便利屋の対峙
「一度ここを離れる。ここからなら……下水道が一番マシか」
「うぅ。またぁ……?」
翻弄されるように来た道を辿っていく。薬局の手前、入り切らない人達が溢れ返るなか、警備を掻い潜るように表通りから外れた。騒々しい声と足音が背後で置き去りになって離れていく。
左右を廃れたコンクリート壁が聳える。大通りから外れると錆びついたフェンスや蓋の盗まれたマンホールが視界に入って、シルヴィは安堵するように深くため息をついた。
「……アハ、本当ッ最悪。今何見て安心したと思う? そこで引っくり返ってる薬中共と解体屋(ブッチャー)の看板。それでね、裏路地に入ったなって確信したの。エストのおかげであんなの見て落ち着ける身体にされちゃった♡」
「それは良かった」
何も思っちゃいない返答。レーヴェが噴き出して、シルヴィは険しい眼差しで二人を睨んだ。
「先に様子を見てくる。問題がなければ降りてこい。下水道から街を出ることは出来ないが出口に近づくことは可能だろう」
エストが下水道へ飛び降りる。真っ暗な穴のを見下ろすと視界を焼くような熱と揺れる灯りが瞬いた。
「問題はなくなった。降りてこい」
「シルヴィさん、先に行って? わたしが先に降りてる間に上で何かあったらまずいし」
レーヴェに促されて頷く。梯子も使わず急ぐように飛び降りた。エストが咄嗟に駆け寄るのを悠然と見下ろして笑みを返す。
人間ではない力は幸福剤に限った話ではない。ふわりと広がるように靡く髪。重力に抗うようにゆっくりと宙を舞い降りて地に足を着けた。
「人間じゃあるまいしこれぐらいの力ではなんともないぞ」
わざとらしく尊大な言葉遣いで胸を張って見せる。数瞬、エストは黙ったまま見下ろして、何も言わないままシルヴィの額を指で弾いた。
「うぐッ」
情けない鳴き声が地下を反響していく。シルヴィは大袈裟に仰け反りながら額を擦った。
「……だ、だってぇ。我、じゃなくて私は! 人間よりもずっと頑丈で何でもできるのに。二人とも過保護なぐらい私を気にかけてくれるんだもん。嬉しいよ? 嬉しいけど、何もかもおんぶに抱っこされるは嫌」
無自覚のまま【緋の糸】を着けた手に力を込める。凛とした双眸がエストの周囲に転がる無数の死骸を映し出す。ここに住み着いていたのか、解体屋にいたような不定形の怪物が炎に包まれて死んでいた。
「負担を背負わせたくないと考えるのはお前一人だけではない。可能な限り誰も傷つかない方法を取りたいだけだ。理解してくれ」
「……誰もじゃないでしょ。自分以外って言ったら?」
「嗚呼、誰も傷つかない方法は嘘だった。どうでもいい存在にこんな配慮はしない。だが感傷の要因はとっくに出来ている。何かあってからでは遅い」
話を切り上げるようにエストは背を向ける。剣を収めた。汚水に沿った狭い道を歩き始めていく。
シルヴィは言葉の意味を汲み取れるまで立ち止まった。――遅れて、ボッと湧き上がるように熱が牙を浮かせる。頬が緩みそうになる。
「それって――」
「だが、端からおんぶに抱っこをするつもりはない。何のために武器を渡したと思っている。気を緩めるな。つねに警戒は続けろ」
押し負けてシルヴィは何度も頷いた。警戒しろと言われているのに、依然として冷め止まない顔の熱さを誤魔化すように自らの頬を強く抓る。
冷静さが振り戻ると思い出すように薬品とドブの混ざった異臭が鼻腔を突き刺して牙の隙間からうめき声が漏れた。
歩き進むほど暗闇に呑まれるみたいに灯りが遠ざかる。街を巡る下水は一本の本道へ合流するように流れ込み、水音を響かせていた。
「……エスト、シグナルジャマーが作動してる。誰かいる」
レーヴェが腰に掛けた機械を撫でた瞬間、水音に隠れていた気配が一転して距離を詰めた。暗闇を斬り裂き肉薄する白と黒の刃。金属音が激しく劈いて【緋色の剣】と斬撃を交える。
「……ルドヴィコと同行していた便利屋か」
青年は刃を掠めたフードをすぐに破り捨てた。足元で布切れが燃え尽きていく。露わとなった幼さの残る相貌。やるせないような眼差しがエストを睥睨し、銀の髪が煤を被る。
便利屋は白と黒、二種のナイフを構えたまま僅かに距離を取った。ばしゃりと、汚水が踏み締められて飛び散る。
「レーヴェは機械を死守しろ。それがある限りは連絡は取れない。シルヴィ、お前は身を守れ。奴が仕事を優先するならキミを回収するだけで終わる」
「……いいえ。正直に話しましょう。自分の仕事は貴方の回収も含まれていますよ。【緋刃】、畏怖すべき便利屋。貴方はきっと何にも覚えてくれてはいないでしょうから。改めて自己紹介でもしましょうか?」
「結構だ。何も言わなくていい。……灯せ」
『お気をつけください。あの二つの刃、それに彼の外套、複数の力を感じます。異界道具でしょう』
引き金となる言葉が吐き捨てられる。【緋色の剣】は持ち主の命を燃やして刀身を赤く輝かせた。
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