第21話 夢の中の学校
「この場合、頭いいとか悪いとか関係ないから」
せりくんは私のふくれっ面をあっさり切り捨てた。
「どっちかっていうと、必要なのは度胸だな。やってみようぜ」
「私がセリくんのことを考えて、私の中にセリくんを呼ぶの?」
「そ。失敗しても……はじかれて現実に戻るだけじゃないか? だいじょうぶ、だいじょうぶ」
そう言いながら、せりくんは制服のブレザーのポケットから何かを取り出した。
「これ、返しとく」
差し出されたのは、ヒマワリのついたヘアピンだった。ヒマワリがすこし古ぼけて色あせている。
「え、これ」
私の好きだったやつ。せりくんの頭に無理やりパチンとした、あのヘアピンだ。
そうか、あの時せりくんにあげたんだった。引っ越しのお別れにって。
「もう一度会ったら見せようと思ってたんだ。幼稚園の時の物が入ってた箱から出てきて超びびった。なんでこんなかわいい物持ってるんだっけって」
「男の子にこんな物、よくあげたなあ。昔の私すごいね」
あきれ笑いの私の髪に、せりくんが手をのばす。びっくりしているうちにショートボブの橫髪にパチンとされた。
「ちょっ!」
「やっぱりハコベには似合うわ。俺はさあ、ちょっとムリだ」
エヘラ、とするせりくん。私はなんだか照れてしまったのだけど、そこで思い出した。床に置きっぱなしのカバンを開ける。ごそごそすると、ほら。
「あった」
取り出したのは、同じヘアピンだ。ただし、こちらの方は新しい。昔のままの鮮やかな色のヒマワリ。
手にのせて見せると、せりくんは目を見張った。
「――もしかしたらいけるかも」
「どういうこと?」
「俺とハコベをつなぐ実体と影が補強された。実際はどっちも影だけど、時空がずれてる存在だし糸にはなるだろ」
「はい?」
「さっきだって、実体とはいえないハコベを影の俺の中に呼んだんだし、きっとできる」
「だーかーらー! セリくんの言うことはわかんない!」
さえぎると、せりくんは明るく笑った。私の手からヘアピンをつまみ取り、私の髪につけた方をちょんちょんと指す。
「それに向けて、俺のことめっちゃ考えててくれればいいよ」
「ええ?」
せりくんは私に手をかざすようにうながす。とまどいながらしたがうと、せりくんはニヤリとしてうなずいた。
「いくぞ」
「う、うん」
二人の手のひらの中にヘアピンをはさむようにし、手を合わせる。
せり、くん。
顔を見つめながら念じると、せりくんの指が私の指にからまった。
空気が、揺れた。
目を開ける前から、朝の学校のざわめきが聞こえてきていた。
そっとまぶたを上げる。そこは私の教室の入り口――だけどまだ一年生の時の、だ。中にいるクラスメートもそのまま。クラス替えがあったはずけど二年生の教室の様子が私にはわからない。
「ハコベ」
後ろからせりくんの声がした。廊下を振り向くと、してやったりという顔で立っている。
「成功」
「うん」
せりくんは普通の顔をして教室に入っていった。え、いいの? 別の学校の制服のままだけど。
「はよっすセリ!」
「おはよー」
あちこちから声がかかった。せりくんも平然とこたえている。
転校生ポジションじゃないんだ。まあ私の中では昔からの友だちだから、そうなってしまってるのかもしれない。それに声をかけているのは幼稚園から一緒の男子たちだけだった。なるほど。
そうやって普通になじんでいるせりくんに対して、私の方はそうならなかった。
「ハコベちゃん!」
「あー、オバナさん元気になったんだ」
どうやら私はあれ以降の初教室らしい。まあ事実そうなんだけど。
なんとなく気をつかわれているような、好奇心を向けられているような、微妙な空気が私に刺さった。私はつい、窓の方を見て表情を硬くしてしまった。
「あ、オバナさんの席、今は廊下側だよ」
私の様子で気を回した誰かが言った。
「ここね」
「あ、ありがと」
前の席の子が手まねきして教えてくれる。私はお礼を言って席に座ったけど、そういえばカバンも持っていないのだった。だけど誰もそれをおかしいと思っていないみたいなのは夢の中だからなのか。私の周りに数人の女子がやってきて話しかける。
「たいへんだったね」
「ケガしたんでしょ。もう治ったんだ、よかったね」
なんだか言葉がそらぞらしかった――この子たちは、誰だっけ。なんだかぼんやりしてよくわからない。
「オバナさんまで巻き込んでさあ、ありえないってみんな言ってたの」
「ひどいよね、コニタさん」
「いっつもオバナさんにベタベタしてたもんね」
――何を言ってるんだろう、この子たち。
囲まれた私が座ったまま動けずにいると、ヒョイとせりくんが割り込んできた。
「コニタって?」
「セリくん……ナデシコのこと」
私は小さく答えた。
「そっか。ナデシコが、なんかひどかったっけ?」
せりくんは私の周りの子たちに強い視線を投げた。すこし怒ってるみたいだ。その目にタジタジとなった女子たちが、すぐにムッとして口々に言い返してくる。
「えー、だってさあ。ハコベちゃんは私のものみたいな顔して、まとわりついてたじゃない」
「あげくに窓から落ちるとか。あの子が引きずり落としたんでしょ? 無理心中?」
「オバナさん、ただの被害者じゃない」
「かわいそうだなあって」
「黙れよ!」
せりくんは完全に怒った声で言った。
「ハコベとナデシコの間のことなんだから、勝手に決めて言うな! ハコベはかわいそうなんかじゃない!」
私は血の気が引いた白い顔で、それを聞いていた。何か言わなきゃと思うのに、頭も真っ白だった。
小きざみにふるえていた肩をせりくんが押さえてくれた。その手のあたたかさで、すこしだけ勇気が出る。
「あれは」
やっと、口が動いた。
「あれは事故だったの。ナデシコは死にたかったんじゃない。自由になりたかっただけ」
私はまっすぐに顔を上げ、言った。
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