第40話38 ひとときの休息 2
再会してからのレーゼとナギは、いつも一緒だった。
さすがに宿舎の部屋は違うが、階段の上と下で、すぐに駆けつけられる距離だ。
ナギの隣はクチバの部屋で、レーゼの隣はカーネリアの部屋だが、それはまぁ仕方がない。
クチバはレーゼを心配しているが、ナギのことを信頼してくれているようで、今はレーゼの好きなようにさせてくれている。
ナギの一途な願いをよく知っているブルーもオーカーも、苦笑いしながらも再開した二人のことを見守っている。
夏終わりの晴れた朝。
ナギはレーゼを連れて小さな入江に来ていた。レーゼが海を近くで見たいと言ってから二日後のことだ。入江は、そこだけぽっかりと丸く陸地に切り込んでいて、遠浅で波も穏やかだ。
朝の引き潮で海はどこまでも浅く透明にさざめき、小さな
ギセラのカールが高い空を飛んでいる。
時々水面に突っ込むのは餌を取っているのだろう。朝の鳥は活動的だ。
レーゼがカールを追って波打ち際を走るのへ、ナギは声をかけた。
「レーゼ! 危ないからあまり水に入るな。貝で足を切るぞ!」
「へいきよ。水がすごく綺麗! それに波で足元の砂が動くのが気持ちいいの!」
今日のレーゼの服は簡単な白い長めのシャツだ。開いた胸元に青いペンダントが光っている。
今まで人前は脱げない鎧の下には、下着くらいしか持っていなかったので、市長夫人が女性用の服をくれたが、今日着ているものは、ナギに買ってもらった男物のシャツである。
まだ寒い季節は遠いのに、肌を見せない服ばかり買い与えられている。
今日ばかりは、靴下も脱いで素足にサンダルを許されたが、頭には唾の広い麦わら帽子を乗せられた。髪は後で緩く編んで、水に
「レーゼの肌は白くてすぐに赤くなってしまうから、保護しないといけないから」
ナギはそう力説した。
「あ! 見て、これはなぁに?」
レーゼは白い巻貝を発見していた。すべすべしていて眠った猫のような形をしている。
「これも貝だ。巻き貝という種類の貝殻だ」
「生きてるの?」
「いやもう死んでいる」
「死んだ後の殻……じゃあ骨みたいなもの?」
レーゼは拳より小さな貝殻を掌に乗せて、不思議そうに眺めている。
「まぁそうだ」
「綺麗ね。人間の骨は不気味なのに」
「骨を見たことあるのか?」
「うん。私だって戦っていたんだもの……あっ! またあった! これはまた違う形だわ! なんていう名前かしら?」
レーゼは桃色の二枚貝を高く掲げた。詳しい貝の名前など、ナギにもレーゼにもわからない。しかし、きっと名前があるのだ。
滅びた国や街の図書館には、きっと精密な博物に関する書物があったのだろう。いやまだ、残っているかもしれない。しかし今はまだ、それらを調べに行けない。
ナギが黙って見つめている間に、レーゼは綺麗な貝殻を拾ってはポケットに詰め込んでいる。
彼女は子供の頃からずっとあの古い塔の世界、それを失ってからは、ずっと魔力を秘めた鎧に閉じ込められていたのだ。
見るもの触れるもの、全てが珍しくても無理はない。
「あ、これはなに!?」
今度は何かとナギが見ると、レーゼの素足にたくさんの小魚が集まってきていた。
「小魚がこんなに! 指を
レーゼはそう言って魚を
魚はすいすいと逃げていき、また寄ってきては指先を突きにくるのだ。
「可愛いわ……」
「でも食えない」
「え? ナギが食べるの? お魚を?」
「……こんな小さいのは無理だ。骨ばかりで焼くと燃え尽きてしまう」
確かに塔の生活では魚は食べたことなかったな、とナギは思い出した。
地下水には魚はいなかったし、タンパク質は動物の肉や卵、そして畑で採れた豆類だけだったのだ。
「どうやって!?」
「もう少し沖へ出て、釣り竿で釣ったりとか」
「釣り! 本で見たことがあるわ! ナギもできるの?」
「いちおう……でも、今日はだめだ」
「なんで?」
「波がないからな。こういう日はあまり釣れない」
「じゃあ、波がある日に連れて行ってくれる?」
レーゼは期待を込めてナギを見つめる。
「船酔いするからだめ」
「船酔いが何かわからないからなぁ。でも少しの波なら大丈夫だと思う」
「……だめだ」
ナギは申し訳なさそうに首を振った。魚釣りは沖に出ないといけないし、沖に出るには大きな船がいるし、大きな船はナギ一人では操れない。
「じゃあ、あの船に乗りたい」
レーゼが指差したのは、向こうの桟橋で揺れている小舟である。
「ここは波も静かだし、この小さな入江の中ならいいでしょ」
「わかった……あまりはしゃがないと約束するなら」
ついにナギは折れた。
娯楽の経験が圧倒的に少ないレーゼに、最後の休暇くらいは楽しんでほしいと思ったのだ。
「レーゼ、手を」
ナギが先に乗り込み、レーゼを支えて二人して古い桟橋の先端に繋がれている小舟に乗り込んだ。
小さなオールがついているので、ナギは器用に船を操って入江の入り口まで漕ぎ出す。
入江の入口からは広い海が見渡せた。
「……広いね」
「ああ」
「あの向こうに東の大陸があるんだね」
「そうだな」
「向こうの人たちは、黒や藍の色相を持つ人が多いんだって、ナギのご先祖様だね」
「顔も知らないご先祖様はどうでもいいかな?」
大陸が魔女によって荒廃する前は、東の大陸とも交易が盛んだった。アルトア大陸にも東の国の人が移住し、ナギはその血を引いている。
「けどいつか、行ってみたいな。大きな船に乗って……昔読んだ本では何日も航海しないと辿り着けないってあったけど。どんなところなんだろうね?」
「わからない、でもレーゼが行ってみたいなら、俺も着いていく」
「ふふふ……ナギったら、時々可愛いね」
レーゼは水面に指先を遊ばせながら笑った。
「ね? もう少しだけ入江の入り口に寄せて?」
丸い入江の一角が外海に向かって切れている。そこからは海の色は一段と濃い。ナギは巧みにオールを操って、レーゼから水平線が見えるように船尾を外に
向けた。
「あ! あれは!」
思わずレーゼが立ち上がる。イルカの群れが跳ねたのだ。
しかし、やっぱりバランスを崩して、ナギの方へと倒れかかる。
「ひゃ!」
「レーゼ!」
しっかり支えられて、どこも打ったりはしながったが、髪紐が解けてせっかく編んだ髪がはらりと広がってしまった。
小舟が大きく揺れている。
「大丈夫か? ぶつけてないか?」
「う、うん……でも揺れてるね」
レーゼはナギの足の間に挟まって、味わったことのない感覚に身を委ねていた。
「そりゃ、こんな小さな舟だから」
「ひっくり返るかと思った」
「俺はレーゼが海に落ちるかと思った。急に立ち上がったらだめだ」
「うん。ごめんね……でも、ちょっとおもしろいね……舟って水に浮いてるんだもんね」
「……」
ナギは解けたレーゼの髪をといている。昔はなかった髪。こんなに美しいものだったのだ。
まるでこの入江の水の色だ……。
体が安定してほっとしたのか、レーゼはナギの足に挟まってじっとしている。
「レーゼ?」
レーゼは、はっと目を開けた。どうやらうとうとしていたらしい。
「疲れたか。そろそろ潮が満ちてくるから戻ろう。皆も待ってる」
ナギ破レーゼを起こしてやる。
朝の風が僅かにできた二人の隙間をするりと通り抜けていった。
「あの……ナギ?」
「え?」
「もう少しだけ、このままでいい?」
そういうとレーゼはナギの胸にそっと自分の頬をくっつけた。
「私ね。最初ナギを避けてたの」
それは再会して、まだお互いのことを気にしながらも、確信が持てなかった時のことだ。
「やっぱり! 俺はレーゼに会いたくて、ひと月近く探し回っていたんだぞ」
ナギはあの時の切ない気持ちを思い出して言った。
「私も確かめたかった。もしかしたらってずっと思ってた。でも、怖かった。ナギのそばには親しい人がいっぱいいたし、素敵な女の人もいて、私のことなんて覚えていても、もう他人になっているかもって思えて……だから逃げてた」
「他人なんかじゃない! レーゼは特別な人だ。仲間は大切だけど、レーゼとは違う」
ナギは華奢な背中を撫でた。
「うん。ごめんね……私自身が持てなくて。本当いうとね、私まだ信じられないの……全部夢じゃないかって」
「夢?」
「私の呪いが解けたことも、ナギとこうしていることも。もしかしたら私は、あの時エニグマに囚われたまま、夢を見せられているだけじゃなかな? そして夢から覚めたら、恐ろしい現実が待っているのかもって……本当は怖いの。とても怖いわ」
「夢じゃない。俺はここにいるし、レーゼの目は俺や海を見ている。大丈夫だ」
「うん……うん。そうね、きっと本当なんだわ。ナギはこんなに温かいもの」
ナギの言葉に微笑みながらもレーゼの眉には翳りがあった。なくしたものが多すぎ、戦いの日々が長すぎたのだ。
「不安なら、ずっと俺にしがみついていたらいい」
「そんなに弱くはないつもりだったんだけどな……」
「俺は少し弱いレーゼがいい。こんなことができるから」
ナギはレーゼの腰を引き寄せ、抱きしめながら口付けた。それは、この間の触れ合いよりも長く、熱い重なり。
「いつでも俺の熱を分けてやる。俺には有り余るほどあるから」
僅かに唇を浮かしてナギが囁く。熱い吐息がレーゼの頬に触れた。
そう、今は吐息がかかる距離に二人はいる。それこそが真実だ。
「うん。ありがとう。悲しくなったらもらうね」
「……」
レーゼの純粋な気持ちはナギには非常に嬉しいし、心臓が跳ね上がる。ただし、一つだけ問題があった。
「でも、二人の時だけだから」
「うん……わかった」
絶対にわかってないと、ナギは思ったが。今はそれを詳しく説明できない。
「ほら、いつまでも風にあたっていると冷える。宿舎に戻ろう。朝飯まだだったろ?」
「そうだった。お腹すいた」
「きっと魚料理が出るぞ」
ナギが桟橋に舟を戻すと、元気をとり戻したレーゼがわざと水際を走った。
「レーゼ! 一緒に!」
「うん」
パシャパシャと水を跳ね散らかしながら二人は浜へと戻る。
その指先はしっかりと絡まっていた。
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