第26話 菜園
原住民の女性たちは平原を横切り、険しい山岳地帯に分け入った。
あの谷底と同じく急激に隆起した断崖がそびえた複雑な地形だ。断崖の底をジグザグに進んでゆく。地形はどんどん落ち込んでいった。
道は一本だけだ。
「まずいです。このさきはわたしたちが並んで通れないくらい道が狭まってます。待ち伏せや通せんぼされると厄介です」
ランドールはあたりを見回した。
「彼らはどんどんくだっている。この先はおそらく、わたしが遭難していた谷底と同じくらい低くなってると思う」
「なぜそう思うんです?」
「かれらが長いあいだ見つからなかったのは、谷底のジャングルを生息場所にしていたからかもしれないと思ったの。探査衛星からは見えにくくなる」
「なるほど……ランドール中尉、ここで別れましょう。中尉はどこか断崖の上のほうにのぼって、この道を辿ってください。わたしが急いで逃げるようなときは上から援護してもらいたいのです」
霧香が遠回しに怪我人は邪魔だと言っているのはランドールも分かった。ランドールはしばらく黙り込んだが、やがて頷いた。
「了解した。少尉、無茶しないでね」
「サッと偵察して帰ってきますよ」
霧香は荷物を預け、03の指揮権も預けた。
「中尉も気をつけて」
霧香はランドールがきびすを返し、急斜面を登ってゆくのを見届けてから追跡を再開した。
ランドールが予言したとおり、道はさらに下り、間もなく階段になった。かれらが岩を削ったのだろうか。かなり規則正しく刻まれた階段だ。
ブービーラップの類は見当たらなかった。彼らは少なくとも大型獣の侵入は心配していない。やはり、そういう危険には無縁だったらしい。
時折上のほうに目を向けると、03が絶壁を這っているのが見えた。百ヤードほど離れていて、眼を凝らさないとすぐに見失ってしまいそうな素早い動きだ。
霧香は04から降りてうしろに従え、徒歩で階段を下り続けた。六百ポンドもある図体なのにロボットはほとんど足音を立てない。機械的な動作音もかすかに聞こえる程度だった。
片手にはライフルを握り、いつでも撃てるよう脇に垂らしていた。原住民たちを撃つような事態はできれば避けたい。サリーのライフルはその点かなり騒々しい音を立てる実包を装填しているので、威嚇にもってこいだ。発砲音に驚いて逃げ出してくれればいいけど。
道の両幅が狭まってゆく。見上げると、ほとんど垂直の崖に囲まれていた。ときおり、崖のてっぺんにランドールの姿が見えた。足並みを揃えているようで、霧香は安心して進むことができた。
もうほとんど谷底のレベルまで降りた。崖の頂上は頭上の背後に遠のき、前方がひらけてきた。険しく隆起した森が見えた。霧香は溜息を漏らした。これではランドール中尉は、崖の上から霧香の姿が見えなくなるだろう。ロボットが位置を示してくれるとしても援護は難しくなる。階段が途切れ、目前は鬱蒼とした森だ。だが明らかに人為的な道が切り開かれていた。
霧香は最後に崖を見上げて手を振ると、森に踏み込んだ。
植物の様子が変化していた。
ジャングルを見回して霧香は眉をひそめた。なにかがおかしい……。
さらに奥へと進むと、植物の並び方がもはやジャングルと呼ぶには規則正しすぎる。
(農園だ)
規則正しい間隔で植えられた植物……その下の地面は踏み固められ、雑草はまばらだ。植えられているのは奇妙な植物だった。高さは二メートルほど。ざらざらした太い幹から大きな葉が何枚か扇状に広がっていた。その葉のあいだから巨大な茎が伸び、先端に実る緑色の房の重みで垂れ下がっていた。鮮やかな緑色の房はカボチャのような形だが、よくよく見れば細長く半円状に反り返った実がみっちり寄り添っていた。ちょっとグロテスクだ。
未知の植物ではなかった。霧香は前にこれを見たことがあった……。だがじかに見た記憶はない……なんだ?
その正体に突然思い当たり、霧香は驚愕した。
バナナだ!
五世紀以上昔に絶滅した地球の植物ではないか!
霧香は植物を眺めまわした。やはりどう見てもバナナだ。
通称「天国の果実」。
つまり人間は生きているかぎりその実を味わうことは叶わず、死んで電脳人格に生まれ変わると、ようやくデジタルデータとして保存されている味覚を堪能出来るという……。
背伸びしてバナナの房に手を伸ばし、一本もぎ取った。
昔の映画の場面を思い出し、おそるおそる皮を剥いてみた。予期しないものが飛び出してくることはなく、やや黄味がかった白い果肉が現れた。果物にしては瑞々しい果汁が滴ることもなく不思議な質感だ。柔らかい果肉をふたつに割って匂いを嗅いでみると、ほのかに甘い香りがした。毒性は無さそうだが、一応もっと検査キットを使って調べてみなければ、食用に適すか分からない。
古い映像では人間の普遍的な食べ物として登場するが、バナナは暗黒時代にすべて絶滅してしまったのだ。食用として改良され続け、人間の管理なしでは栽培できないバイオ植物に成り果て……最後は疫病で全滅した。
もっともポピュラーな種……熟すと鮮やかな黄色になるバナナは、世界中でたった一品種だけだったのだ。
生き残った近似種を改良して元のバナナを再現しようと何度も試みられたが、地球環境の変異やその他諸々の条件が重なり、二度と同じ味は生み出せなかったという。
霧香はナイフを抜き、バナナをまるまる一房切り落とした。それをタオルに包んで04の背中の道具箱にしまった。ひょっとしたら食料の足しにできるかもしれない。
バナナを発見したことで、ヘンプⅢに上陸して以来抱いてきた疑念が確信に変わった。バナナだけではない。この一帯は地球の植物がヘンプⅢの原生種を押しのけ繁殖していたのだ。
答はこの先にある。霧香は先を急いだ。
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