第十五章

『運命の選択(一)』

 ————桃源郷とうげんきょうの外れにある原っぱでは、一人の少年が墓石を熱心に磨いていた。墓には『シュウ烈女之墓』と墓標が刻まれており、痛み具合から建てられて十年は経っていないものと思われる。

 

 綺麗に磨き終えた少年が額の汗を拭った時、背後から聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。

 

「————よう、熊将ユウショウ。ちょいとデカくなったか?」

 

 熊将と呼ばれた少年が振り返ると、虎を思わせる巨漢が立っていた。

 

「……ガ、ガク師叔……⁉︎」

 

 熊将が確認するように言うのは無理もない。筋骨隆々だった肉体は痩せ細り、髪はボサボサに伸びて、将角ショウカクほどではないがヒゲぼうぼうの顔になっていたのである。桃源郷ここを出て行った時の意気揚々としていた姿とはまるで別人のように見える。

 

 成虎セイコは優しげな笑みを浮かべて、戸惑う様子の熊将の頭を撫でた。

 

シュウ姉さんの墓を磨いてくれたんだな。良い子だ」

「…………!」

 

 褒められた熊将は慌てて包拳して見せる。

 

「ところで、将角のアニキはどこでえ?」

「————!」

 

 将角の居場所を尋ねられた熊将は悲痛な表情を浮かべた後、シュンとうつむいてしまった。

 

「…………? どうしてえ?」

「…………将角おじさんはいません……」

「いねえ? そうかい、任務で出掛けてんのかい……」

「…………」

 

 残念そうにヒゲを触った成虎は、永蓮エイレンの墓の隣に建てられた真新しい墓に気がついた。建てられたばかりなのかこけ一つ見当たらず、まだ墓標も刻まれていなかった。

 

「ん? 何でえ、この墓は……?」

「……そ、それは…………」

 

 口ごもる熊将を不思議に思った成虎だったが、肝心の将角がいないのであれば長居をしても仕方ないと考え、永蓮の墓とついでに隣の名も知らぬ者の墓へ線香を手向けた。

 

「それじゃあな、熊将。しっかり稽古して将角みてえに強くなれよ」

「…………はい……!」

 

 包拳する熊将の頭を再び撫でた成虎は、その手を振って去っていった。

 

 

 

 ————西王母セイオウボは宮殿の自室で、口元を扇子で覆いながら何事かを思案していた。

 

「……帰って来たのなら、まず使用人を通すなりせい」

わりいな。一刻も早くバアさんに会いたくてよ」

 

 西王母が振り返ると、戸口に立つ筆頭弟子の姿があった。扇子を閉じた西王母は成虎の姿をマジマジと眺めてなまめかしく口を動かした。

 

「随分と痩せ————いや、やつれたと言うべきかのう。紅州こうしゅうへの旅は余程過酷なものであったと見える」

「…………まあまあな……」

 

 元気のない口調で答えた成虎は言葉を続ける。

 

「ところで、将角はどこに行ったんでえ? ヤツと酒を呑みてえと思ってんだがよう。いつ頃戻る?」

「……将角なら先ほどうておろう」

「はあ? 何言ってんでえ。バアさん、遂にモウロクしちまったのかい?」

「…………」

 

 いつもなら成虎の軽口をたしなめる西王母だったが、扇子を開いて口元を覆うのみであった。

 

「————将角は、死んだ」

「…………は?」

 

 一瞬、西王母が何を言っているのか理解できないような表情の成虎だったが、ややあって白い歯を見せた。

 

「……ハハ、アンタ嘘は言っても冗談は言わねえと思ってたぜ。でも面白くねえぜ、その冗談」

「嘘でも冗談でもない」

「……今の俺ぁ、つまんねえ冗談に付き合う気はねえぞ……!」

 

 据わった眼で睨みつける成虎に対し、西王母は悲しげに眼を伏せた。

 

「先ほどそなたがこうを手向けた墓が証じゃ」

「…………!」

 

 成虎の脳裏に永蓮の墓の隣にあった墓標なき墓が蘇った。いま思えば熊将の様子もおかしかったような気もする。

 

「————ふざけんな! あのつええ将角が死ぬワケねえだろうが‼︎」

 

 眼を真っ赤に血走らせて成虎が掴み掛かったが、西王母は成虎の腕をスッと躱しつつ扇子を軸足へ軽く押し当てた。扇子を支点に成虎の巨体が宙を舞ったが、成虎は空中で受け身を取って、無様にすっ転ぶ事態は回避することが出来た。

 

「馬鹿者めが、頭は冷えたかえ?」

 

 冷ややかに言う西王母へ、多少落ち着いた成虎が尋ねる。

 

「————本当、なのか……?」

「…………」

 

 西王母は成虎に背を向けて何も答えない。この沈黙は肯定を意味する。

 

「…………何で、死んだ……⁉︎」

「……三日前に任務で仲間をかばったと聞き及んでおる」

「…………‼︎」

 

 鉄槌を食らったようにうつむいていた成虎だったが、少しすると乾いた笑みを漏らした。

 

「…………へへ、仲間をかばってかい。将角のアニキらしいな。けど、早すぎるぜ。俺から筆頭弟子の称号を奪い取るんじゃあなかったのかよ」

「そなた、これから如何いかがする————」

 

 西王母が振り返ると成虎の姿は既になく、残っていたのは床に転がる白虎牌びゃっこはいのみであった。

 

「…………」

 

 無言の西王母が扇子を一払いすると、白虎牌がフワリと浮き上がり意思を持ったように掌へと漂ってきた。

 

「————やはり虎を飼い慣らすことは叶わぬ、か…………」

 

 ひとりごちた西王母は静かに扇子を閉じて御簾みすの奥へと姿を消していった。

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