緋の糸
見つめ返して、シルヴィはすぐに牙を見せて蠱惑的に微笑んだ。艶やかに頬を朱に染める。
「どうしたの? もしかして今になってようやく私が可愛いことに気づいて見惚れちゃった? え、エストがもっと素直になるなら私も……もー少しサービスするのになぁ」
「……意味のわからないことを言うな。考え事があっただけだ。今結論がついたがな」
エストはそう言って【緋色の剣】の鞘を手に取り、装飾のように絡みついていた糸を引き抜いた。燃えるような刃と遜色無い緋色の繊維が舞い、物理法則を無視して一点に巻き取られていく。
糸の終着点で煌めく銀色の指輪。糸が入り切ると熱を帯びて茜差す。エストは押し込めるみたいシルヴィに握らせた。
「し、師匠!? その異界道具使えない人に渡したら死ッ――」
レーヴェが慌てて立ち上がって指輪を取り上げようと手を伸ばす。が、困惑するように踏み止まり、怪訝そうに首を傾げた。
「……なんともないね」
『彼女は問題ありませんよ。もう一振りのワタシを使う資格は充分ですから』
鞘の中からくぐもった女性の声が響く。シルヴィは付いていけない様子で呆然と指輪を凝視した。
「ええと……これは?」
「【緋の糸】とでも言えばいいだろう。異界道具だ。使い方は身に着ければわかる。だが、先に忠告する。不要に手を貸そうと思うな。自衛のために使え。身を護るためなら誰を傷つけてもいい」
――エストが、私に異界道具を渡した? しかも【緋刃】に由来する大事なものを?
信じられないみたいに何度もその事実を頭のなかで反芻した。シルヴィは段々と口が大きく開けて、目を爛々と輝かせていく。
「……ッ! い、いいの? 指輪で、赤い糸なんてエストが渡したって信じられないぐらい洒落てるよ? わ、私返したくなくなっちゃうかも♡」
「なら返せ」
「違ッ、冗談だから!! ……この指輪ってどの指につけてもいいの?」
シルヴィは見せつけるように左手を前に伸ばした。
「武器だから利き手につけろ。人差し指だ。一番制御が効く」
薬指に嵌めることをエストは当然許さなかった。はいはいと、大人しく諦めてシルヴィは言われた通りに従う。細い指に合わさるように指輪は僅かに縮んだ。身に着けると体温に呼応するように僅かに熱を帯びる。
数瞬、遅れて頭に情報が流れ込んでくる。説明されずとも歩けるように、説明されずとも生殖方法を知るように。【緋の糸】への理解が自然と身体の一部となった。
「この子は喋らないんだね。まぁ喋る道具が沢山あっても困るけどさ。……ねぇエスト。この指輪、渡した相手って私が初めてだったりぃ?」
シルヴィは躊躇いなく探りを入れた。――エストはガスマスクで表情も見えなくて、今も案の定何も言わないから分かりやすい。
無言なのはラブレターをずっと掛けずに真っ白になるみたいな、もしくは話したくないから黙れって威圧してるかの二択。今回はどう考えても後者。
「ルドヴィコに渡したことがあるんだ」
……沈黙。レーヴェが気まずいようにオロオロしていることに僅かな罪悪感が突き刺す。見えない表情が、僅かに悲しんだような気がして。ゴクリと、重いツバを呑み込んだ。
「そんなことを話すために依頼をしたわけじゃないだろう。そろそろ移動する。ここを出るぞ」
「どうやって街を出るの? 浮浪者が街の区画から逃げるのとは訳が違うんじゃ――」
レーヴェの問いかけに対して、エストは黙らせるように端末を突き見せた。黒と虹にノイズ掛かった画面に映る幸福都市(セイレム)。現在位置はその南端、黒い海の海岸沿いだった。
「こうなることは想定の一部としてはあった。脱出するための経路の候補を既に調べている。以前から逃がし屋とも連絡はつけていた」
エストは必要な説明をしながら拳銃のマガジンを抜いた。弾薬を取り除き不備の確認をしていく。
「移動の過程で被害のでない範囲で建物を爆破するように依頼した。避難に紛れて大通りを突っ切って北に向かう。そのまま赤い荒野に出る」
オートナイフのスプリング、ワイヤーの巻き取り動作の確認。手製の擲弾のピンを締め直す。【緋色の剣】以外の異界道具も異常はない。
「昼のうちに移動する。夜になれば余計な怪物と交戦する可能性がある」
拳銃を組み立て直すとエストは何も言わないまま部屋を後にした。
シルヴィとレーヴェは互いに一瞥を交わして、エストに呆れるみたいに苦笑いを向け合ってからその背を追いかける。
外に出るとすぐに磯と薬品の刺激が混ざりあった異臭が鼻腔を突き刺した。
響くさざ波、煌めく黒い水面を背に。聳え立つビルと汚らしい雑踏の中へ足を踏み入れる。
「うぅ……。不法居住区画(スラム)の臭いで落ち着くのなんか嫌だなぁ」
廃墟を這う錆びついたパイプ、積み上げられたゴミの山、破れた金属フェンス。エスコエンドルフィア製薬の管理からはみ出た不衛生な道のり。
しかし狭い路地を数本も抜けると、真昼の曇天を照らすようにトゲトゲしいネオンの光が見えてくる。幸福剤の継続的な摂取によって成り立つ街並み。
「っ、信じてないわけじゃないけど……。本当に私は自由になれるのかな」
シルヴィは懐かしむように街の中心、エスコエンドルフィア製薬のビルを見上げた。あの一室、巨大な窓から街を見ていたときはネオンの光が淡く綺麗に思えたのに。今は目の前でチカつく所為で目が痛む。
「……【緋刃】として脱出は保証しよう。仕事だからな。だが自由になれたと思えるかは管轄外だ。お前次第だろう」
予想外に言葉はすぐに返ってきた。シルヴィは動揺するように汗を描きながら物言いたげに口をもごつかせて睨む。
「何か不満があったか?」
「えへぇ……? エストって意外と格好つけだなぁって。……私、わからされちゃった♡ この一瞬は絶対忘れないよ。脳みそ溶けるみたいに、熱ーく刻まれたからぁ」
からかうように指摘しながら自分で恥ずかしくなってきて。笑みからへなへなと力が抜けてくる。エストは間が悪いように黙り込んだ。
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