交わすことの無い杯に、酔うことはなく

 シルヴィは少女じみた笑みを浮かべて、無心で素振りを続ける。求められていないのに体を動かすのは新鮮なことだった。蒸し暑いなか流れ落ちる汗を袖で拭う。


 数時間、当然のように集中を保ちエストに課せられた訓練を全て終えると、自分を縛り付けるものが無くなって不安と自己嫌悪が込み上げてくる。


 ――自由になりたかったはずなのに。


 すぐに不安と唾を呑み込んだ。寝食用ではない、入るなと言われていたもう一台のトレーラーハウスにずかずかと入っていく。鼻腔を突き刺すアルコール臭。


 狭い車内は大量の瓶とガロン缶が埋め尽くし、僅かな通路も煮えていく鍋と蒸気を吸う金属パイプの所為で酷く狭い。エストは鍋に粉末を注いでから、睨むようにシルヴィを一瞥した。


「……入るなと言ったはずだ。訓練はどうした」


「全部終わらせた。私ぃ、才能ある?」


 缶人由来のものかもしれないが、天才の域だった。しかしエストがそれを明かすはずもなく。沈黙を貫き通す。作業に手を戻すと蒸留した液体を瓶に詰めていく。


「ねーねー、なにしてるのぉ? イケないこと?」


「酒を造っている」


「密造じゃないの? この街って確か――」


「エスコエンドルフィア製薬が取り仕切る物品以外の摂取嗜好品の使用と製造は違法だな。この街ではアルコールを作る材料すらまともにない。それっぽいものができるだけだが」


 飲食も寝る場所も部屋にも無頓着で顔すらいまだに見せないエストの一面を見た気がして、シルヴィは小さく鼻で笑った。口角が上がる。


「沢山、瓶あるけど。飲むの?」


「…………造るだけだ」


「こんなに沢山? 誰かが飲むわけでもなさそうだし……なんで作ってるの?」


 エストは答えない。黙々と作業だけを進めていく。温度計を確認しようと俯いたとき、ガスマスクに濃い影が差していた。


 シルヴィは気圧されるように溜息をついて、適当なテーブルに腰かけた。瓶をどけるとガラガラとぶつかり合う音が響く。


「じゃあ、私が飲んでいい? エストは飲まなくて、エスト以外に飲んでる人もいなくて、売ってるわけでもないんでしょ?」


「キミは子供だ。酒類は悪影響しかない」


 言われる前から予想できた言葉。シルヴィはこのときばかりは自分の悪癖に感謝した。生意気に笑って、瓶を手に取る。


「試さなきゃわからないですぅ。それに私は子供じゃないの。あとは死なない限り歳を取るだけ♡」


 水垢で汚れた金属コップにト注いで、勢い任せに喉に通した。エストは止めようとしたが、思い出したかのように伸ばしかけた手を止めた。


「んグ……ッ!?」


 変な声が出た。鼻と喉を突き抜ける刺激と熱。舌を覆う苦味。焼けるように熱くて、食道から胃にかけてジンジンとひりつくような感覚が纏いつく。


 シルヴィ目を細めて口を半開きにした。鋭い酒気を吐き出すように口で呼吸をしていく。


「苦くてぇ、すっごく熱い……♡」


「だからやめておけと言っただろう。フレーメン現象みたいな顔になっているぞ」


「うっさい! 背伸びしたかったの。悪い……!? だって、どんなことでも初めては素敵なものがいいじゃない? …………じゃないと、いつか後悔する」


 ――――何を、言ってるんだろう。


 愛玩動物と自分の意見がごっちゃになって、本当に言いたかったことがわからなくなった。


 じんわりと涙ぐむ。シルヴィは違和感の残る腹部に手を当てながらジッとエストを睨んだ。


「……もっとツンツンしなくて甘いのってないの」


「作っていない。頼まれたこともない」


「じゃあこの苦いのは誰かに頼まれたわけ?」


 エストは沈黙した。シルヴィは構わず続ける。蠱惑的に薄紫の髪を掻いて分けて、緋色の瞳を濡れるように煌めかせる。


「じゃあ……作って? そしたら一緒に乾杯してぇ、私がベロベロになってぇ、好きになっちゃう♡」


「……出て行ってくれ。俺は一人になりたいんだ。暇を潰したいなら端末を使え。いいな?」


「どうして一人になりたいなら拾ってくれたの?」


 エストは答えなかった。逃げるように、ぽたぽたと蒸留されていく酒の雫を傍観するだけ。相手にされないのが、無性にムカついて。ダンと、一度だけ地面を蹴った。


「同情? 私が哀れで慈悲を与えようとでも思った?」


 ――ダメだ。止まれない。ため込んでいた何かが吐き出ると一瞬で仮面(メスガキ)が取れ落ちて、私が剥き出しになる。


 でも、同情されるのも、何もできない惨めなやつって思われるぐらいなら、不快感があっても、恥ずかしくても。それをなかったことにして甘えられて、弄ばれるほうがマシで。


「私に対価を求めないのも――?」


 言いかけて。開いた口は塞がらないままだったけど、ようやく言葉は止まった。こいつは同情なんてしてない。子供扱い、邪魔者扱いはしたって惨めにも思ってない。


 ハっとして、シルヴィはエストへ顔を向けた。彼の表情は分からない。ガスマスクは絶対に外そうとはしない。


「……なんで拾ったんだろうな。ずっと後悔し続けている。こうして、何かを話さなければならないことも。レーション以外を食べたことも。本当ならばずっとここで何も考えずにいられれば良かった。……一人にしてくれないか」


「……わかった。その、……何か思い出させちゃったのなら、ごめん」


 沈黙に背を向けてトレーラーハウスを出た。

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