まだ雨はやまない
第17話 消える世界から
とにかくここから出よう、とレイくんは言い出した。
「今ここで考えててもしょうがないや。この世界は消えていってしまうから、一度戻るしかない。まだ雨はやまないからだいじょうぶだろうけど」
「だいじょうぶって」
「――消える世界に居続けたら、現実からはぐれるかもしれない」
「うそ」
それはちょっと困る。
じゃあ帰るしかないのかな。本当はすこし後ろ髪を引かれる気分なんだけど。
「ねえ――戻ったら、私またレイくんのこと忘れちゃうの?」
「――たぶん。でも会えば思い出すよな? ならいいだろ」
私は、あまりよくない。会わずにいる間に記憶をたどってみたいのに、それもできなくなってしまう。
「ごめんね」
つい、言った。
「ん?」
「いや、なんか、ぜんぜん思い出せなくて。レイくんて、すごく見たことある感じだと最初から思ってるんだけどさあ」
「バーカ、いいんだよ」
言い訳する私の頭をレイくんはまたグシグシとなでた。なんだかもう怒る気になれないのは、さんざん泣いた後だからかな。
見まわすとあたりには何もなくなっていた。ただの、灰色の空間。床も壁も天井もわからない。私はものすごくさびしくなった。
さっきまで撫子がここにいたのに。
その記憶も、元の世界に戻れば私の中から消えてしまうんだろう。豆だいふくの時みたいに。覚えていたいよ。
あの時は雨がやむ家の前に戻ってから、ふと手のひらにハムスターを感じたけれど、撫子とのこともそうやって思ったりできるだろうか。
「……さよなら」
私は小さく告げた。かみしめるように。
まだ雨はやまない。だけど私は戻らなくちゃならない。生きていくと決めたんだもん。これは、撫子との約束だ。
「じゃあ、帰ろう」
私の心の準備を待ってくれていたレイくんが、手のひらを向けてくる。
「うん」
私はぎこちなく笑ってレイくんの正面に立った。手をかざす。
ふれあった手から波が広がり、私たちをのみこんだ。
――雨が降り続く、エゴノキの咲く公園。目を開ければそこに戻るのだと私は思っていた。なのに。
ここは、どこ。
ううん、知ってる公園のような気はする。見覚えはある。
だけど雨は降っていないし私のカバンも傘もないし――なんとなく、遊具が普通より大きいような。
もしかしたら、別の夢の世界?
誰か他の人の想い残りの中なんじゃないの? だって私、撫子とのことを忘れていない。私はまだ
「レイくん――」
呼びながら振り返り、私は立ちすくんだ。
いない。
「レイくん! やだ、うそ。レイくん!」
いない。どこにもいない。
「や……ちょっと、どうしよう」
私はおろおろと情けない声でつぶやいた。
これまではおかしな世界に行ってもレイくんがいてくれたし、すぐそこで笑っていてくれた。
なのに。突然ひとりになってしまった。
ポツンとしていると、世界がとても広く思えた。
空間がザアと音をたてるような気がした。遠くまで広がりを感じる。そして、誰もいない。
こわい。
「レイくん――」
また口から泣き声がもれた。ああ情けないな、もう。ひとりになったぐらいで。
私は深呼吸して、両手でほほをパチンと叩いた。しっかりしろ。考えなきゃ。
ここが普通の世界じゃないのなら、
問題は誰の心なのか、だ。
――たぶん、レイくんの、なんだろうな。だって姿を消してしまったんだから。
レイくんの本当の名前。それを私が思い出して、呼ぶ。そうすればきっとレイくんが現れるだろう。豆だいふくや撫子の時のように。
「……ひとりで探さなきゃいけないの?」
やっぱりそこで、私は途方に暮れるんだ。
わかってる。この公園や、その外の道路。あるいはもっと向こうまで。探険してヒントを探し、レイくんとの思い出を見つければいい。これまでにやってきたのと同じだ。
なのに、とても心細い。
レイくんにからかわれたり、プンプン怒ったりして歩いていたのが恋しい。あれ、困ったな。
「べつに、レイくんとケンカするのが好きってわけじゃないんだけど」
自分で言って、モヤモヤした。その表現をすると、わりと気に入っているということになるのでは。
私はブンブンと頭を振った。
「あーもー。いい、がんばる!」
言うじゃないですか、女は度胸って。
こうなったらやるしかないでしょ!
さて、始まりのこの公園。絶対に知っている場所だ。どこだっけ。大きなケヤキの木の下で、高くて長いすべり台を私は見上げた。
最近は行っていない公園だよね、えーと。
待てよ。
レイくんて、たぶん小さい時の知り合いだと思うんだ。『ヨシヨシすると泣きやむだろ』とか言うくらいなんだから。てことは幼稚園時代――。
「あ、ここ」
わかった。幼稚園に行く途中にある公園だ。小学校とも中学校とも反対の方向だから卒園してからは通りかからないし、遊びにも行っていない。
「それで遊具が大きいの?」
幼稚園児から見た世界なのか、ここは。
「何するにも大冒険だったんだなあ」
卒園の頃でも身長が今より四十センチぐらい低かったはずだ。手足も短くて、めいっぱい動かさないとこのすべり台の階段ものぼれない。いい運動かもしれないな。
「幼稚園の時の子なんだね、レイくん……」
ここで一緒に遊んだのだろう。そう、同じ方向の子たちでよく寄り道してた。その仲間で、今は違う学校に通っている人ということか。
小学校から別々の子は何人もいる。その中の、男の子。
――あ。
引っ越しちゃった子がいたよね。いつもケンカしていたけど、まあ遊びの内みたいなもので。その子かな? 名前はなんだったっけ。
私は公園を見まわした。
思い出すとなつかしくて、思わず笑顔になる。
あの頃は、大きくなったらなんでもできるような気がしていたな。なのに今の私は、その同じ公園にいて、ひとりだ。
私の笑顔は、苦笑いになった。
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