ミルク色の雨の街、薬瓶を握り締めて
倒れた男にエストが歩み寄っていく。
「ここの店主はどこに行った。貴様らは誰だ」
「痛っぇええ……痛いいい…………!!」
「そうか。なら楽にしてやる」
糸が舞った。銀に煌めくか細い凶器が男の首筋を撫で捉える。エストが男の頭部を踏みつけると容赦なく大量の血が周囲に飛び散った。地面に熱を帯びた体液が広がっていく。
「……他の三人は何か喋りたいことはあるか? 見せしめは一人である必要もない」
「言う……知っていることは言う。隠したいわけ、じゃない…………」
闖入者の一人が腕の出血を手で押さえながら声を張り上げる。広がる血と苦痛の表情を、シルヴィは何も言わずに見つめていた。
「ここの店主が、数日前からいないんだ……。最近、ハートお目目共がうろついて、た。連行されたんじゃねえかってなって、それからは。ここらの奴が皆、金になるものを持って行った」
「どこに連れていかれた」
「そ、そこまでは知らない……ッ! 関係者じゃないんだ、本当だ……許して。……もう、ここにはかかわらない、から……許してください」
エストはゆっくりと顔を上げて、他の二人を一瞥した。知らないと、訴えるように首を横に振るだけだった。――有益な情報はない。
「盗んだものを全て置いていけ。その死体を店前に吊るしたら失せろ。二度とこの店に近づくな。勝手に入れば殺されると広めろ」
「置いて行ったら治療費が払えない。頼む……。見逃してくれ。頼む……!」
「治療費の心配をしたくないか? その望みを叶えることもできる」
ガスマスクから乾いた吐息が零れた。見せつけるようにしゃがみ込んで、落としたものでも拾うかのように銃口を額に押し付ける。
「……わ、わかった。従う。従う…………!」
闖入者は持っていた物を全て手放すと、仲間の死体を担いで出て行った。薄い暗闇のなか、雨音が静寂を包み込む。
「…………レーヴェさん、大丈夫かな」
「分からないから焦っているんだ」
表情を隠そうとも、苛立ちを隠すことはできなかった。突き刺すような語気が響いていく。エストは黙り込むと長い間、頭を抱えていた。微動だにせずにいると、広がった血が靴に触れる。
擦り付けるように床を強く踏み擦ると、そのまま出口へ踵を返した。
「このまま戻るぞ」
握り拳を震わせながら。冷淡な声ではっきりと告げた。シルヴィは咄嗟に、ガスマスクを見上げる。エストはすぐに顔を背けた。
「……ッ、レーヴェはどうするの?」
「どうしようもない。警察機関は元々頼れないどころか、彼らに連行された以上手がかりもない。こんな街で居所が分からなくなった時点で、終わりなんだ」
「諦めるの? ……どう見たって、エストが一番苦しく見えるけどぉ? それでも?」
素を出して誰かを慰め、励まそうと思ったことがなかった。やり方がわからなくて、声が裏返る。蠱惑的に笑おうとして頬が引き攣る。
「何かあったときに、どうにもならないことがあったときに。お互い傷つかないために関わるのをやめたんだ。……思い出や感傷がなければ誰がいなくなったところで関係ない。傷つくこともない」
――――ああ、それが理由なんだ。だから彼女と関わろうとしなくて、何かあるとすぐ黙り込んで……。
理解できなかったものが理解して、苛立ちが湧き上がる。
「関わることで心が楽になることもあるかもしれない。協力すれば仕事も楽になるかもしれない。だが、そうした時間が重なるほど、いつか起きる時に耐えられなくなる。そのために距離を取った」
……嘘だ。エストは大嘘つきのバカだ。罵倒は言葉にならなかった。言葉を出そうとして、声が詰まる。
シルヴィは緋色の睥睨を突き刺して、底冷えた声で煽った。
「…………そんなこと口にしてる時点で、思い出も感傷も無くすなんて、できやしない……! なんでそんなことも分からないの!? 雑魚の癖に!」
――私は最低だった。本心で何かを言うのが怖いからって仮面(メスガキ)に喋らせて、レーヴェの店を飛び出した。白い豪雨が瞬く間に体を濡らしていく。
「探すのは無理だ。奴らを皆殺しにしたところでそこにレーヴェがいる保障はない。既にどこかで処理されている可能性もある。最初に、余計なことをするなと言ったはずだ」
力なく歩きながらエストは追うように店を出た。容赦なく雨が二人を打ち付ける。
「止めてくれるの? かかわらないほうが傷つかないんじゃないの? なんであの人には……優しくできなかったの?」
シルヴィは目を拭い擦りながら、呪いの言葉を吐き捨てた。込み上げる嗚咽を呑み込んで、吐く息を震わせる。
エストは目を見開いたが、そんな表情さえもガスマスク越しでは伝わらい。黙り込んで。言い返せずに、シルヴィへ背を向けた。
「ッ…………! …………ごめんなさい」
自分勝手な理由で零れた涙を俯いて隠した。危険だと、あれほど言われていたのに一人で雨の街を駆けた。水たまりが音を立てて跳ねる。
……エストは追いかけてこない。
「私は、最低だ。最低の、屑の、恩知らずだ……」
一人になった途端、すらすらと言葉が溢れ出る。息をするたびに胸が締め付けられていく。誰も自分の隣にいないって、理解するほど頭が真っ白になってくる。パパが、皆が殺されたときみたいに体が震える。
――それ以上に。エストに酷いことを言った。レーヴェに、任されてたのに。彼が傷つくと確信できた言葉をぶちまけた。
「私の所為かもしれないのに。……偶然なんかじゃない。私があのお店に行ったから、あいつらが来たんだ……」
ぎゅっと、首に下げた薬瓶を握り締めた。
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