第十二章
『掟と契り(一)』
「————あれから朱雀派の姐さん方はコナかけて来ねえなあ。よっぽどおめえさんの腕にビビっちまったみてえだな」
成虎は
「素直に退いてくれて良かった。私の技は手加減が出来ぬからな」
「……おめえさんが言うと冗談に聞こえねえな」
「私は冗談が苦手だ」
「…………」
全く表情を変えずに言う志龍に対し、成虎は思うところがあった。
(この野郎、涼しい顔していつの間にか左でも剣を振ってやがるし、
そんなことを考えていると、ふと志龍に訊きたかったことがあることを思い出した。
「……なあ志龍。そういやあおめえさん、どうして朱雀派の
「…………」
「ありゃあ朱雀派の絶技のはずだぜ?」
「そ、それは…………」
志龍は先ほどまでとは打って変わってしどろもどろになっている。
「き、貴殿こそ何故————いや、朱雀派の門人に殺されかけたのだったな」
「殺されかけてねえよ! 勝ったっつってんだろうが!」
「どうだかな」
「ケッ!」
成虎は口元を尖らせて顔を背けたが、次第に柔和な顔つきになった。
「————俺はアレさあ。むかーし月餅湖で朱雀派の門人に会ったことがあんだよ」
「……ほう」
「そいつぁ随分変わった女でよう。アタマのネジが何本かブッ飛んでるような言動だったんだが、見事に負かされちまってな。ありゃあ俺の初めての敗北だ…………」
「…………!」
思い出を懐かしむように天を仰ぐ成虎とは対照的に、志龍は凍りついたような表情で口を開く。
「……その、朱雀派の門人は何と言うのだ……⁉︎」
「あん?
「————‼︎」
突然志龍は馬の脚を止め、不思議に思った成虎が手綱を引いたところ驚いた馬が
「————どうどう! 落ち着け、落ち着けっての!」
なんとか興奮した馬を御した成虎は振り返った。
「急にどうしてえ? ビックリするじゃあねえの!」
「…………」
しかし、志龍は声を掛けられても耳に入っていないのか何も答えない。
「おい、志龍⁉︎」
「————あ……ああ、すまぬ」
力ない声で答えると、志龍は再び馬を走らせ先導を始めた。
「……急ごう、月餅湖までは後少しだ」
「お、おう……」
何か侵し難い雰囲気を感じた成虎は志龍にそれ以上話し掛けられず、黙って後を追った。
————夕暮れが迫る中、二人は海と
馬から降りた成虎はキョロキョロと辺りを見回した。
(……凰珠の姿は見えねえな。まあ他に行く宛てがあるワケじゃあねえし、じっくり待つとすっかい)
成虎は沈みゆく夕陽をボーッと眺めている志龍の隣へ歩み寄った。
「おうおう、良いね、良いねえ。お月さんたぁまた違った
「…………」
何故か元気の無い志龍を励まそうと成虎は努めて明るく振る舞うが、志龍はやはり押し黙ったままである。成虎は意を決して尋ねることにした。
「————志龍よお。いってえさっきからどうしたんでえ? 何かおかしいぜ、腹でも下したのかい?」
「…………何でもない」
「何でもなくはねえだろい。この成虎さまに話してみな? 胸のつかえが取れてスッキリすること請け合いだぜ」
「…………」
再び沈黙した志龍をどうしたものか成虎が思案している時である。
「おーい、アンタたち! 良かったらワシの舟に乗らんかね?」
ガラガラ声に成虎が振り向くと、湖のほとりに停泊している舟の脇で美味そうに
「何でえ、オッチャン。俺らを舟に乗っけて何しようってんでい?」
「おいおい、人聞きの悪いことを言いなさんな。ワシはただの船頭さ。客から銭を貰ってこの月餅湖を遊覧している」
「へーえ、そいつぁ優雅なモンだが、その商売ってのぁ儲かるのかい?」
「儲かるモンならわざわざ客引きなんかせんだろて。特に今日みたいな満月以外の日はな」
「
船頭の返しが気に入った成虎は笑みを浮かべた。
「よおし、オッチャン。お望み通り、野郎二人が舟に揺られてやるぜ」
「————毎度あり!」
船頭は威勢よく返事をして舟を出す準備を始めた。
「
「ツレねえこと言うねい。舟代は俺が持つから心配いらねえよ」
「私はそんなことを心配しているのでは————」
しかし成虎は聞く耳を持たず二頭の馬を近くの大木にくくり付けている。
「
馬をくくり終えた成虎は渋る志龍の腕を引っ掴んで歩き出す。
「さあて、野郎二人でしばしの舟旅と
「…………はあ」
楽しそうな成虎とは対照的に、志龍は浮かない顔で溜め息をついた。
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