狂った。海斗が足先から頭頂部までを回転させて、内側からタコを斬り捌いたのだ。


 これにはタコも為す術がなかった。一片数センチメートルの細切れにされ、なお生存し続けるのは不可能だ。

 細切れにされた肉片は、三六〇度全方位に撒き散らされた。慌ててしゃがんだり、頭部を守ったりする泰一、舞香、そして華凛。

 

 海斗がスニーカーと床面の擦れる音を立てて、きゅるきゅるっ、と停止する。

 その頃には、海斗は全身汗だくで生臭い異臭を発しつつ、しかも疲労はピークを迎えていた。


 いったい自分は何をやっているんだろうか?

 そんな自問が浮かんだところで、海斗の意識はぷっつりと途絶えた。


         ※


「本艦よりアルファ、状況を報告せよ。繰り返す、本艦よりアルファ!」


 通信係が繰り返すも、誰からも反応が得られない。『しらせ』艦橋では、通信係以外の誰もが口を閉ざし、ヘッドフォンを耳に当てて、何が起きているのかを知ろうとしていた。


 しかし、聞こえてくるのは子供の声だ。特殊工作部隊として潜入させたチーム・アルファが、高校生相手に負けるはずがない。

 何か想定外の被害を被ったのだろうか? だとすると、子供たちばかりが生存していることの説明がつかない。


 一体何が起こっているのか。それを唯一知らされていたのは、艦長である相模だ。


「誰か、誰か応答しろ! アルファ! こちらは本艦――」

「もういい。止めておけ」


 相模のひんやりした声音に、皆が沈黙した。

 こうなっては、自分以上に事情を熟知している人物に問うしかない。

 あの老いぼれと話をするのはうんざりだが、人命が懸かっているのだ。手段を選んでいる場合ではない。


「遠藤監督の居室は?」

「はッ、この環境の真下、ちょうどCICの上であります」

「了解。副長、しばし指揮を頼む」

「了解!」


 相模が頷き、艦橋から出ようとしたその時。

 スライドドアがいつもより早く開放された。誰かと鉢合わせしてしまったらしい。


 その『誰か』は、相模の厚い胸板に思いっきり額をぶっつけた。


「あいたっ! ちょ、ちょっと、通して頂戴! 大変なことが起こってるのよ!」

「……」

「あんた、さっさとどきなさいよ! 子供たちの命に危機が及んでいるんでしょう?」


 まるで今の会話を盗み聞きしていたかのような言葉だ。

 その小柄な女性は、自分の額を擦りながら相模を押し退け、艦橋に押し入った。


「貴様、何をしている!」


 副長はじめ、手隙の者たちが、ザッと拳銃に手を伸ばす。しかし女性は怯むことなく、ずんずんと艦橋の中央部へと歩み入っていく。


「近づくな! これ以上近づけば――」

「あーったくうるさいなあ、もう!」


 女性は胸元から手帳を取り出した。ちょうど、昔の刑事ドラマにあるように。

 その流れるような所作からして、歳のわりに随分場数を踏んできたと見える。


 彼女の名は、池波美香。

 今の彼女の階級は一等海尉にして、特殊作戦担当補佐官。彼女の発言に下手に逆らうと、国家反逆罪になるかもしれない――というのは大袈裟だが、閑職に追いやられるのは間違いない。


 身分証明書を仕舞ってから、火を噴くような勢いで、池波は周囲を見回した。


「で、現場指揮官は? 艦長はどこ?」

「ここだ」


 落ち着いた口調で肯定しながら、相模は振り返った。その目はいつになく鋭さを増し、池波ですら圧倒した。証拠に、池波の肩がぴくり、と震えた。


「池波一尉。用件を聞かせてもらおう」

「は、はッ! え、えーっと……」


 流石の池波も、相模の前では赤子同然だった。


「じっ、自分の任務は貴官の補助です!」

「そうか。では具体的に聞かせていただきたい。現在の最優先事項は一体何だ?」


 海底に送り込まれた人々の救出――そう言えたらどれだけ気が晴れるだろう。

 それは、池波にとってはこの上ない優先事項だった。


 だが、目の前に立ちはだかる相模に、そんな人情があるだろうか?

 任務に忠実であればあるほど、人間は温もりを失い、冷酷になっていく。


 今回の場合は特に相手が悪すぎた。相模修司という男が相手では。

 彼の過去を知る者は、今では極めて少ない。だが、その戦友たちとの間で戦闘状態に巻き込まれた、という過去は捨てきれない。

 

 無言の十数秒が過ぎた頃、ようやく池波は口を開いた。


「自分の任務はあなたの補佐です、相模三佐。先ほどのご無礼、お許しください」


 すると、相模は興味をなくした様子で再び艦橋から出ようと歩み出した。

 その時だった。海に異変が起こったのは。

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