第十四章

『月下の決闘(一)』

 二人の男から求婚された凰珠オウジュ月餅湖げっぺいこのほとりの岩に腰掛けて、呆けたようにボーッと虚空を見つめていた。

 

「————凰珠」

 

 声に反応してゆっくりと顔を向けると、敬愛する義姉あねの姿が見えた。

 

「……太鳳タイホウ姉さま……」

「隣、いいかい?」

 

 凰珠は返事の代わりに微笑むと腰を上げて、もう一人分座れるように場所を空けた。太鳳も感謝の代わりにうなずくと、鳳凰が羽を休めるような軽やかな所作で腰掛けた。

 

「…………」

「…………」

 

 仲良く並んで腰掛けたシュ姉妹だったが、どちらもなかなか話すきっかけが見つからず口を開けずにいた。

 

「凰珠」「姉さま」

 

 意を決して放った言葉が重なり、二人は顔を見合わせて笑い合った。

 

「姉さまからどうぞ」

「ああ」

 

 太鳳はコホンと咳払いをして一拍あけた後、口を開いた。

 

岳成虎ガクセイコって馬鹿面の大男が来ただろう?」

「ええ」

「どうなったんだい?」

「姉さまが負けた相手に私が勝てるワケがないわ」

「そうだろうね」

「姉さま、怪我の具合は大丈夫?」

「誰に言ってるんだい、こんなモノかすり傷さ」

「さすが姉さまね」

 

 凰珠が微笑むと、やはり同調するように太鳳も笑みを浮かべる。

 

「次はお前の番だよ」

「うん……」

 

 太鳳に促された凰珠は、掌の『鳳凰』の髪飾りを見つめながらポツリとつぶやく。

 

「……姉さま。私、成虎さんに求婚されちゃった」

 

 通常、姉が妹からこのような話を聞かされれば驚くか喜ぶかといった反応が当たり前だろうが、太鳳は予期していたかのように小さくうなずくのみである。

 

「……良かったじゃないか。その髪飾りを贈れる相手が見つかって。幼い頃からのお前の夢だったものね」

「ええ……」

 

 運命の相手が現れたというのに義妹いもうとの表情は浮かない。太鳳は不思議に思った。

 

「どうしたんだい……? 嬉しくないのかい……?」

「嬉しいわ……。でも————」

「でも……?」

「私……、志龍シリュウさんにも求婚されたの」

「志龍? ……ああ、以前まえに話してた青龍派せいりゅうはの門人だね?」

 

 凰珠は悩ましげにうなずき、髪飾りを二つに分けた。

 

「……二人の男の人に対して、『鳳』は一つだけ。私はどうしたらいいのかしら……」

「好きな方に贈ったらいいじゃないか」

「うん……、でも選べないの……」

「選べない?」

 

 凰珠は再び辛そうにうなずいた。

 

「豪快で力強く引っ張ってくれる成虎さんも好きだし、穏やかで優しく包み込んでくれる志龍さんも好き。成虎さんと志龍さん、どっちの人も良いところがあってどうしても選べないの……」

「……その男どもはどこに行ったんだい?」

「三日後の満月の夜にここで決闘をするって行っちゃったわ。勝った方が私を妻にして、負けた方は黙って身を引くって……。姉さま、私はどうしたらいいと思う……?」

「…………」

 

 太鳳は凰珠の頭を撫でると、肩を抱いて引き寄せた。

 

「……お前は子供の頃からそうだったね。何かを迷った時はいつもアタシに意見を訊いてきた」

「うん。姉さまは私より頭が良いし、姉さまの言うことはいつも正しかったもの」

「……そうだね。でも、今度ばかりはアタシにも正解は分からない」

「え?」

 

 太鳳は不思議がる凰珠の頬を優しく包んで、その瞳をしっかりと見つめた。その表情は先ほどまでの慈愛に満ちたものではなく、巣立とうとしている妹を突き放す姉の厳しさに変わっていた。

 

「お前は朱雀派すざくはを抜けて嫁に行くんだろう? だったらこれはお前が自分で選ばなけりゃいけない。決闘の前にどちらかを選ぶも良し、勝者に身を委ねるも良し。お前の気持ち次第さ」

「姉さま……、分からない……! 私、分からないの……‼︎」

 

 太鳳は動揺する凰珠を抱きしめ、二人の身体が鳳凰のように重なった。

 

「大丈夫……、お前はアタシの自慢の義妹いもうとだ。きっと答えを導き出せるさ」

「…………」

「……朱雀派の掟は分かっているね……?」

「はい…………」

「……すまない……、アタシはいずれ掌門の衣鉢いはつを継ぐ身だ。お前の背中を表立って押すことは出来ない……!」

「…………ッ」

 

 鳳凰の四つの眼から涙が滂沱ぼうだの如く流れ落ち、紅い衣をしとどに濡らした。

 

 ————永遠とも思える時が流れた後、一羽の鳳凰は『鳳』と『凰』に分かたれた。

 

「……師父はお許しくださらないだろうけど、元気な男児が産まれるのを祈っているよ」

「————太感謝你了ありがとうございます……‼︎」

 

 凰珠は腰掛けていた岩から滑り降りると、太鳳に向かって叩頭した。しかし、太鳳は義妹いもうとの礼を受けることなく背を向けて去っていってしまった。

 

「……再見了さようなら、太鳳姉さま……‼︎」

 

 凰珠はひざまずいたまま、去りゆく義姉あねの背中をいつまでも見つめていた————。

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