『侠侶(四)』

 ————翌朝、志龍シリュウは見知らぬ部屋で眼を覚ました。

 

「…………どこだ、ここは……?」

 

 半身を起こしてキョロキョロと辺りを見回してみると、どこかの旅籠はたごの部屋のようであるが、見覚えどころか昨日酒楼に入ったくらいからの記憶が無い。

 

「…………昨日は確か、『奴』に酒楼に付き合わされて……」

 

 腕組みをして記憶を辿っていると、扉が乱暴に開け放たれ見たくもない顔が現れた。

 

「おう、志龍! 起きたか、早く行こうぜ」

 

 爽やかな笑顔の成虎セイコに手招きをされた志龍は寝台から立ち上がって尋ねる。

 

「待て、ガクどの。ここはどこなのだ? 行くとはどこへ行こうと言うのだ?」

「あん? 覚えてねえのかい?」

「ああ、何故だか貴殿と酒楼に入った辺りからの記憶が全くない」

「ホントかよ。おめえさん、昨日は酒の香りを嗅いだだけでぶっ倒れちまったんだぜ?」

 

 成虎の返答を聞いた志龍は不覚とばかりに額に手をやった。

 

「……だから、私は酒が呑めないと…………」

「悪かったよ。もうおめえさんの前じゃあ呑まねえよ」

 

 少し申し訳なさそうに成虎が言うと、志龍は顔を上げた。

 

「いや、それで先ほどの質問に答えてもらえるだろうか」

「あ、ああ。ここは酒楼の近くの旅籠だ。ぶっ倒れちまったおめえさんを担ぎ込んだってえ次第さ」

「……行くと言うのは?」

月餅湖げっぺいこだ。おめえさんも行くんだろ?」

 

 成虎の口から月餅湖という言葉を聞いた驚きの表情を浮かべた。

 

「何故、それを……」

「覚えてねえんじゃあアレだが、昨日おめえさんハッキリと言ったぜ。目的地が同じだから俺を案内してくれるってよう」

「そんなことを私が……?」

「言ったぜ。絶対言った」

 

 正確には『着いて来ても良い』という言い方だったのだが、成虎が自信満々に断言すると志龍は幾度か難しい顔になった後、渋々とうなずいた。

 

「…………分かった、行こう」

よっしゃあ! そうと決まりゃあ、さっさと顔を洗って降りて来いよ! 階下した で待ってるぜ!」

 

 成虎が弾むように階段を降りて行くと、志龍は溜め息をついてゆっくりと身支度を始めた。

 

 

 

 ————身支度を終えた志龍が旅籠を出ると、脚の長い立派な毛並みの馬の背を口笛を吹きながら撫でている成虎の姿が眼に入った。

 

「岳どの、その馬はどうしたのだ。買い求めたのか?」

「いやいや、こいつぁ彩族さいぞくの知り合いから譲られた俺の愛馬さあ。昨日、酒楼の小僧にカネをやって繋いでた場所から連れて来てもらったってえワケよ」

「彩族……、確か西方の遊牧民族だな。なるほど、彩族の育てる馬は駿馬しゅんめばかりと聞いたことがあるが、確かに噂に違わぬ名馬の風格だ」

「おっ、分かるかい? 流石お眼が高いねえ」

 

 愛馬を褒められた成虎は気を良くしたようで、ますます撫でる手の動きが速くなった。

 

「まあでも、おめえさんの馬もなかなかのモンだぜ」

「それはどうも。では早速出発するとしよう」

「朝飯は? 食わねえのかい?」

「そこらで買った物を馬上で口にすれば良い」

「俺ぁ、朝は卓と椅子に座ってゆったり派なんだがなあ」

「そうしたいのなら好きにすると良い。私は行くが」

 

 きびすを返して厩舎へ向かう志龍に向けて成虎は腕を広げた。

 

「しょうがねえなあ。今日のところは馬に揺られてせっかち派と行こうかい」

 

 

 

 ————神州しんしゅうの南方・紅州こうしゅうの街道を二騎の人馬が軽快に駆けてゆく。

 

 成虎の駿馬に後を追われながらも、志龍の愛馬は力強く先導して行く。どうやら先ほどの成虎の感想はおべっかのたぐいではなかったようである。

 

 成虎は前方を走る志龍に近づき話しかける。

 

「志龍よう、昨日おめえさんに貰った『天涼快明膏てんりょうかいめいこう』ってえのは良く効くな! お陰さんでもうあらかた傷が塞がっちまったぜ!」

「薬の効果は勿論あるが、貴殿の内功が非凡なものだからだ」

「嬉しいこと言ってくれるねえ。褒めても何も出ねえぞ?」

生憎あいにく、私は世辞が苦手だ」

「気が合うねえ。俺もだ!」

「…………」

「黙り込むんじゃねえよ! まるで俺がおべっか大好き野郎みてえじゃねえか!」

 

 笑いながら志龍の背中を叩こうとした成虎だったが、志龍は馬の速度を早めて回避した。

 

「……それで、岳どの。そろそろ話してくれないか?」

「あん? 何をでえ?」

 

 スカを食った成虎は口元をとがらせて答える。

 

朱雀派すざくはの門人と手を交えた理由だ」

「…………」

 

 志龍の質問に今度は成虎が沈黙した。

 

「不本意ながら貴殿と同行することになったのだ。理由如何りゆういかんによってはこれ以上の案内は出来かねる」

「……分ーかったよ! 話すけどよ。おめえさん、その脅迫みてえな言い方は良くねえぜ!」

 

 ブツクサと文句を言いながら成虎は朱雀派の門人・朱太鳳シュタイホウと揉めた顛末を語って聞かせた。

 

「————成程、貴殿が嘘を言っていなければ貴殿に非は無いように思える」

「だろう⁉︎ 嘘なんか言ってねえぜ! 盛ってすらいねえ!」

 

 話しているうちに二日前の出来事を思い出して憤慨する成虎を横眼に、志龍は飽くまでも冷静に口を開く。

 

「……しかし、そうなると厄介だな」

「どういう意味でえ?」

「その朱姑娘シュクーニャンの気性からすると、一度逃げられた程度で簡単に獲物を諦めるとは思えない」

「……おいおい、こええこと言うなよ。ゾッとしねえぜ」

 

 志龍の言葉に成虎が冷や汗を流した時、前方の道に四つの影が現れた。二人が四つの影に気付いた時には既に上空にはその姿は無く、遙か前方の街道を塞ぐように四人の女たちが立ち並んでいた。

 

 二人は馬の脚を止め、前方の四つの影の持ち主を見遣ったまま口を開く。

 

「……噂をすりゃあ影ってヤツだな」

「あの四人の中にくだんの朱姑娘は居るのか?」

「幸いと言って良いのか居ねえ。けど、あいつら太鳳姐さんを迎えに来たヤツらだ。ろくな了見じゃあねえこたぁ確かだねえ」

「それでどうする?」

「平和主義者の俺としちゃあ穏便に済ませてえトコだぜ」

 

 片眼をつむって志龍に返事をした成虎は、一歩進んで内功を込めた声で問い掛ける。

 

「————朱雀派の姐さん方。俺らに何か用かい?」

「我が師姉がお呼びだ。大人しく付いて来い」

 

 成虎としては声に込めた内功で威圧して朱雀派の門人たちを引き下がらせようという魂胆だったのだが、女たちはまるで意に介さずさらりと言ってのけた。目論見もくろみが失敗に終わった成虎は笑顔のまま舌打ちをする。

 

「美女のお誘いを断るのは大変てえへん心苦しいが、生憎あいにく用事があるモンで今回は遠慮させてもらうと太鳳の姐さんに伝えてくれや」

「断るのなら腕ずくで連れて来いと言われている」

 

 女の返答を聞いた成虎は腕を広げて志龍に顔を向けた。

 

「————だってよ。どうするよ?」

「どうするもこうするもない。私は女子おなごと手を交えたくはない」

「意見が合うねえ。それじゃあ、やっぱアレしかねえか」

「ああ」

 

 成虎と志龍は示し合わせたようにうなずくと、手綱を力強く引き絞った。主人の意を察した馬たちは大きくいななくと同時に駆け出した。

 

 二頭の駿馬の突進を受けた女たちは思わず道を開けてしまい、振り返った時にはその姿が米粒ほどに小さくなっている。女たちは顔を林檎のように真っ赤にすると一斉に跳躍して、逃げた虎と龍の追跡を始めた。

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