第15話 一緒なら
「だめだハコベ、一緒に行くなんて言うなよ。そのとおりになるかもしれない」
困っていた私にレイくんがするどい声で言った。そのとおりに、てどういうことなの。私はおろおろするばかりだった。
「ほんと嫌な人ね。どうして私の邪魔するの」
「当たり前だろ! ハコベを連れて行かれてたまるかよ、ハコベはこれからもちゃんと生きていくんだからな!」
「え――」
連れて行くって――そういうこと? 撫子と一緒に死のうっていう意味なの?
信じられなくて撫子を見つめた私に、撫子は泣き笑いした。その顔に水面から入る光がゆらゆらとかかる。
「――だめ? ハコベちゃん。私と離ればなれになってもいいの?」
「ナデシコ――」
私の死を願うようなことを言うの?
私はまじまじと撫子を見た。
――もう撫子が撫子じゃないように思えて私は立ちつくす。見開いた私の目は揺れていただろう。だって。
だって、撫子。
「――わかった」
撫子は傷ついたような顔になってつぶやいた。その目から涙があふれて周りの水になじんでいく。
「じゃあ、仕方ないよね」
「――ゲホッ!」
私は突然のどにあふれた水にむせた。
いや、元々ここは水の中。
水が水に戻ったんだ。私ののどでだけ。
吐いた反射で吸ったと思った空気も、のどに入ると水になる。息ができなくなった私は口を押さえてもがいた。
「ハコベ!?」
突然おぼれそうになった私にレイくんが駆け寄ろうとする。その周りにペンギンたちが群がった。かわるがわる体当たりする。
レイくんはそれを振り払い、ぶつかられながらも私に向かって叫んだ。
「それは水じゃないって信じろ!」
そんなこと、言っても。
肺が悲鳴をあげた。空気をよこせと。
「ここは夢の中だ、信じればそうなるはずだ!」
レイ、くん。
頭がガンガンと鳴る。
酸素を届けたいと心臓があわてる。
でも空気がない。
のどをつかんで苦しむ私の横で、撫子は真っ青な顔だった。
も、だめ――。
殺到するペンギンをかき分けてレイくんが近づく。
「ハコベ!」
私の体から力が抜ける。そのまま倒れるのかと思った。でもここは水の中、私はふわりと沈んでいく。
その腕を、レイくんがグイと引いた。
抱きよせられて、頭をつかまれる。
口がおおわれたかと思うと――空気が胸に入ってきた。
「ゴフッ!」
のどに残っていた水が苦しくて私はむせる。そこで息つぎしたレイくんが、私が息を吸いかける口をまた、おおった。
空気。
肺がみたされた私は我に返る。目の前に、レイくんの顔があった。
――あ。
何をされたのかわかった。
私が息をのむと、レイくんは再び息つぎをした。そして今度はグン、と私を抱えたまま上に向かって泳ぎだす。水からあがるつもりなのだとわかって私もぎこちなく足で水をけった。
「ハコベちゃん!」
下で撫子が泣き声の悲鳴をあげた。すると私ののどが軽くなる。そこで私はゲホゲホとせき込んでしまったけど、空気はもう水にならなかった。
「レイくん、もう、平気」
「――だめだ。念のため水から出る」
私の訴えにもレイくんは固い表情をくずさなかった。
――あれは、撫子がやったの?
私をおぼれさせるようなことを?
私が一緒に行かなそうだから、無理やり連れて行くために――そんなことを、撫子が。
ザバッという感触があって、私とレイくんは岩場に上がった。続いてピョンピョンとペンギンたちも飛び上がってくる。ヨチヨチ歩くペンギンは、もうレイくんを攻撃しようとしなかった。
そして最後に水から出てきた撫子は――泣きじゃくりながら、私たちとは離れた岩に座り込んだ。
「やっぱりだめ。ハコベちゃんが苦しいのは嫌なの。そんなことできない」
「――殺しかけたくせに、よく言うよ!」
膝を抱えて泣く撫子に、レイくんは怒鳴った。私は呼吸をととのえながら、レイくんの腕を押さえた。そんな風に言わないで。
「仕方なかったんだよね。ナデシコ、さびしかったんでしょ」
撫子はずっと、この世界と自分の間にみぞがあると感じていたよね。
だからうまく歩けない、て。
ひとりだ、て。
私は世界と撫子の間にいて、やっとつながることができた数少ない人だった。
だから、私といたくて。
私だけがいればだいじょうぶな気がしていた。そうだよね。
撫子はコクコクうなずく。
「なのに、ハコベちゃんには他にもたくさん友だちがいるの。私がいなくてもハコベちゃんはだいじょうぶなの。私なんて」
「違うってばナデシコ。私だって!」
そこでこらえきれずに、私は泣いてしまった。
友だちなんて、よくわからない。
たまたま同じクラスだったり、家が近かったり、委員会でとなりに座ったりしただけの人は友だちじゃないでしょう?
あいさつするだけの人は?
顔を知っているだけの人は?
私だって、世界と私の距離にいつだって困ってる。
「ハコベちゃん……」
「私も、強くなんかない。ナデシコがいてくれたから、がんばってたの」
撫子がはっきりつらいと言ってくれていたら、私も同じだと伝えられただろう。私から撫子にそんな話をできたなら、撫子も弱音を吐いてくれただろう。
だけど私たちはそうできなかった。
自分が本当は弱いんだとさらけ出して、軽べつされるのがこわかったから。
世界でたたかっていくのが苦しいなんて、言っちゃいけないと思っていたから。
そんなことを伝えたら、相手が困るとおそれていたから。
もっと早く言えていたら。
空に飛ぶ前に言えていたら、何か違ったかな。
ね、撫子。
私はたくさんの気持ちをこめて、撫子に告げた。
「ごめんね。私、一緒には行けない」
私はまだたたかわなくちゃいけないの。
この世界で。
ただ生きるというたたかいを、ちゃんと続けてみたい。
――顔を上げた撫子は、私をじっと見つめて笑い、うなずいた。
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