『白虎派入門(三)』

 御簾みすが上がると同時に成虎セイコも顔を上げ、女のかんばせを注視した。

 

 弧を描いた眉に引き込まれそうな黒真珠の瞳、高く通った鼻に薄い唇とその脇に見える笑くぼが何とも言えずなまめかしい。歳の頃は二十代後半くらいだろうか、確かに絵から現れた仙女という以上に相応ふさわしい形容詞が見当たらないと思われる。

 

 西王母セイオウボの姿を眼に収めた成虎は口をあんぐりと開けて固まってしまい、その様子を見た西王母はニコリととろけるような微笑を浮かべる。

 

「どうしたのじゃ、成虎とやら。わらわの顔に何か付いておるかえ?」

「…………バ」

「『バ』?」

「……何でえ、いくら美人でもバアさんじゃねえかよ」

 

 ガッカリしたように成虎が言うと、掌門のは一瞬にして凍りついた。

 

「……わ、妾が婆さんじゃと……⁉︎」

 

 西王母は笑みを携えたまま口を開いたが、眼は全く笑っていない。

 

「————何を言う、成虎! 西王母さまに謝罪しろ‼︎」

「いや、だってよ……この人、見た目通りの歳じゃねえだろ」

 

 将角ショウカクに頭を押さえつけられながら成虎が答えると、

 

「————ホッホッホッ! 見事な眼力じゃ! それに気付いた者はそなたが初めてじゃぞ、成虎や!」

 

 扇子で口元を覆いながら西王母が高笑いを上げた。

 

「……ほ、本当なのですか、西王母さま……?」

「ホホ、そなたが想像するよりは多少長く生きておる」

「多少ねえ……」

 

 熊のような将角の手を払いのけた成虎が続ける。

 

「聞いたことがあるぜ。内功を至高の境地まで極めると老いを止め、それどころか若返りも可能だってな」

「…………」

 

 成虎に指摘された西王母だが、優雅に扇子を扇ぎ否定も肯定もしない。

 

「————して、ガク成虎。今一度そなたの口から聞いておこうかの。何用あって桃源郷とうげんきょうへ参った?」

「そうだねえ……、俺ぁ酒と女と博打と喧嘩に明け暮れて面白おかしく人生を送りたかったんだが、どうもその人生設計は練り直さねえといけなくなっちまったようで」

「それは何故なにゆえじゃ?」

「ちょいと前、ある女に見事に負かされちまってよ。負けっぱなしじゃあ、どうにも収まりがつかねえモンで、良い修行先を探してたってワケでさあ」

「ふむ…………」

 

 西王母は顔半分を隠すように扇子を広げていたが、その双眸はジッと成虎を捉えていた。

 

「まだまだ荒削りじゃが、そなたは大した才の持ち主のようじゃな。そなたを打ち負かしたというその女子おなご、只者ではあるまい」

「将角のアニキが言うには、朱雀派すざくはの門人らしいぜ」

「ほう、朱雀派とな……。唯一無二の軽功を用いるとは耳にしておるが、そこまでのものなのかえ?」

「ああ、あの『軽氣功けいきこう』ってのはヤベえ。けど、だからこそ破り甲斐があるってモンさあ!」

 

 成虎がドンっと胸を叩くと、西王母は婀娜あだな表情を浮かべた。

 

「『破り甲斐がある』かえ……。それは見ものじゃな」

「あん?」

「いや、こちらのことじゃ。それより一応訊いておくが、我が白虎派びゃっこはは皇帝のめいを請けあやかしを滅す皇下門派こうかもんぱじゃ。名声も報酬もそなたの思うような見返りは得られぬが、それでも構わぬか?」

「名声と報酬ねえ…………」

 

 成虎は西王母の言をつぶやき、隣に居並ぶ将角へ眼を向けた。

 

「名声はともかく、タダ働きはまっぴら御免だと思ってたぜ。コイツに会うまではな」

「成虎……」

「どうしようもねえゴロツキの俺だが、ちったあ他人様ひとさまのお役に立ちてえと思った次第さあ」

 

 将角の肩をポンと叩くと、成虎は西王母へと向き直った。

 

「とは言え、メシと酒の面倒は見てくれるんだろうねえ?」

「その点は保証しよう」

「その言葉忘れねえでくれよ? 俺ぁ将角以上に食うし、呑むぜ?」

 

 減らず口を叩きながら成虎は西王母の前にひざまずき、

 

「————不肖 岳成虎、貴派に入門させていただきたく存じます!」

 

 ゴツゴツゴツと豪快に三度叩頭して見せた。

 

「……よかろう。白虎派掌門として岳成虎、そなたを我が派の弟子と認めよう。初心を忘れず鍛錬に励むがよい」

 

 西王母が厳かに言うと、

 

「————はっ!」

 

 成虎は再びゴツッと強く叩頭した後、

 

「…………ただし、俺ぁ産まれついてのチャランポランだからよう、いつかふらっと出てっちまうかも知れねえぜ?」

 

 ゆっくりと顔を上げ魅力的な笑みを西王母にぶつけた。


  ———— 第七章に続く ————

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