第六章

『白虎派入門(一)』

 泉安鎮せんあんちんを出立した成虎セイコ将角ショウカクは駿馬で街道を駆け、山岳地帯へと差し掛かっていた。空模様はどんよりとした灰色で、辺りは見渡す限りゴツゴツとした岩肌が見えるばかり。成虎の興味をそそるような物は見当たらない。

 

「なあ、将角のアニキよお。ホントにこんな何もねえトコに桃源郷とうげんきょうってのがあんのかい?」

「ああ、もう少しだ」

「もう少しって、一刻くれえ前にもそう言ってたじゃねえかよ」

「もう少しと言ったらもう少しだ」

 

 流石に辟易とした様子で返事をする将角に成虎が畳み掛ける。

 

「なあなあ昔、本で読んだんだけどよう。その桃源郷ってトコは外界とは全く違う世界で、見たこともねえような鳥や虫に綺麗な仙女がわんさかいて優雅に暮らしてるってのはホントなのかい?」

「その本とは恐らく幼児が読むような絵本のたぐいではないか?」

「おう、ガキの頃に胸を膨らませて読んでたモンさあ!」

「……言いにくいのだが、ちまたに出回っている絵本の内容は半分正解と言った所だ」

「————半分?」

 

 成虎は素っ頓狂な声で訊き返した。

 

「ああ、確かに桃源郷は一年中穏やかな気候で七色の羽を持つ蝶や鳥が舞い飛び、本来は生息地が違う花々が同時に並び咲いているが、お前の期待している仙女などはいない」

「————いねえっ⁉︎」

 

 成虎の絶叫が山彦になって山々に木霊こだました。

 

白虎派びゃっこはに女弟子はいくらかいるにはいるが、男弟子に比べるとその数は圧倒的に少ない」

「……なんてえこった……! 桃源郷で修行しつつ仙女たちと酒池肉林っつう俺の計画が……‼︎」

「まあ、そう肩を落とすな。心を惑わすものが無ければ、それだけ修行に身が入るというものだ」

 

 ガックリと肩を落とす成虎に将角が励ますように声を掛けるが、抜け殻のような表情の成虎には届いていなかった。

 

 

 

 ————さらに半刻ほど走ると雑木林に差し掛かり、将角は馬を停めた。

 

「着いたぞ、成虎。ここだ」

「ああ?」

 

 到着したと言う将角の声に反応して成虎は辺りを見回すが、周りには枯れ木がチラホラとあるだけで、とても白虎派の総本山があるようには思えない。

 

「着いたって……、何処どこにだい?」

「桃源郷だ」

 

 言いながら将角が指を突き出した。成虎がその先を追うと、一際背の高い枯れ木が四丈ほどの幅で並んで生えているのが見えた。

 

「…………? あの樹が何だってんだい?」

「あの二本の樹の間が桃源郷の入り口だ。『正門』ではなく『裏門』だがな」

 

 そう話す将角の表情はいつもと変わらず仏頂面のままである。代わりに成虎は乾いた笑みを浮かべて手を広げた。

 

「……おめえさんも冗談とか言うんだな。けど俺ぁ今、冗談に付き合う気分じゃあ————」

「冗談ではないぞ」

 

 将角は馬を引いて二本の樹の間に歩き出した。その背に成虎が呆れたように呼び掛ける。

 

「おいおい、もうめときな、将角のアニキ。もうその冗談スベって————ええっ⁉︎」

 

 なんと将角と馬は二本の樹の間を通った瞬間、その姿が風景にスウっと溶け込むように見えなくなってしまった。

 

「お、おい! 将角! どこに行った⁉︎」

 

 成虎は血相を変えて二本の樹の後ろに回り込むが、やはり将角の姿は見えない。

 

「————オイ将角! 返事しろい!」

「ここだ」

 

 再び成虎が呼び掛けると、二本の樹の間から将角の野太い声だけが聞こえてきた。

 

「将角! こりゃあいってえ何の手品なんでえ⁉︎」

「手品ではない。さっき俺が通った方向から樹の間を通り抜けてみろ」

「…………」

 

 いぶかしみながら成虎は二本の樹に手を伸ばす。すると、樹の間に視えない境界線があるかのようにおのれの手が消えてしまった。

 

「————何でえ、こりゃあ! 気色悪い‼︎」

 

 慌てて手を戻すと元に戻っており、感覚を確かめるように成虎は何度も開いては閉じる動作を繰り返した。

 

「戸惑うのは無理もないが、この樹の間が『裏口』なのだ。さあ臆せず通って来い」

「……にゃろう……!」

 

 挑発するような将角の言葉にムッとした成虎は覚悟を決めて二本の樹の間をくぐり抜けた。

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