ウィルの学院譚〜魔法が失われた世界で精霊と共に〜

ネイン

第1話 遅刻①

 世界から魔法を使うための魔力マナが失われてから千年以上経過し、今では魔法の代わりに科学技術が発展したことで人間族を含む様々な種族の生活が豊かになっていた。都会には多くの高層ビルが建ち、各家庭にはテレビやパーソナルコンピュータなどの電子機器が普及していた。また、鉄道、自動車、船舶が公共の交通機関として利用されている。


 話は変わって総面積一〇平方キロメートル程ある世界最大の人工島で人間族の青年がリュックを背負って猛ダッシュしていた。


「まずいまずい! 遅刻しちゃう! なんでいつも大事な時に寝坊するんだよ!」


 青年の名前はウィルグラン・ガードレッド。通称ウィル。服装は白シャツにグレーのニットベスト、そしてチノパンを履いている。また、黒縁眼鏡をかけており、髪色は薄茶色。前髪はセンター分けで頭頂部から癖毛――否、アホ毛がぴょんと飛び出ていた。


 なお、彼は焦っていた。何故なら本日は学校の入学試験だったのだ。

 学校の名前はアダムイブ学院。これの通称はアダ学。

 この学校は満一六歳以上なら種族問わず誰でも受験できるのだが有数の名門校でもあるので試験の難易度は高い。その上、ウィルは遅刻しているのだ。焦るのも無理もない。


「はぁ……はぁ……はぁっ!」


 息を切らしながら駆けるウィル。

 彼は人工島の北西にある住宅街を抜けて大通り出る。次いで大通りの信号を渡ろうとすると、


「おっ! 兄ちゃん急いでるね! 獣人タクシー利用するかい?」

 

 犬の獣人が話し掛けてきた。

 獣人タクシーというのは獣人の背中に乗って目的地まで移動してもらうものだ。もちろん目的地に着いたら運賃は収受される。


「ええっと、実はアダ学の試験が始まりそうで」

「おお受験生かい! そりゃあ大変だ! 安くしとくよ乗るかい?」

「いや、お金持ってないんですよ」


 ウィルがそう言った瞬間。犬の獣人は渋面を見せて。


「ちっ、なら話し掛けんじゃねぇ」

「いやいやいや! 先に話し掛けたのそっちだよ!」


 ウィルが言い終わる前に獣人は既にお客さんを求めて道路の上を走って行った。


「っと、こんなことしてる場合じゃない」


 彼は気を取り直して走り始めた。大通りを渡ると人工島の商業地区に到達する。そのまま島の中心にある広大な広場へと向かうはずだったが。


「うべっ‼︎」

「あらあら! ごめんなさいね」


 あろうことかウィルは花屋の前で水撒きをしていたお婆さんに水をかけられてしまった。しかも、バケツ一杯使って豪快に水撒きをしていたのでウィルの体は海に潜ったかのようにびしょ濡れだ。


「いえいえ、いいんです」


 ウィルは着ているニットの裾裏で濡れたメガネを拭く。


「お詫びに家で茶菓子でもいかがかしら?」

「今、急いでるんで。すみません!」


 眼鏡をかけ直してその場を去ろうとしたとき。


「うぐっ!」

「遠慮なさらずに!」


 お婆さんはウィルの右腕を引っ張り花屋の中に引き摺り込もうとしていた。


(な、なんだこのお婆さん! 力が尋常じゃないっ!)


 引っ張り合う二人。

 メキメキと青年の二の腕が悲鳴を上げる。


「ぁぁぁぁぁ! 本当にいいですって!」

「まだまだ若い子には負けないわよ!」

「勝負した覚えはないって!」


 すると、花屋から何者かの声が聞こえる。


「婆さん、わしの納豆どこかね?」

「あらあら、出し忘れたのかしら」


 そう言ってお婆さんは急に手を離して、店内に戻る。


「うわっ!」


 急に手を離されたウィルは体重を崩して尻餅をつく。


「痛たたたっ」


――そのあとも青年は諦めずに走り続けた。島の中心にある広場を通り過ぎて、ついに広場の北側にあるアダムイブ学院の校門前に到達する。


 ウィルは校門前にある時計塔を見る。時間を確認するために。

 試験開始時刻は九時ジャスト。そして今は、


「九時ジャストか……あはは」


 乾いた笑い声が響く。青年は膝と両手のひらを地面について項垂れてしまった。

 仮に試験時間に間に合わなくても最初の科目の試験が受けれないだけで他の科目は受けれる。しかしここは名門校。一科目を疎かにして受かるはずはないと判断してしまう。


 ウィルの脳裏には二年間、受験勉強した記憶が蘇る。春も夏も秋も冬も雨の日も雪の日も塾に通い続けて名門校に入学することを夢見た日々。

 また来年も頑張れウィル。


「君、もしかして受験生?」


 通りかかった学院の事務員が声を掛ける。


「はい、不甲斐ないことに遅刻してしまって」

「あちゃー、残念だったな。最初の科目試験は受けれないな。来年を見据えて次の科目の試験から受けるしかないな」

「そうですね、いつまでも落ち込んでも仕方ないか」


 ウィルはのろのろと立ち上がって学院内に歩を進める。


「にしてもなんでびしょ濡れなんだ……?」


 事務員は青年の背中を見て呟いていた。

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