第30話     一肌脱いじゃう 6

 少し前の事。


 ドリスは前触れもなくいきなりエヴェリーナを訪ねた。

「先日は失礼いたしました。侯爵様にお伺いしていた通り素敵なお庭ですね。お庭でお茶をいただきたいです。ね、エヴェリーナ様。」

「突然のご訪問につき、準備ができません。ご用件は?」

 玄関ホールで対応したエヴェリーナはいう。

 相手は子爵令嬢。この無礼な振る舞いは許されることではない。本来なら突然の来訪を拒否してもいいのだ。

「ええ?だってステファン様が素敵なお庭だとおすすめしてくださったのに。」

「・・・それで本日はどのような?」

「ステファン様のお住まいを見て見たかったのですわ!ここに住む日も近いと思いますから視察です。」

「え?」

 後ろに控えるメイドや執事も顔色を変える。

「ここに住むとは・・・どういったことでしょうか。」

「お茶会でもお話しましたでしょう?今は王宮でステファン様と一緒に過ごしているんですの。毎日、私の事を大切だ、お守りしたいと言って下さっているのですわ。いずれこちらに移ることになると思いますし・・・その時は気を遣っちゃうし、奥様は申し訳ないですが出て行ってくださいね。」

「なっ!」


 お茶会で思わせぶりなことをいった令嬢のせいで、ずいぶん悩まされてきた。

 悲しみに打ちひしがれて、心をずたずた・・・には、されなかった。何しろ二回目の人生、一度目にしっかりと話し合わなかったせいで誤解を生じ、彼を恨んだまま死んでしまった。

 いまのエヴェリーナは心を揺さぶられても、鵜呑みにすることはない。

 ただ、大切な二人の屋敷に突然やってきた令嬢に怒りが湧いた。

「それは子爵令嬢であるあなたがわたくしにいう事ではありません。お話はそれだけならお帰り下さい。貴女の家に報告させていただいても良いのですよ。」

「私の事は王太子殿下も目をかけてくださっているの。ステファン様は毎夜、寂しがる私のもとに来てくださっているわ。そんな私にそんなことを言っていいんですか?」

「あなたを大切にする理由があなたの身分や秘密にあるとすれば、仕事ということですわ。さ、お帰り下さい。」

「ステファン様は私を選んでるのに?毎晩ここに帰らず私のもとに来てくださっているということはそう言うことですわ。」

「これ以上の無礼は許しません。」

 エヴェリーナは護衛に指示し、令嬢を追い出した。


 令嬢には王家からの護衛が付いてきていた。どういういきさつがあるのかは知らないが、大事に扱われているのは確かなのだろう。

 外で待機していた王家の護衛は、侯爵家の護衛に追い出された令嬢を見て、申し訳なさそうな顔をして連れて帰った。

 その王家の護衛を執事は追いかけ、このことをステファンには伝えないよう頼んだ。


 令嬢を追い払ったエヴェリーナはソファーに座り込んだ。

「奥様!」

「大丈夫よ。少し疲れたけれど・・・。」

 涙が浮かびそうになるのを堪えて心の中で大丈夫だと唱えた。

 ステファンの言い分を聞かず、早合点をしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 本来、侯爵夫人である自分がこれくらいの事は解決しなければならないのだろう。

 しかし、事実を知らねばどうしようもない。執事に事情だけでも聞いてきてもらわなければと考えていたところ、その夜、エヴェリーナは倒れてしまったのだった。



「ん・・・」

 目を開けたエヴェリーナが驚く。

「ステファン様?」

「すまなかった。体調はどうだ?苦しくはないか?痛みなどはないか?」

「・・・お耳に入ってしまいましたか?」

 エヴェリーナは申し訳なさそうにいう。

「彼女の言ったことはすべて嘘だ、私はエヴェリーナの事だけを愛している。だからどうか心を乱さないで大事にしてほしい。あのご令嬢は殿下からの聴取を頼まれているのだ。何を勘違いをしたのか・・・すまない。」

「・・・いいえ。信じておりました。」

 涙を落としてそう言うエヴェリーナにそっと口づけをした。


「・・・気分はどうだ?」

「いいえ、少しめまいがしただけだから。」

「心労をかけてしまったから・・・君を悲しませて夫失格だ。ずっと帰ってこれなくて済まない。」

「いいえ。わたくしたちの為にお勤めしてくださっているのですもの。感謝しております。私こそ侯爵夫人としてはずかしいわ。ごめんなさい。」

「君には何も問題ないよ。すべて私の不手際だ。」

 ステファンはエヴェリーナのお腹に手を当てると慈しむように撫でる。

「君たちは必ず守るから。」

「はい。今はとても調子がいいのですわ。あなたの顔を見たからかしら。」

 ステファンはほっとしたように頬にキスをした。


 しかし「我が守る」とエヴェリーナにキスをして消えた男の存在が気になる。

「それで・・・青と白の異国の衣装を着て、銀髪で美しい男の事だが、き、君の知り合いかな?」

「え?そんな方は知らない・・・」

 と言いかけて、はっと思い出した。

 一度目の人生で竜の山の森で迷子になったエヴェリーナを導いてくれた不思議な男性の事を。今聞いた容貌、服装だった。もしかしたら・・・

「心当たりあった?」

「え、いえ。心当たりはありません。」

 不思議なことをたくさん経験している。

 そして明らかに、庭に住むトカゲはお使い様もしくは竜の化身。

 これまで何度も助けられている。

 しかし、人の姿で自分に会いに来てくれたといってステファンは信じてくれるだろうか。自分でも信じられないのに。


「・・・そうか。」

「その方が何か?」

「この部屋に無断で侵入したようだ。」

「え?この部屋に?」

「誰かと質したのだけど、そのまま出て行ってしまって見失った。」

「部屋で何を?」

 ステファンは苦しそうな顔で

「君の・・・お腹に触れていたよ。そして君を守るって。」

 エヴェリーナは驚いた顔の後、涙を一つ落としながらとても嬉しそうに笑いお腹を撫でた。

 不快感や全身の倦怠感が消失しているのは、神様が守ってくださったのだ。安堵して涙がこぼれた。あの方はやはり竜のお使い様ではない、竜と呼ばれる神その者だろう。

 もうこの子は大丈夫。心の中で神様に感謝の祈りをささげた。


「・・・リーナを守るのは私だよ。彼が誰なのか教えて欲しい。」

「彼は・・・」

「やっぱり知り合いなの?私には知られたくなかった?・・・私では頼りにならないから・・・」

 ステファンは顔全体に「絶望」を張り付けている。

 ステファンの妻になって数年たっても、エヴェリーナの事になるとステファンはポンコツになる。過去の経験から、エヴェリーナを失ってしまうのではないかという恐怖が身に染みこんでいるのだ。


「ステファン様、私はあなたしか頼る者はおりません。きっとその方は神様ですわ。私たちを見守ってくださる神様。」

 納得できたような、できないような顔でステファンはエヴェリーナに口づけをする。

「・・・相手が神であっても、君を助けるのは私でありたい。今日は側にいてもいいかい?」

「ゆっくりお休みになってください。お忙しいのでしょう?」

「そうでもないよ。リーナの事が心配だから側にいさせて。」

「側にいてくださるなら安心ですわ。」

 ステファンはエヴェリーナの負担にならないようベッドに入るとそっと抱きしめた。

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